世田谷センター ー0と100の違いが分からないー
・・・・・・でも一体こいつは何の目的でここにいんだ? 俺に何か用事があるのだろうけど・・・・・・。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「なぁ、変なことを聞くけどいい?」ぼくは注文用紙のチェックを放棄することにした。今夜は目隠しして機械に流してやる。何枚も弾かれるだろうけれど、モタモタして時間だけが遅くなったら今日の当番からもっと強くグチグチ言われるに違いない。
「どうぞ」豊川は机にスマホを伏せると、スクーターの鍵をいじった。
「君さ、俺に何か用事があんだろ?」
「私のこと、君とかって言うのヤバくない」豊川はゲラゲラ笑った。
「・・・・・・豊川さん」向き合うつもりになった途端、色のない春の冷水を掛けられたような気がしてムッとしたが、何がヤバイのか分からないので取りあえず言い直したのだった。
「そうだよ、お前に用事があんだよ。ってか手伝ってやるよ。半分貸せよ」豊川は初めて明るく笑い、少しだけ可愛かった。
「いいよ、こんなもん。今日はこのまま全部流す。で用事ってなに?」
「・・・・・・それなら先に流して来いよ。ここで待ってるから」
「ここで?」
「なんで?」
「センターから出た方がいいんじゃない」
「噂されるのが嫌なんだな」妙に嬉しそうだった。
「明日の夕方には付き合っていることになるぞ。マダムたちは0と100の違いが分からないっていうか必要としないんだ」
「他所で飯でも一緒に食ってくれるのかよ?」
「それは無理。実は彼女と同棲していて、今日はちょっとした日なんだ」近所の安売り酒屋で24本入りの350ml缶ビールケースが月に一度、普段より五百円割安になる日だった。
町田で同棲している間、彼女と毎月買いに行っていた。そして必ず「もうひと月経つんだね」とどちらかが言う。引っ越しが決まっていたので今夜が最後の買い出しだったのだ・・・・・・。
「マジかよ、猫とじゃねぇのか!」
豊川の細めの目が、今度は大きな丸になった。
「面倒なことになるから今更言うなよ。今度籍を入れんだ。だから辞めんだよ、ここを。辞めるのは知ってんだろ?」
「親の介護じゃねえんだ」
「絶対言うなよ」
「お前って嘘つきだった?」
「心を開かないんだよ。そっちと同じだろ?」
「・・・・・・明日でもいいんだ」
「簡単な話ではないんだな」
「難しい話なんかじゃないよ。お前に話すくらいだから」
「・・・・・・ちょっと待ってろ。すぐ戻ってくるから」
「見せたいものがあんだ」
「なにを?」
「すごい動画」豊川はスマホを指で弾いた。
「裸じゃねぇだろうな?」もちろん冗談だ。
「お前んとこのメス猫って自撮りすんのか?」豊川は半分真顔だ。
「するわけねぇだろ」たぶんしていないと思う。
「早く流してこいよ。その間に脱いで撮っておくから」
「この際、俺も、お前でいい?」
「もちろん」
「最後にお前の平らな裸を拝めるなんてちょっと素敵ですよ」
・・・・・・でもぼくには、やっぱりあの赤い浮遊体は見えなかった・・・・・・