10月の通常国会 ー「だから」は多方面に多大な影響を与えるー
結局「あべこべ」総理は発言の撤回、言い直しにも応じず、野党はのっけから審議を拒否した。議長が仕方なく一旦止めていた時計は十二時が近づいたときになってからようやく完全に「時間」を止め、昼休み中に行われた与野党の国会対策委員長同士の協議も妥協点が見つけられず、いや、誰も「あべこべ」を説得しえなかった。結果今日の歴史的審議は美しいまでの完璧な空転を我ら納税者に見せつけたまま終わるのだった。
この「だから」は多方面に多大な影響を与えることとなるのだが、最も直撃した輩はまずもって人種差別主義者の一部だ。
日の丸、旭日旗を護符のように翻し、声が枯れるほど排斥を叫ぶ連中は、たとえそれが自称であれ全員が「愛国者」で、つまり自国を愛する国民たるわけだ。しかし全ての人種差別主義者が「あべこべ」総理を全面的に支持したり、魔法のような理論で擁護しているわけでもなかったので、そんな彼らは「だから」を静観したり、無視も可能だった。一方で一部の者は、あるいは多くの者は半ば「あべこべ信者」な言動を武器に日々、諸々と闘っていたのでまさに誤解を招いた「だから」により、日本人として嘘をつかなくてはならなくなる者が続出した。これまで、確かによくよく考えると修正しちゃってねぇ? と密かに感じながらも、愛国者としてご都合的歴史を「支持」している心の状態とはまるで違ったのだった。
「あべこべ」が「日本人だから見える」と発言したことを全面的に支持しなければならない(と勝手に自分に言い聞かせている)人種差別主義者の、ここでも当てはまった四割から五割いる「見えない」輩は、自らの心と「かくあるべき立場」とが猛烈な火花を散らし衝突してしまった。国の歴史ではなく、英霊たちの尊厳に対する問題でもなく「見える」「見えない」は自分が自分である為の、個人的最小公約数の問題だった。撤回も言い直しもされていない「だから」を支持しなければならない一方で「見えない」自分は日本人ではない、とは思えないし事実日本人なのだ。日本人として日本国を愛している。だからこそ奴らを排斥しなければならないのに・・・・・・しかし俺には「見えない」・・・・・・「だから俺は、日本人だから見える」と嘘をつくしかない・・・・・・俺は「日本人」として嘘をつくしかないんだ・・・・・・でも本当は「日本人」として、そうそれは神の国の民である自分に嘘なんかつきたくない・・・・・・。