風の強い日の朝 ー永遠のデジタルの中にあっても消滅したー
強い雨を知らせる災害アプリの着信音で目が覚めたような気がしているとき、確かに雨脚は強まっているように聞こえている気もしたのだったが、妻も娘もぐっすり寝ているとしか思えなかったので、夜中に荒れる天候も代表戦も確かめはしなかった。そもそも今が何時かも確かめはしなかった・・・・・・その後、散々に雷が鳴って妻が目を覚ましたのは午前四時過ぎだったらしい。
普段より二時間も前に目を覚ましていた妻は、いつもと変わらず六時にぼくを起こした。雨は殆ど止んでいて、ときどき風だけが強く吹いているようだった。娘は大事な行間のように「空白」だったはずの自分の布団で口を開けて寝ていた。
「ねぇ、ツイッターがすごいことになってるよ」妻は敷居の向こうから寝起きのぼくに言った。
当然ぼくは代表戦で何かとんでもないことが起きたのだろう、と思った。
1 消えてる
12623289件のツイート
「おすすめ」の一番上にある文字とツイート回数を見て驚き、指先を当てると絶句した。
「川崎の空に浮かんだ七年前のあの日私たちは籍を入れた。毎年、結婚記念日になると当時の気持ちを思い出すために見返すんだけど今年消えてる。私たちの何かも消えてしまったのだろうか?」
「武道館の日の丸のも消えてる!! 本当に大切なものは目には見えないってか、見えなくなってるんですけど」
「出回ってる3パターンの写真を疑い自分のパソコンにあった明治神宮の一枚で確かめてみたけどマジで消えてる。じゃなければ、六年経った俺の目では見えなくなったのか?」
「本当に消えてるって不思議がる、当時見えてた恋人が今の妻」
「見えるからナニ人、見えない奴はナニ人とか本当にバカバカしかった。でもどうやら今もあの下らなき選別主義は消えてないみたいで愕然」
「見えないモノを見えない、と言うよりも見えるモノを見えないと言う方が勇気いることを友達から学んだけど、本当に消えてるの?」
昨日が結婚記念日だったらしい何某さんが昨夜の十時過ぎに(七年前、殆どの国民が散々に見慣れた)あの青空の写真を張り付け投稿すると、瞬く間に拡散しただけではなく、膨大な数のコメント付きリツイートが新たなツイートを誘発し、大爆発した結果一千ニ百六十万件以上呟かれていた。もちろん大いに関連する「川崎」「武道館」「明治神宮」等のワードでも大変なことになっていた。「トレンド」においては二十九件中二十五件がそれら関連ワードだった。ちなみに「雷」と「オウンゴール」と「一発退場」もそこにはあった・・・・・・。
201×年11月某日13時43分 川崎駅前。
ネットで購入した日の丸や旭日旗を手に、他に活かしてもらいたいほどの情熱を注ぎ込む、恐ろしく稚拙な単語で人種差別を叫ぶ150人以上のヘイトデモ隊は、尊厳や良心、時どきはミソクソ殴り書くプラカードを掲げてカウンターを仕掛けるべく集結した300人以上の有志と相対し、両者を隔てる200人近くの警察が乱闘服に揃いのメットを被って警備に駆り出されていた。
怒号と罵声と嘲笑、ホイッスルやトラメガで騒然とする地上からおよそ30メートルほどの上空に、それは呑気なくらい平和な青空だったのだが、出現した赤い浮遊体は地上の騒ぎを何気に静めると滲むように消えてしまった。現場にいた差別主義者も反差別主義者もスマホで撮影することが出来た。そしてそれは後日(と言うか、その場においてもだったわけだが)、視力というか「見える」「見えない」で三度国民を真っ二つに分断した・・・・・・にもかかわらず誰も何の結論も出せぬまま時が経ち、結婚記念日だった彼女以外に忘れられていたはずの今頃、あの浮遊体はいわば人類の叡智によって切り取られていた永遠のデジタルの中にあっても消滅したというのか?
「これ本当かな?」ぼくはキッチンの妻に言った。
「どうとでも加工できるし、人は嬉々として嘘をつけるからね」妻は答えた。
「君も見えないの?」
「雷で早くに目が覚めたから沢山見たけど、見えなくなっていたよ。でも全然バッチリ見える、ってのもそこそこあって、それらの引用リツイートは加工だろ、という指摘に溢れていた。根拠なんかないんだけど、私も加工だろって思ったわ。なんて言うのかな? ある意味で、ものすごく危険な考えなんだけど、たとえば誰かを一目見て、絶対にこいつとは気が合わない、何かが気にくわない、ってことがあるじゃない」妻は再びキッチンから寝室に入ってきた。ぼくだったり娘だったりが、もう起きているにもかかわらず朝の台所仕事の手を休めて寝室に戻ってくることはとても稀だ。
「まぁ、あるね。そういう感じって誰にだってあるよね。確かに」
「いま出回っている、赤い浮遊体の写真って全部それに近い感覚。はっきり白黒つける方法なんかないんだけれど、どうしても加工してあるって思えちゃうんだよ。誰かがそういう風なツイートをしてて共感できたわ。本能的防衛の一つみたいな勘が働くっていうかさ。そういう時って、なんて言うか推察と断定が同義になってしまうっていうか。決めつけちゃいけないって頭では分かっていても、それは頭の中の一部分だけで、残りの大部分と心の全部は間違いないって決めつけちゃうんだよね。言ってることの意味わかる?」妻は寝ている娘の足を布団の上から撫で続け独り言のように言い笑った。
「いずれしろ、またしばらく盛り上がりそうだな」
「あなたはもともと見えなかったんでしょ?」
「あぁ、俺には見えなかった。ちょうど現場にいた奴が撮影した川崎の動画を見せてもらったことがあったけど全然見えなかった」
「現場にいたって誰よ? その人あんな下らないデモに参加していたの?」
「まさか。前の職場の奴がたまたま買い物に行ってただけだよ」ぼくは後ろ半分だけ嘘をついた。
「お願いだから変な人と付き合わないでね」
「もう付き合いなんてないよ」
「どうだか」
「どうだかじゃないですよ。本当に」
「本当に、じゃないですよ。マジで」
妻は首を振って立ち上がると部屋を出て行った。きっと推察と断定が同義になったのだろう・・・・・・去年のことだがYouTubeでイルミナティだとか人工地震だとかにハマってしまい、五月の某日何時何分に大地震が来る、と半月ほどの間ひと騒ぎしてしまって以来、妻はぼくのことを小バカにするか不審がるようになってしまった。ちなみにその日、ぼくの心からの嘆願に渋々折れてくれた妻はパートを休み、昼過ぎの何時何分には我が家にも一応は存在する、細やかなれど大切なモノと水と食料など諸々を二つのリックに入れ、娘の小学校の付近で待機してくれた。東京が揺れに揺れ、壊滅的な事態に備えてもらったのだ。もちろん娘には内緒だった。
何事もなかったその日の夜、二人で同じように心から笑ったのは久しぶりだったが、籍を入れる前から二人の間にあったはずの信頼関係は「前」と「後」に分けられてしまったかな、と今のぼくは思っている。




