10月の通常国会 ーあべこべ総理大臣ー
10月の通常国会において、あれもこれも、これもあれもで、疑惑のアソート内閣と揶揄されていた我が国の総理大臣が、今国会審議中唯一正直なというか虚偽を疑われなかった答弁が引き出された質問はこれだ。
「昨今、現内閣の様々な疑惑よりも話題になっている例の赤い浮遊体ですが総理には見えますか?」
全島返還を諦め、一島返還一島極秘レンタルで歴史的な解決を目指していると噂されていた北方領土問題を取り上げる予定の野党議員が、今日はテレビ中継も入っていたこともありいわゆる「つかみ」を試み、半ば軽口のような雰囲気で最初に問い質したのだ。それへの返答がこれだ。
「私は日本人だから見えます」現職の総理大臣は勝者のように微笑んだ。
そんなわけで、明治神宮の楠と日本武道館の日の丸が世界の隅々から宇宙空間にまで拡散していたピーク時に開かれていた国会のとある一日は冒頭から荒れた。いくらなんでも当たり前だろう。この発言こそ「誤解を招きかねない」という本来の意味が当てはまるってもんだ。
もちろん全ての国民というわけではないし、倒閣を目指す勢力だけに限るわけでもない話なのだが、いくらかでも政治に関心を持つ国民の多くは、国会における現総理の答弁や「ぶら下がり」と呼ばれる場での発言を真逆にすることで本当の意図を読み解こうとしていた。それが「あべこべ」総理と言われるゆえんである。
しかしどれほど穿った見方をしても「見える」と言ったときの「あべこべ」はあべこべではなく思えたし「見える」モノを「見えない」と言おうが「見えない」モノを「見える」と言おうが「見えない」モノを「見えない」と言おうが、渾身の隠し玉である一島極秘レンタルの追求からは逃れられないのだが、それでも結局はどんな疑惑からでも逃れられる。だから、午前九時に始まった審議が冒頭の二分半で一日を終えるにいたるまでこじらす理由も意味も本来ならばなかった。しかし「あべこべ」総理大臣は国会の場において、久方ぶりに本当のことを言ったら、それにすら難癖をつけられた、と納得できなかったのかもしれない。
「私には見えるんですよ。日本人だから見えるんです。日本人が日本人だからと言って何がいけないんですか?」ヤジが飛び交うなか、同じ場所から違う地平線を見ている総理大臣は一人だけ蚊帳の外にいるようだった。
「日本人でも見えない人がいるんです。それもおよそ半分が。じゃぁ見えない日本人は日本人ではないのですか?」質問者は「見えない」らしい。
「先生は見えない日本人でいいじゃないですか。でも私には見えるんですよ。私は何も見えない人は日本人ではない、等とは一言も言っていませんよ」
「総理、いいですか? だから、と言うのが問題なんです。分かりますか? このままでは誤解を招きかねないんです。せめて、だから、だけでも撤回してください。見えます、だけでいいじゃありませんか」
「日本人だから見えない、とは言いませんよね。世界中でも見えるのは日本人のおよそ半分の人たちに限る、ということですから。だから私はですね、私は日本人だから見える、と申したのです。これは本当のことなんですよ。私にはハッキリ見えるんです。枝の先にも国旗の中にも私には見えるんです。それはなぜなのか、それは、それはですね、つまり私が日本人だからなのです。そうじゃありませんか? 先生が納得できないのであればこちらから伺いたいですよ。であれば私はナニ人なのですか?」
「日本人なのでしょう。何といっても我が国の現総理大臣なのですからね。しかし何度も申し上げているように、だから、というこの接続詞が大変な問題なんですよ。ではどうでしょう? 私には見えます、と言い直してみては如何です?」
自分の席に戻り両足でイライラ貧乏ゆすりしているとき、背後から渡された補佐官のメモに目を通した総理は冷たく半笑いすると二つ折りにして、二回三回と破り捨て上着の左ポケットへしまってから手を挙げた。答弁の許可を議長に求めたのだ。
「私は日本人だから見えます」総理は補佐官のアドバイスも質問者から持ち掛けられた手打ちも拒否したのだった。
メモには「日本人として見えます。として、は、見えても見えなくても、日本人としての誇りを表すの意」と書かれていた。しかし総理大臣は「だから」に拘った。「あべこべ」はここにきて何を思ったのか己の生き方を今こそ貫こうとしたのだった・・・・・・肩を組んできてくれるような友達に嘘をつくのは「嫌だから」本当のことを言った、と幼き「あべこべ」少年は偉大な祖父に言うと、こっぴどく叱られ、あろうことかその場にいた母親までもが「あべこべ」少年を庇ってはくれなかったのだった・・・・・・普段、疑惑の追及に熱くなりながら(明らかに嘘をついて)逃れているとき、総理の背中には赤い炎がメラメラしている。しかしこの度、総理の背後で競りあがっているのは青白い炎であるのが、まるで火を見るよりも明らかに、その見えない炎を日本国国民は目撃した。だから多くの国民は確信した。「だから」の使い方がどうあれ、さすがに今度ばかりは本当に「見えて」いてこれっぼっちも嘘なんかついていないだう・・・・・・。