8.天誅と救出
今回のターゲットであるアンドレイという男がいるというのはボーツランドの大通りを一本入ったところにある小さな事務所だった。
深呼吸をして中の様子を伺う。
「…………! …………!!」
内容は聞こえないが、時折男の怒鳴り声が聞こえる。
人の気配も十分に感じるし、恐らく標的は中にいる。
ならばさっさと終わらせよう。
俺は建物の扉を勢いよく開け放った。
(一、二、三、四、五……五人か)
中にいた男の数は五人。
敵の数は最大で十人まで想定していたため、想定の範囲内だと言える。
こちらの状況判断は済んだ。
突然の刺客に室内の男たちも驚いたようだが、一人の男がこちらに向かってゆっくりと近づいてきた。
「てめえ、何者…………」
俺はそいつの言葉は最後まで聞かずに右手の剣を一振りし、その男の首元を切った。
勢いよく血しぶきが噴き出すと同時に、静かになった男は床に倒れた。
その状況を見ていた他の四人もようやく状況を理解したのか、すぐに臨戦態勢に入った。
「てめえ、生きて帰れると思うなよ……」
一番高そうな服を着た男が怖い顔で凄んできた。
恐らくあいつがターゲットのアンドレイというやつだろう。
その声につられてか、下っ端の男たちも殺意を持った眼差しで俺を睨んだ。
この期に及んでも彼らはまだ人数の有利という状況に囚われて自分たちが狩られる立場であることを理解していないようだ。
「それはこっちのセリフだ」
先ほど一人目の男を切った右手の剣の切っ先を別の男の顔に向ける。
そして突入する前に溜めておいたマナを一気に解放した。
『火球!!』
心の中で詠唱をした直後、何もない虚空から生じた火の球は男の顔を覆うようにして焼いた。
「ぐあああああ!!!」
顔が蒼炎で火だるまになった男は床に転がり苦痛のあまり叫びを上げた。
他の男たちは全員その光景を信じられないような目で見ていた。
しかし、戦場でそんな呑気なことをしているようでは命取りだ。
その隙を見逃さず、俺は近くにいた二人の首を両手に持っていた剣で切りつけた。
剣の質量と俺自身の筋力が足りないからか、脊椎を折るほどの威力にはならなかったが、気管を切った感触はあった。
即死にはならなかったかもしれないが、これではもう助からない。
首を切られた二人は糸が切れた人形のように崩れ落ち、瞬く間に一対五の状況は一対一になった。
残されたのはアンドレイ一人だが、アンドレイはこの状況でも慌てるでもなくポケットから何かを取り出し、指に取り付けた。
それは金属製のメリケンサックであり、まだ戦う気力は消えていないことを示していた。
(そうこなくちゃな……!)
この世界で初めてまともな敵と出会えた喜びで俺は高揚した。
試しに接近して顔をめがけて突きを繰り出したところ、拳で器用に受けられた。
そして逆にカウンターのパンチを繰り出して来たので、バックステップで避ける。
あと少し避けるのが遅かったら直撃を受けていたであろう拳は、恐らく直撃すれば骨や内臓が一撃でやられるほどの威力はありそうだ。
久しぶりに楽しい戦いになりそうだと思った矢先、空気中のマナが減っていることに気が付いた。
この事務所は狭く、換気も良くない室内であるためマナがどんどん減っていく。
このままではマナが切れて身体強化も解除されてしまう。
そうなれば俺はあの拳でミンチになるまで殴られて絶命するのは間違いない。
楽しい時間が終わるのは残念だが、もう終わらせるとしよう。
剣が届かない距離で向かい合っていたが、俺はおもむろに右手の剣の切っ先をアンドレイの頭に向けた。
「炎よ!!」
そして先ほど使用した『火球』を連想させる言葉を叫んだ。
アンドレイは咄嗟に顔の前で腕交差させ、顔を守るような体勢を取った。
普通の人間ならば、ここまで反射的に自分を守る動作を素早く取ることはできない。
たった一度の攻防だったが、俺がアンドレイという男の強さを理解できたからこその策だ。
(ありがとう、アンドレイ。お前が強くて助かった)
顔の前に両腕を突き出している今ならば、他の部位はガラ空きだ。
左手の剣をアンドレイの腹部をめがけて投げる。
「ぐふっ……」
その剣はアンドレイの腹のあたりに突き刺さり、アンドレイは口から血を吐いて怯んだ。
顔の前に組まれていた腕は咄嗟に腹を庇おうと下りている。
それと同時に俺は素早く距離を詰めて右手の剣をアンドレイの顔を目掛けて突き刺した。
剣はアンドレイの右目に刺さり、剣の先が固い何かにぶつかるような感触があった。
恐らくは脳を突き抜けて内側から頭蓋骨に当たったのだろう。
アンドレイの腹と目に刺さった剣を抜くと、血が噴き出すのと同時に何も言わずにドサリと倒れた。
これで目的は達成だ。
後は撤退するだけだが、室内から何やら異臭がする。
気が付くと、部屋の中は煙が充満しつつあった。
どうやら先ほど使用した『火球』の火が室内に引火したようだ。
室内もマナも少なくなっており、このままでは依頼は達成したのに火事に巻き込まれて死亡などという間抜けな結末になってしまう。
小さな火であれば初級炎魔法の『消火』でも対応可能だが、蒼い炎は既に床の広い範囲に引火しており、魔法での消火は困難だ。
俺は急いで入り口に向かったが、脱出する直前に誰かの声が聞こえた。
「……けて」
女の声だ。
室内には女なんていなかったと思っていたが、どこかに隠れていたのかもしれない。
何を言っているのかはよく聞き取れないが、『助けて』とも聞こえる。
助けに戻っても、室内のマナは少なく、失敗したら恐らくは死ぬだろう。
だが、兵士でもない弱い女を俺の炎が燃やすというのは何となく気に入らない。
俺の炎は戦いのために燃え盛るものであって、無関係の人間の命までをも無暗に奪いたくはない。
『身体強化』
入り口の近くで改めてマナを集めて身体強化をかけなおす。
室内のマナはもうほとんどないので、30秒が限界だ。
意を決して俺は白煙の充満する室内に飛び込んだ。
……………………
…………
……
室内は身体強化後の視力を以てしても視界が悪い。
生き残りの人間を探すのは困難だ。
(焦るな……確かに感じたんだ)
先ほどの声は気のせいではないという確信があった。
ベルナードの体に生まれなおしてからは、目の見えない時間が長いからか聴覚が研ぎ澄まされた感じがする。
今も目はあまり機能していないが、集中すれば聞こえてくる。
紙や床の木材が燃える音、木製のイスが燃え崩れる音、外からの『火事だ!!』という叫び声、煙にむせてせき込む女の声……。
(そこかっ……!)
部屋の隅の方から聞こえた微かな音を頼りに進むと、女が一人倒れていた。
小さくせき込む声が聞こえるので、まだ生きている。
俺はすぐにその女を抱えて出口に向かって駆けだした。
……………………
…………
……
何とか外に脱出した俺は女を抱えたまま人の少ない場所まで抱えて走った。
外に出さえすればマナが切れる心配はない。
繁華街の端の方、人通りの少ない道の端で抱えていた女を降ろした。
呼吸はしているが、意識があるかどうか確かめるべく仰向けにして顔を覗き込んだ。
(エリー!?!? どうしてここに!?)
そこで気が付いたのは、今まで抱えていた女はメイドのエリーだったということだ。
人違いであることも願ったが、どう見てもエリー本人だ。
混乱していると、さらに悪いことにエリーはそれまで閉じていた目を開けて、俺とばっちりと目が合った。
俺の顔はフードで隠しているので、正面からは見えにくいと思うが、下からだと丸見えだ。
慌てて顔を逸らしてエリーに語り掛けた。
「女、気分はどうだ?」
できるだけ低い声で普段のベルナードらしくない言葉遣いを意識した。
この場でこれ以上関わりたくないが、エリーの安否も気になるので、他人の振りをしてやり過ごす算段だ。
「……最悪」
エリーは弱弱しいながらも俺の質問に返事をしてくれた。
どうやら無事だったらしいが、まだ意識は少し混濁しているようだ。
エリーはそのままゆっくりと体を起こすと俺の方を見た。
「あなたは……?」
「名乗るほどの者ではない」
「どうして私を助けてくれたんですか?」
「ただの気まぐれだ」
「私の借金は? あの事務所、燃えてましたよね? もしかしてチャラですか?」
エリーは意識が戻ると、怒涛の質問攻めをしてきたが、その中でも特に借金のことを気にしだした。
どうやら俺がベルナードだとは気づいておらず、体も無事なようで内心ホッと一息ついた。
俺は知らなかったが、エリーはあの事務所から金を借りていたらしい。
ふと、ブリーフィングの時のアンドレイに関する情報を思い出した。
『貧乏人相手の金貸しを生業としている勢力の元締めだ』
俺が殺した男はエリーにも金を貸して、利子を含めて金を巻き上げていたということか。
ならばもう返す相手はいないということになる。
「金のことは心配するな」
「いいんですか?」
「その代わり、今日のことは全て忘れろ。全て、な」
俺はそれだけ告げるとエリーを置いて夜の闇に紛れた。
エリーには顔を見られたかもしれないが、ベルナードとしての俺は目が見えないということになっている。
あれがきっかけでバレる心配はあまりないだろう。
とりあえず今日やるべきことは終わった。
あとのことは明日考えることにしよう。
次回投稿予定日:10月20日(日)
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