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7.【幕間の物語】借金と絶望

このエピソードは主人公ではなく、エリーの視点でのものになります。

 この世界は不公平だ。


「おはよう、エリー。気分のいい朝だね」

「…………ちっ」


 毎朝私は同じ時間に使用人として仕える貴族の邸宅に出勤する。

 私が世話をするのはベルナード・ネルソンという盲目の少年だ。

 彼は毎朝私に挨拶をするが、今日はとてもじゃないが返事をする気になれず、思わず舌打ちをしてしまった。


 普通、自らが仕える主に舌打ちなどしようものならその場でクビにされてもおかしくないが、ベルナードは私がどれだけ失礼な態度を取ってもそれを理由に私を責めない。

 それがどういう理由によるものかは分からないが、金持ちの余裕を見せつけられているような気がして余計に苛立つ。

 どうしてこの少年は何もせずにのうのうと生きていられて、私は毎日休むことなくこの少年への奉仕をしなければならないのか。


 この世界の不条理は今に始まった話ではなく、昔から世界は私に厳しかった。


 物覚えがついた頃から私には父親がいなかった。

 優しい母と、可愛い妹がいたから不幸だと感じることは少なかったが、幼い頃から暮らしは貧しかった。


 しかし私が15歳の誕生日を迎える頃、母は病気で死んだ。

 その頃には私も母の伝手で貴族の屋敷で使用人として働いていたので、収入はできていたのだが、17歳を過ぎたあたりで今度は妹が病気になった。


 治療には高額な薬が必要で、僅かな蓄えはすぐに底を突き、借金生活になった。

 貧しい暮らしの中で家族との僅かな幸せだけを頼りに生きてきたのに、その僅かな希望でさえも常に脅かされている。


(どうして私だけが……っ!!)


 妹の病は長引いており、なけなしの金で診察を依頼した医者の話では完治するまで薬を与え続けなければ命が危ないとのことだった。

 妹には死んでほしくないが、薬代は私の暮らしを圧迫し続けているため、最近はいつもお金のことばかりを考えている。


 借金が膨らんでおり、使用人の仕事だけでは収入が足りない。

 主の目が見えないことをいいことに、ベルナードの生活費の横領、使用人の仕事中の内職なども常習化しているが、それでもまだお金が足りない。

 今日は借金の一部を返さなければならない日だというのに、お金が全然足りない。


「ねえ、エリー。朝食の用意をお願いしてもいいかな?」

「…………ちっ」


 私の悩みなど全く理解できないであろうベルナードの能天気な声が室内に響く。

 思わず再び舌打ちをしてしまったが、もはや取り繕うこともできないので、開き直って適当なパンを掴むと、ベルナードの元に近づいてその口にパンを押し込んだ。


 あまりにも失礼な行いであるのは理解しているが、自分でも不安や焦燥をコントロールできない。

 静かになったベルナードのことは無視して、私は部屋の隅で内職の裁縫を開始した。


 ……………………

 …………

 ……


「お金、足りるかな」


 夕刻、いつもと同じ時間にネルソン家の敷地を出たが、今日はこれから借金をしている金貸しの元に向かわねばならない。

 金貸しの男はいつも私の窮状をニヤニヤとした顔で聞いてくる。

 金を借りている以上、行かねばならないのだが、あのムカつく顔にペコペコと頭を下げなければならないと思うと足取りは重い。


 金貸しの事務所はボーツランドという町の中心通りから裏道を一本入った薄暗いところにあり、酔っ払いの通行人から通勤中の遊女と間違われて声をかけられたことも一度や二度ではなく、そのたびに不愉快で怖い思いをしなければならない。

 幸い今日は何事もなく目的地にたどり着くことができたので、建物の扉を叩いて中に入る。


「こんばんは」

「これはこれはエリーちゃんじゃないか。お金を返しに来たんだろう? まあ、座れよ」


 私が事務所に入るなり、部屋の奥からいつもの金貸しの男が舐めまわすように私の方に視線を向けた。

 これだけでも最悪な気分だが、私は黙って近くの椅子に腰かけた。


 事務所内はタバコの臭いが充満しており、接客スペースは小さな机と椅子が何組かあるだけで、部屋の奥も戸棚がいくつかあるくらいの狭い空間だ。

 いつも私が勤めているベルナードの隔離されている小屋よりも少し広い程度の部屋だが、私と男の二人しかいない。

 何とも気味の悪い状況だ。


「それで、今日はいくら返してくれるのかな? 大銀貨1枚? 2枚?」


 奥の方にいた男が机越しに私の正面の椅子に座った。

 軽薄そうな態度だが、金の話をする時は目が真剣だ。

 下手なことは言えない。

 私は緊張しつつも硬貨の入った財布を取り出した。


「現金はこれで全部」

「エリーちゃんは冗談が上手いな。俺の目には銀貨5枚ほどにしか見えないが、まさかこれで終わりじゃねえよな?」


 私の財布の中身を見た男はたちまち険しい顔を作った。

 それは当然のことで、今日私は最低でも大銀貨1枚は返すことになっていた。

 どう取り繕っても銀貨が5枚足りない。


「いつもの刺繍の内職で作って来たものがあるから、それを銀貨5枚で買い取ってほしい」

「ああ、いつものやつか。見せてみな」


 しかし現金とは別で、裁縫仕事の依頼も請け負っているので、その分の報酬がある。

 本来ベルナードへの世話をすべき時間で内職をした結果得られた貴重な収入源だ。


 カバンから5枚の布を取り出した。

 依頼の通りの刺繍を丁寧に反映させた自信のある作品だ。

 最低でも1枚につき銀貨1枚にはなるはず。


「いつもながらよくできているな。おまけして5枚分の買い取りで銀貨3枚だ」

「え?」


 しかし目の前の男は無情にも私の努力の結晶に銀貨3枚の値段を付けた。

 以前まではもう少し高値で買い取ってもらっていたはずなのにどうして!?


「悪いな、エリーちゃん。こっちも最近はいろいろと厳しくてな。というわけで最低でもあと銀貨2枚、どうする?」

「…………」


 一方的な買いたたきに混乱して言葉が出ない。

 買い取り価格の再考を交渉すべきか?

 いや、交渉の材料がない。

 相手は真っ当な人間ではないのは明らかなので、下手なことを言えば最悪暴力で解決されてしまう可能性もある。


 ならば、どうする?

 現金はもう今月の生活費しか残っていない。

 それを出したら明日から次の給料日まで何も食べずに生活するしかなくなってしまう。

 かといってこれ以上ベルナードの食事を減らすのも無理だ。


 途方に暮れていると、建物の扉が開かれた音がした。

 誰かは分からないが、この状況を打開してくれる存在であることを信じて入り口の方を見る。


 しかし、入ってきたのは明らかに堅気ではない風貌の男たちだった。

 先頭の高そうな服を着た男を筆頭に、ガタイのいい男たちが4人ほど続いた。

 にわかに狭くなる室内に緊張感が走る。


「ア、アンドレイさん。こんなところまで来ていただいて、どういったご用件でしたでしょうか?」


 先ほどまで軽薄そうに私の借金を取り立てようとしていた男の態度は一変し、突然現れた男たちの機嫌を伺っている。


 アンドレイと呼ばれた男は無表情のまま金貸しの男に近づくと、力いっぱい殴り飛ばした。

 殴られた男は床に転がり痛みで悶絶している。


「どういったご用件、じゃねえだろ!? お前のとこの上納金が少ねえからわざわざ様子を見に来たんだよ、このクズが!! まともに金も集められねえのか、お前は!!」


 そしてドスの利いた低い声で怒鳴り散らすと、床に倒れた男を追加で2回殴った。

 私はあまりの恐怖に震えることしかできなかった。


「そこの女、名前は?」

「…………エ、エリー・グレイシヤです……」


 アンドレイは床に転がった男から視線を外して急に私の方を見た。

 名前を聞いたアンドレイは奥の戸棚から帳簿を取り出してパラパラとめくると、あるページを読み込んだ。


「妹の薬代のために借金とは泣かせるねえ。けど、借りた金は返さなきゃだよな?」

「…………はい」

「仕事は貴族の屋敷への奉公、か。お前明日からそっちの仕事はやめてうちの遊郭で娼婦をやれ。その方が儲かる」

「…………えっ?」

「え、じゃねえよ。金、返せねえんだろ? 貴族の豚を相手に腰振るのも酒臭え平民を相手するのも変わらねえだろ」


 あまりに急な話に私はついていけなかった。

 アンドレイは私が貴族への奉公の仕事で性的な奉仕もしていると思い込んでいるようだが、私はあの変態当主にも人格破綻者の長男にも一人では何もできない主にも体を許したことなど一度もない。


 それを明日からは娼婦になれだと?

 到底受け入れがたい提案だ。


「……ぃゃ」

「そうかい。だったらお前にはもう金は貸さないし、今まで貸した分は勤め先の貴族様から回収させてもらうとしようか。これからも妹と二人で仲良くな」


 精一杯の勇気で絞り出した否定の返事は蚊の鳴くような声しか出なかった。

 しかしアンドレイは無慈悲に、的確に私の弱点を突いてくる。


 もし借金のことがネルソン家にバレたら私は解雇されるだろう。

 そうなれば収入源が途絶えてしまう。

 不正に稼いでいた分も含めれば、かなり割のいい仕事なので、これ以上の仕事は見つからないだろう。


 それに、薬を買うお金がないと妹の命が危ない。

 残された道は自分の体を売ることしかないのだろうか。


「……やります」

「あん?」

「……娼婦の仕事、やります」


 結局私はそう答えてしまった。

 無自覚に私を苛立たせる主とももうお別れだ。

 しかし思えばあの少年は一度も私を否定しなかった。

 今日はいつにも増して酷い態度を取ってしまったことが急に悔やまれた。


 しかしそんな感傷は唐突な痛みでかき消された。

 いつの間にか目の前に立っていたアンドレイが私のお腹を殴ったのだ。

 痛みのせいで思わず床にうずくまる。


「ぐ……」

「人に物を頼む時は相応の態度ってもんがあるだろ? ちゃんと言え」

「……ごめんなさい。お願いなので、娼婦の仕事をやらせてください……」

「最初からそう言え、クソが」


 床に頭を付けて屈辱的なことを言わされた私の頭はアンドレイの足によって踏みつけられた。


(どこでこうなっちゃったんだろう……?)


 この世界は不公平だ。

 今日だけでも何回そう思ったか分からない。

 どうして、どうして私だけいつもこんな酷い目に遭わなければならないのか。

 痛みと屈辱と恐怖で目から自然と涙が溢れた。


 しかし何を思ったところで結局私はこのまま誰かから全てを搾取されて生きるしかないようだ。

 だったら私の人生は一体何の意味があるのだろう?


(もう、どうでもいい)


 何を考えたところで明日から待っているのは見知らぬ男たちの性欲のはけ口となる毎日だ。

 考えても仕方がない。

 全てを諦めようとしたその時、再び入り口の扉が開いた音がした。


「てめえ、何者…………」


 威嚇しようとした男の声が不自然に途切れる。


 私の頭もアンドレイの足から解放されたので、周囲の様子を見ると、先ほどまで立っていた男の一人が血まみれで倒れており、代わりに入り口の辺りに全身を黒いローブで覆った人物が立っている。


「てめえ、生きて帰れると思うなよ……」

「それはこっちのセリフだ」


 その言葉を皮切りに男たちの殺し合いが始まったので、私は床を這って部屋の隅まで逃げて、小さくなって震えていた。

 だけど、あのローブの人物はもしかしたら私をここから救い出してくれる存在かもしれない。

 血の臭いが濃くなる室内で、私はそんな都合のいいことを信じずにはいられなかった。

次回投稿予定日:10月19日(土)

連載開始記念 9話までは毎日投稿します!!


続きが気になる方は是非ブックマークしてお待ちください。

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