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9.使用人と改心

 アンドレイの一件から一夜が明けた。


 あれから俺は依頼完了の報告だけ澄ませて早めにこの部屋に帰って来た。

 戦いの高揚感のせいかしばらく眠ることができなかったが、体の疲労は確かに溜まっていたようで、気が付くと朝まで眠っていた。


 もうすぐエリーがやって来る時間だが、彼女はやって来るだろうか。

 昨日、あんなことがあった直後だから、精神的に弱っていて今日は来ないかもしれない。

 しかしそんな心配をよそにいつもの時間に部屋のドアが開いた。


「おはようございます」

「おはよう、エリー」


 いつもと同じような無感情な挨拶が聞こえる。


(『身体強化』)


 目に視力を宿し、念のため彼女の様子を観察したが、見た目もいつも通りだ。

 そして念のため、私服からメイド服に着替える様子も観察することにした。


 短めの黒髪、整った顔立ち、そして特徴のない下着。

 うん、特に変わったところはないな。


「…………坊ちゃん、着替えているところを見られていると気になります」


 いつもは俺のことなど気にせず着替えをするエリーだが、今日は何故かやたらと目が合った。

 気まずそうに腕で自分の体を隠すような仕草をして、まるで俺が着替えを覗いているかのような振る舞いだ。


「気にしないで。見えてないから」

「ですが、目を開けた状態でこちらを見られていると……」

「いいから、気にしないで! 見えてないから!」


 俺のあまりの勢いにエリーは渋々といった様子で着替えを再開した。

 やましいことをする時こそ堂々とするべきだというのは前世で浮気性だった友人から聞いた話だったが、確かにその通りかもしれないなと納得できた。


「坊ちゃん、朝食の支度ができました」


 着替えが終わったエリーは朝食の支度をしてくれた。

 身体強化は切っているので手探りでテーブルまで向かい、皿の上のパンを探し当てるとそれを口に運んだ。

 この程度の動作はもはや慣れたもので、この部屋の中であれば身体強化なしでもある程度自由に動けるようになっていた。


「……坊ちゃん、少しよろしいでしょうか」


 パンをかじっていると、不意にエリーに話かけられた。

 咀嚼している最中だったので、首を縦に振って肯定の意を示した。

 すると一呼吸置いてエリーは神妙な声で語り始めた。


「昨日は失礼を働いてしまい、申し訳ありませんでした。……いえ、昨日だけではありませんね。今までも、ずっと。私は坊ちゃんの優しさに甘えて失礼な言動を繰り返していました。今更謝って済むことではありませんが、改めて謝罪させてください」


 どういう風の吹き回しか、エリーは急に今までのことを謝ってきた。

 俺としてはエリーの失礼な態度はあまり気にしていなかったし、正直どうでもいい。

 しかし、エリーの声は真剣そのものなので、茶化すのも悪い気がした。


「別に構わない。許すよ」

「本当にいいのですか? あんなに酷いことをしたのに」

「そんなに酷かったっけ? 少なくとも兄さんの方がよっぽど酷いよ」

「あれと比べられるのは心外ですが、お気遣いありがとうございます」


 俺の許しを聞いたエリーは安心したような声で返事をしてくれた。

 昨日は機嫌が最悪だったのが、一転して今日は穏やかな雰囲気だ。


 そういえば昨日の一件でエリーは借金がなくなったのだったか。

 それならばこの穏やかさにも納得がいく。


 食事が終わると、いつもであれば裁縫を始めるエリーだったが、今日は部屋の掃除を開始した。


「もしかして明日、また兄さんや父上が来るの?」

「いえ、これは自主的な掃除です。今までは雑にしてしまっていたので」


 エリーはテキパキと掃除を始めたようで、小気味いい箒の掃き音が聞こえる。

 借金のことがなくなったエリーは別人のようによく働くなと感心してしまった。


 一定のリズムで聞こえる箒の音を聞いていると、なんだか眠くなってきた。

 昨日の夜は大立ち回りをしたのだから仕方ない。

 睡魔の誘うまま、俺は眠りに落ちた。


 ……………………

 …………

 ……


「坊ちゃん、そろそろ起きてください」


 エリーの声が聞こえる。

 もう朝か?

 いや、さっき二度寝したからもう昼か。


「ごめん、エリー。寝てしまっていたみたいだ。もうすぐお昼かな?」

「いえ、もう夕方です。何度か起こそうとしたのですが、起きなかったのでそのままにしていました」


 エリーに聞いたら、既に昼ではなく夕方とのことだった。

 身体強化で視力を戻すと、確かに窓の外に広がる空は赤く染まりつつあった。

 昨晩もよく寝たはずなのに、これほど休養が必要になるとは、ベルナードの体はつくづく体力がないと実感させられた。


「昼食を採っていないでしょうからお腹が空いているでしょう。今から夕食の支度をしますね」


 エリーはそう言うと早速食事の支度をしてくれた。

 確かに朝からパン一つしか食べていないので腹が減っている。

 少し早いが、夕食のパンと干し肉をいただくとしよう。


「支度ができました。テーブルにどうぞ」


 エリーに促されてテーブルに移動したが、そこで違和感に気が付いた。


(何か、匂う)


 いつものパンと干し肉はほとんど無臭なはずなのだが、今日は何か食欲をそそるような匂いを皿から感じる。

 身体強化でテーブルの上を見ると、いつものパンと合わせて新鮮な野菜のサラダと揚げた鶏肉、果物まで用意されていた。


「エリー、今日の食事はいつもと違う?」

「はい。以前、いつも同じ食事だと飽きると仰っていたので、今日は市場で美味しそうなものを買ってきました。サラダと揚げ鳥とオレンジですよ」


 見えていないふりをしてエリーに聞いたが、本当にいつもと違う食事のようだ。

 嬉しいサプライズだが、急にエリーが優しくなった理由が分からないので、困惑も大きい。


「ありがとう。嬉しいよ。けど、一体どうして急にこんなことをしようと思ったの?」

「ただの気まぐれ、ですかね」


 何故か嬉しそうにそう答えたエリーの顔は優しい顔で俺のことを見ていた。


「慣れないものだと食べにくいですよね。私が助けて差し上げます」

「え? 大丈夫だと思うけど……」

「遠慮なさらないでもいいですよ」


 さらにエリーは俺の隣に移動すると、一口大の鶏肉をフォークで刺して俺の口元に運んだ。


「坊ちゃん、口を開けてください」

「えーと、…………あーん」


 今日のエリーは訳が分からないことだらけだが、今日は彼女の言う通りにすることにして、身体強化も切ることにした。


 久しぶりに食べる干し肉以外の肉はジューシーでとても美味しかった。

 肉だけではない。

 サラダも、果物も久しく忘れていた食事の楽しみを思い出させてくれた。

 視界がないから余計に味に集中できるというのもあるかもしれないが、これだけ満足感のある食事はいつ以来だろうか。


「坊ちゃん、これで終わりです」

「そっか。ごちそうさま、エリー」

「はい。お粗末様です」


 至福の時はすぐに終わりを迎え、あっという間に食事は終わった。

 願わくば明日からもたまにはこういった食事がほしいものだ。


「これからもたまにはこういった食事を用意しますね」

「いいの!?」


 そう考えていると、エリーは俺の考えを読んだかのようにそう言った。

 とても嬉しいことだが、昨日までの彼女との豹変ぶりに驚くばかりだ。


「坊ちゃん、私の態度がいきなり変わったことに驚いていますか?」

「うん! …………なんて言う訳ないじゃないか! エリーは前から優しかったよ!」


 またもや俺の考え通りのことを言ったエリーの質問に思わず反射で答えてしまった。

 その後、申し訳程度の言い訳を挟んだが、どうなることか。


 怒られるかとも思ったが、エリーはクスクスと笑うだけだった。

 そして改めて自分の胸中を明かしてくれた。


「少しだけ、考えが変わったんです。昨日までの私は自分が一番不幸で、大変で、恵まれていなくて、どうして私だけこんな目に遭っているのかって、そんな風に思っていたんです。だけど、昨日ある人に助けてもらって、すごく嬉しかったんです。自分がつらい時に助けてくれる誰かの存在が。そしてその時、坊ちゃんのことを思い出したのです。坊ちゃんも目が見えなくて大変な思いをしているはずだって。だったら今度は私が坊ちゃんの辛い時に助けてあげられる存在になりたくなったんです」


 そう語るエリーの声は慈愛に満ちていて、温かさに満ちた言葉だった。

 昨日たまたまエリーのことを助けただけで、これほどまでに変わってくれるなんて思わぬ収穫だ。

 ……いや、違うか。

 きっとこれが本来のエリーの姿なのだろう。

 今までが借金のせいで刺々しくなっていたに過ぎない気がする。


「坊ちゃん、少しだけ目を開けてもらえますか?」

「いいけど……はい」

「そのままこちらを向いてみていただけますか?」

「こっち?」

「はい。そのまま少し動かないでください」


 いい話だと思っているとエリーは突然俺にそんなことを言ってきた。

 今までの会話の流れを無視していたので疑問は残るが、大した要求ではないので大人しく従った。


 身体強化は切っているので、何が起きているかは分からない。

 少しだけ身構えていたが、結局エリーは何もしなかった。


「やっぱり似てる? でも、そんなわけないですよね?」

「なんのこと?」

「いえ、こちらの話です」


 何故か足元の辺りからエリーの返事が返って来る。

 わざわざ屈んで、下からこちらを見上げているのだろうか。


 そこまで考えてようやく昨日の夜、エリーに顔を見られていたことを思い出した。

 しかしエリーはベルナードとガレルが同一人物だという確信までは得られていないようだ。

 とはいえ気を付けるに越したことはない。

 今後もベルナードが別人になったことは気づかれないようにしなければ。


 ……………………

 …………

 ……


「もうこんな時間ですね。私はもうすぐお暇させていただきます」

「今日もありがとう。お疲れ様」


 夕食から時間も経ち、エリーはそろそろ帰る時間だ。

 これからは一日二回のお楽しみタイムなので、室内のマナを集めて身体強化の準備をした。


「そういえば坊ちゃん、やっぱり着替えの最中はあまり視線を向けないでください」

「見えてないから大丈夫だよ!」

「それでもやはり気になるものは気になります。やめていただけないようでしたら食事はこれまで通りのものしか出しません」

「そんな!!」


 朝は勢いで押し通したが、今度は食事を盾に取られた。

 エリーの着替えは眼福ではあるが、食事のクオリティは捨てがたい。

 迷った結果、俺は着替えを始めようとするエリーから顔をそむけた。


「ありがとうございます」

「ぐぬぬ」


 絹ズレの音を背後に聞きつつ、心の中で麗しの景色に分かれを告げた。

 今後はあまり着替えをジロジロ見るのはやめることにしよう。

次回投稿予定日:10月23日(水)


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