第58話 聖なる力とその矜持 2
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エレノアが力を行使しようとしたそのときだった。
『――聖女という存在のために人の命すら軽んじるつもりか?』
聞き覚えのある声にエレノアの手が止まる。祈祷舎の扉へと振り返ると、そこにはエレノアが一度見たことのある男がいた。
神々しいまでに美しい男は銀の髪を持ち、悠々とこちらへと歩みを進める。部外者であろう男を止める者は誰もいない。
青の瞳を持つ神秘的な男の存在に、皆が圧倒され、男をただ見つめている。中には涙を溢す者すらおり、信仰会の者たちはスタイロンを始め、皆跪いた。
仮にも長きに渡り信仰を修めて来た彼らには、その男が人知を超えた存在だと感覚的に理解したのだ。
正道院長であるイライザもグレースも、その男を注視する。
エレノアはその男の名を口にした。
「シルバー……」
シルバーは倒れたメラニーと縋りつくように泣くウィローを見て、呆れたように呟いた。
『ふむ……。人の悪意というものは興味深い。何の非もない者にこのように害を加えるのだからな。なぁ、そこの者よ』
「ひっ……! あ、あたしは何も……」
『我に偽りを申す気か……。そこの男もかかわっておるのだろう』
「っ! ヒュ、ヒューズさま……」
怯えたクレアがヒューズへと助けを求める。シルバーは誰が関係しているかは口にしていない。しかし、救いを得ようとしたことでクレアとヒューズが何かをしたと伝えているようなものだ。
驚きと非難の視線を一気に浴びたヒューズだが、シルバーはメラニーへとそっと手を翳した。シルバーの手元から何か光のような球体が広がり、メラニーの身体に触れる瞬間に、彼女を包み込むように広がっていく。
見えているのは光だけだが、慈しむような温もりがそこから自分たちにも伝わってくるようだ。信仰会の者も、ヒューズの信奉者も崇高な光に圧倒され、ただただ見つめるばかりである。
光に触れたメラニーがぴくりと動き、ウィローは彼女の身体を揺さぶる。それに反応するかのように、メラニーは目を開き、ウィローを見つめた。
「……ウィロー? あなた、また会話が出来るようになったの? まぁ、どうしたの。そんなに泣いて……」
「先生、先生……!」
メラニーに抱きついて泣くウィローの姿は見た目通りの小さな女の子だ。
圧倒的な存在感を放つシルバーと、その足元でメラニーに縋りつくウィローの対比に、その場にいた多くの者は彼女が聖女ではないのだと悟った。
彼女を聖女と崇めていた信奉者たちも目の当たりにした光景に、事実を受け入れたようだ。だが、それに納得できぬ者がいる。ギル・ヒューズだ。
「――違う! ウィローは動揺し、力を発揮できなかっただけだ!」
『この娘が聖女として力を行使したことはない』
「雨を、雨を降らしたではないか!」
身分や権力を越えて、この場に立つシルバーの言葉にヒューズの信奉者たちは視線を下げる。メラニーを救ったのもウィローではない。突如現れた人知を超える高貴なる存在の力だ。
そんな男がウィローが雨を降らせた訳ではないと断言したのだ。ヒューズが何を言おうとこの場にいる誰もが、もはやウィローを聖女だとは思うことはないだろう。シルバーがふぅとため息をついてヒューズを見た。
『――あれは我の力、それを騙るとは愚かなことだ。そもそも汝らの祈りが歪んでいたからこそ、神の恵みは途絶えたのだ。再び、かつてのようにこの地が荒れていたことだろうな』
「では、そもそもヒューズらの祈りが妨げとなったのか!」
「恐ろしいことを……! かつてこの国に何が起こったのかを忘れたのか!」
責める視線がヒューズへと注がれる。信仰会の者たちは蔑視に近い視線を送る。自身の信奉者であったはずの者たちは痛々しい者を見るかのような視線だ。
得られたであろう栄光と、現実に味わっている屈辱の落差にヒューズの顔が歪む。怒りで握られた拳はシルバーへと向かった。
しかし、その拳がシルバーに届くことはない。ヒューズの体は差し出しされたシルバーの手に弾かれるように壁に叩きつけられる。
やはり、目の前の美しき男は聖なる存在なのだ。人々がそう思ったとき、シルバーが静かに宣言をした。
『人が聖女を定めるなど、滑稽なことだ。――少女らを自由にせよ』
シルバーの言葉にどよめきが祈祷舎に広がる。
聖女というものは神から与えられし光、人々の希望なのだ。遥か昔から、信仰会と王家がその決定権を持つ聖女という存在を、不可思議な力を持つこの男は否定したのだ。皆が動揺するのも無理はない。
「ですが、我々に聖女さまは必要なのです! そのために今まであなたさま方は特別な御力を持つ者たちを我々の元に授けてくださったのではないのですか!?」
救いを求めるかのように床に触れ伏したスタイロンが声を上げる。周りの者たちも同じようにシルバーを見つめた。気の毒な者を見るかのようにちらりとシルバーが男たちを一瞥する。
『それをお前たちが選定するなどおこがましいとは思わぬのか? 聖女は選ぶものではない。いつの世も、神や私が認めた聖女がその力を正しく行使してきた。……時に貴様らが選んだ偽りの聖女の代わりにな』
「…………それは……」
スタイロンや他の者たちは全てを見通すかのようなシルバーの青い瞳から目を逸らした。今日もまた、エレノアかウィローかを聖女にするつもりでこの聖リディール正道院へと足を運んだのだ。自分たちの利になる聖女を見つけるために。
首を傾げたシルバーは祈祷舎にいる者たちを見渡して言い放つ。それは決して大きな声ではないが、皆の心にまで響く。
『今後も聖女を選定するのならば、好きにするがいい。だが、忘れるな。聖女を見出し、力を渡すのは神かその遣いである我なのだ。再び、かつてのような大地が広がる可能性をゆめゆめ忘れるな』
そう言って美しいが凄味のある笑みを浮かべるとシルバーの体は溶けるように消えていく。エレノアが駆け寄ろうとすると、こちらを見たシルバーが再び笑みを浮かべた。それは先程のものとは異なる柔らかで温かいものだ。
「シルバー……!」
手を伸ばそうとしたエレノアの前には、祈祷舎に差し込む日の光だけが残った。
まるでそこには始めから何もなかったかのように、シルバーは消えてなくなった。
驚きに見開いたエレノアの紫の瞳からは、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。
ふわふわと柔らかい毛並みと青い瞳、その存在がエレノアのここでの生活の力となった。聖女がなんなのかはエレノアには未だわからない。
だが、シルバーに与えられた力で作った菓子は多くの者たちの笑顔を作り出したのだ。
「ありがとう、シルバー……」
シルバーがいた場所にしゃがみ込んだエレノアは、涙が零れるのも構わずに別れを惜しむ。銀の髪が光を受けて輝き、それは聖女であるかのように清らかな姿であった。
しかし、そんなエレノアを聖女だと言う者はいない。
神の遣いの怒りを買う恐れは、聖女を選定することで生まれる利益より勝るのだろう。かつて大地が涸れ果て、荒れたことは国にとっても信仰会にとっても忘れ得ないことなのだ。
こうして、今回の聖女選定の問題は大いなる力の元に消え去った。
しかし、それも長くは続かないことだろう。時代が変われば、同じことが必ず起きる。人は忘れ、過ちを繰り返すものなのだ。
だが、この日この聖リディール正道院で起こったことは時代が変わっても伝えられ、神への崇拝と畏怖となり伝わっていくだろう。
そこにいたエレノア・コールマン、異世界からの魂を持つ少女が聖女であることは歴史に残らぬままだ。
それでも彼女が復活させた聖なる甘味は時代を越えて、正道院に残り、やがて身分の差を越えて民へと広がっていく。
遠い未来でも彼女の聖なる甘味で誰かが笑顔になっている。
「菓子を作って誰かを笑顔にする」そんなエレノアの意志はそうして受け継がれていくのだ。
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7/20と7/21は6時と12時の二回更新です。
エピローグ+SS3本です。
SSはほのぼのを目指しました。




