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世田谷センター ー恋の告白とは極北にある告白ー

 「やっぱりそうか?」豊川は表情と感情を変えずぼくの目を見ていたのだと思う。ぼくはまだそこら辺に浮かんでいる不思議な言葉を眺めていた。

 「いや違うよ。たぶん、って言うかモロ違う。って言うかなんで?」自分が日本人以外の属性あるいは国籍だったりする可能性を考えたこともないし、悩んだりをしたことなどなく、それは火は火であり水は水でしかなかったからだ。

 「じゃぁさ、中卒?」今度の直球はときどき耳にする、ぐっと球速の落ちたものだった。

 「高卒です」

 「私は中卒で父があちらの方なんです」豊川は自ら目指した峠を越えたときのような、そんなふうに微笑んだ。

 「あっ、そうなんすか」大袈裟だろうがぼくは魂魄の限りを使い、どうにか間の抜けた返事をした。

 「そうなんすよ」

 峠を越えた女はニット帽を脱いだ。そして形のいい丸くて小さな後頭部を掻いたとき、ピアスの縦列する耳が赤くなっているのが分かった。恋の告白とは極北にある告白をして恥ずかしいと思っているのだろう、と思えた。

 「・・・・・・」

 「・・・・・・」

 数十秒だったはずだが、経験したことのない、生々しいまでに微妙な沈黙を共にした。こそばゆいとか痛々しいとかではなく、発火はしないうえで生臭い煙が生じてきそうな沈黙だ。ただこの数十秒のおかげで、ぼくの意識はぼくに戻ってきてくれたのは間違いない。だから問うてみないわけにはいかなかった。

「・・・・・・どうして俺が朝鮮人だと思った?」ぼくは豊川を見つめた。彼女の瞳の中に自分がいる、と自覚するときが来るとはこれももちろん考えたことなどなかった。

 「どうして・・・・・・」彼女は、明確に分かっている答をどうすべきか自身の心に従い考察するためにぼくの目から視線を逸らした。

 「そんなこと初めて聞かれたよ。誰かから聞かれるってことが人生にあるとも思っていなかった」

 「なんかそうかなって思っていただけ」

 「なんかそうかなってどんなところで?」そこが知りたいのだ。

 「いいじゃん。そんなこと。違うんだろ?」

 「良くない。そっちが投げてきたボールだぞ。答えろよ。気になるんだ」

 「気になるってことは、そう聞かれて嫌だったってことだ?」豊川は話のレールを切り替えようと視線を合わせてきた。

 「嫌っていうか、びっくりしたんだよ」それは本当のことだったが、心の全てではなかった。

 「フランス人かって聞かれたらどうだった?」

 「それは笑う」これも本当のことだったが、やはり心の全てではなかった。

 「じゃぁ、今はなんで笑わない?」

 「フランスはいくら何でもないだろ」

 「フランスのハーフなの、って聞かれたら?」

 「こだわるな」ぼくは心の全てではない部分で回答を誤魔化した。

 「嫌だったんだよ。少なくともうれしくはなかった。だろ?」

 「・・・・・・」

 「気にすんなよ。責めてるわけじゃないんだから」

 「・・・・・・」

 これまで特定の人種や民族に対して持ってしまう、あるいは持たざるを得ない差別意識が、ぼくの内心にある、たとえば蓋のようなモノの裏側に張り付いていたことにがっかりした一方、おかしなはなしだけどどこかでは納得もした。

 「お前に上手く話しかけられなかっただけだよ。それだけさ」豊川は大きな息を一つ吐いてスマホをいじり始めた。

 彼女はとても不器用なんだ、と思った。彼女についてぼくが知っていることなどどれほど些細でしかない。なんせこの仕事に関するものだけなのだから。彼女は誰より早く配達を済ませ、多くの者にとって苦痛でしかない営業業務の成績もいい。それはつまり何十回、何百回と単純で簡単な作業を繰り返してもぼくのように火傷するほどのミスはまず犯さないし、組織の幹部から苦言を言われるような利益しか生みだせないわけでは全くない。仕事における段取りを面倒がらず、限られた時間の中にこそ存在する優先順位を見誤らないのだ。言葉だって本当は、いやある場面においてはとても饒舌で誠実かつ、いくらかの押しの強さを発揮するのだろう。でもなぜだか自分の何かを「気前よく差し出さなければ」ぼくごときにさえ話しかけられないくらい、プライベートでは不器用なのかもしれない。

 「本当に驚いたんだ・・・・・・でもそうなのかもしれない」これは本当のことで、心の大体だ。突然捲られた蓋の裏側を「こいつ」に見せることで対等であろうとした・・・・・・四年間も一緒に働いて殆ど会話のなかった相手に、ぼくらは他の人たちに対してよりも正直な気持ちを言葉にしあったのだと思う。

 「気にするなよ。特別なことじゃないんだから」豊川はスマホから顔を上げなかった。

 「これまでも同じことを誰かに聞いたりしてきたのか?」

 「一度もねぇよ。結構な勇気がいりましたよ」一瞬スマホをいじる指が止まった。

 「・・・・・・つまり処女だったわけだ」ウケようともスベろうともしたわけではなかった。話がひと段落するための(こちらもかなり微妙な)句点が空から降ってきたのだ。

 「・・・・・・」

 目が点となり口を小さく開けた豊川が半笑いすると逆に空気が変わるのをぼくらは共に感じた。それはしびれるくらいに完全なる一つの手応えでもあった。




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