SS 兄カイルの憂鬱
カミラから届いた魔法鳥の手紙には、エレノアの近況が綴られている。
最愛の妹の状況がわかるその手紙を読んだにもかかわらず、兄のカイルはなぜか長い睫毛を伏せた。
その理由は書かれた内容にある。
「あの日現れた男はやはり白い狐が変化したものだそうです」
「そうか。神の遣いが彼女を守るために動くとは、流石私たちのエレノアだね」
「……そうですね」
いつもならエレノアを称賛する言葉に、すぐ賛同するはずの息子が複雑そうな表情を浮かべたことに父のダレンが気付かないわけがない。
あの日、銀髪の美しい男が現れ、その場を制したことはカイルから伝え聞いている。神々しい姿と魔力の圧、そこにいた全ての者が人知を超えた存在だと体感しただろうとカイルも話したことにダレンは興味を持った。
「なぜ、そんな表情をするんだ? カイル。なんであろうとエレノアの力になるのであればいいじゃないか。今回、その神の遣いとやらの力もあってエレノアが聖女などにならずに済んだんだろう?」
神の遣いも聖女もダレンにはさほどの意味を持たない。大事なのはエレノアなのだ。彼女のためになるのであれば、神だろうが悪魔だろうが、利用できるものは利用すべきだとダレンは考える。
そしてそれはエレノアの兄カイルも同じだと父であるダレンは知っている。
「――しかし、問題が一つだけあります」
「なんだい? 話してごらん」
深刻な表情をした息子を宥めるかのように、悠々とグラスに酒を注いだダレンは話しかける。
「あの狐、エレノアと寝所を共にしているそうです」
「…………」
「……怪我はありませんか?」
握ったグラスを割った父を気遣うようにカイルは尋ねる。
厚みのある絨毯に砕けたグラスが広がっていた。
「――カミラに即刻、返事を書くんだ」
先程までの余裕を失った父の姿に、カイルも急いでペンと紙を手にするのだった。
届いた魔法鳥の手紙にカミラは小さくため息を吐く。
あのようなことを書くべきではなかったと今さらながらにカミラは思う。しかし、出した手紙も割れたグラスも元には戻らないものだ。
目の前にはカミラの悩みの種がソファーでぐうぐうと寝息を立てている。
カミラはその姿を見ることがなかったのだが、この白い狐が人となった姿は美しい男だったようだ。その姿をカイルは見ている。
そのため、白い狐がエレノアと同じベッドで寝ていることに危機感を抱いているらしい。その思いはダレンも同じようで、カミラは背筋が凍る思いがする。
「しかし……お嬢さまいわく、この犬が正道院で再び人になることはないらしいし」
無防備に腹を出す姿からは美しい姿など想像もできない。
神の遣いの白い狐などというが、カミラから見ればその辺の犬と何一つ変わらない。いや、他の犬より食い意地が張っていることくらいが違いだろう。
「どうしたの? カミラ」
「いえ、何も問題は起きておりません」
「……カミラ? 私に嘘を言うつもり? きちんと話しなさい」
じっと紫の瞳に見つめられたカミラは観念する。
父ダレンと兄カイルのシルバーに対する心配を正直に話すのだった。
話を聞き終えたエレノアはくすくすと楽しそうに笑う。
しかし、カミラからすれば二人の心配もわからないではない。
目に入れても痛くないほどにエレノアを大事に思っていることは、コールマン侯爵家の者すべてが知っている。
そう思うカミラにエレノアが質問する。
「じゃあ、カミラも私とシルバーが一緒に寝るのは心配?」
そう言うエレノアはシルバーの脇腹を掴んで、カミラの前に差し出す。寝ぼけながら、よだれを垂らすシルバーの姿にカミラは黙る。
神の遣いか何か知らないが、この動物は食い意地の張った生き物に過ぎない。
「でしょ? それにシルバーも当分の間はこの姿のままでいると思うわよ」
「――そう断言なさる理由はなんでしょう? 確かに食い意地の張った犬に過ぎませんが、再び人の姿を取ることは考えられます」
「考えられないわ。だって、聖リディール正道院ではこの姿でいた方がシルバーにとって居心地がいいんだもの。そうね、シルバーが起きたら後を付けて見ればいいわ」
エレノアの自信ありげな様子に戸惑いつつも、カミラはシルバーが目を覚ますのを待つのであった。
廊下を歩くシルバーをカミラはひそかにつけていく。
しっぽを揺らしながら、まるで自分の家のように歩く姿を見ていると、リリーとマーサが歩いてくる。
「シルバーさま、おつかれさまです。あ、さっきお菓子をスカーレットさまに頂いたんです。召し上がりますか?」
「きゅうきゅう!」
「ふふ、今日ももふもふで可愛いですね!」
「きゅうきゅう!」
二人の手からもしゃもしゃと菓子を食べるシルバーは慣れた様子だ。
これはよくあることなのだとカミラは悟る。
二人と別れた後も、シルバーは貴族用厨房でアレッタに食事の残りを貰い、頭を撫でて貰っている。その後、グレースに出会ってもシルバーはその愛らしい容姿を褒めたたえられ、まんざらでもない様子だ。
「ね、言ったでしょう? 私との約束もあるけれど、あの姿でいた方がシルバーにとってもいいのよ。皆が可愛がってくれるし、優しくして貰えるって満足そうに話していたわ」
「なるほど、やはり食い意地が張っているのですね」
「まぁ、いいじゃない。あのもふもふとした存在は聖リディール正道院の癒しになっているのよ。兄さまたちには魔力の制限で、あと十年は人になれないとでも言っておけばいいわ」
エレノアの言葉にカミラはしばし、考える。
カミラの主人はエレノア・コールマンである。侯爵家の当主ダレンでも次期当主であるカイルでもない。
そのエレノアにとって最善を願うカミラの決断はそれほど時間はかからない。
「そのようにお伝えしておきます。それにしてもよく食べる犬ですね。皆もなぜあんな犬を可愛がるのでしょう」
エレノア以外のものに関心を持たないカミラからは理解できない状況だ。
そんなカミラにエレノアは訳知り顔で答える。
「もふもふは癒しなのよね。ここのマスコットキャラクターみたいなものだわ」
「もふもふ、ますこっときゃらくたー……ですか? すろーらいふといいお嬢さまは博識でらっしゃいますね」
聖リディール正道院の非公式マスコットキャラクターは廊下を歩いて、まだまだ可愛がってくれる人物を探している。
食い意地の張った神の遣いシルバーは今日もまた、皆の癒しとして過ごすのだ。
この更新で最後となります。
今まで読んでくださり、ありがとうございました。




