第55話 三人の聖女候補 2
今日もまたエレノアの元には兄からの魔法鳥が届く。手紙の内容は今度もまたエレノアを案じるものであろう。
国を出ることも辞さないという兄の想いはカミラと同じ、エレノアを想うがゆえのものだ。
もし、聖女の力がなければ、あるいはハルとして生きた記憶がなければ、エレノアも国外へ出ることを考えたかもしれない。
しかし、今のエレノアには聖リディール正道院で過ごした日々がある。聖女候補であるリリー、正道院長であるイライザ、共に過ごした他の仲間たちを放ってはおけないのだ。
そんなエレノアの想いを悟ったのか、シルバーが楽し気に呟く。
《やはり、汝は清らかな魂を持つ子だな。我が見込んだだけはあるぞ》
「あら、私はまだあきらめていないのよ? お菓子作りにスローライフ、第二の人生をエンジョイするんだから! そうだわ、聖女になっても出来るかもしれないわね! 聖女が作った聖なる甘味なんてどうかしら?」
困難な状況でも笑うエレノアの姿に、カミラは心を打たれて涙する。エレノアが困ったようにカミラの涙をハンカチで拭うが、その行為にまた感動し、拭っても拭ってもカミラの涙は止まらない。
「もうカミラったら。言ったでしょ? 私はまだエレノア・コールマンとして生きる未来を諦めていないんだからね。あなたも最後まで応援して?」
「はい! 最期のときまでご一緒致します!」
びしょびしょになったハンカチを受け取ったカミラは今度は喜びの涙を溢し、慌てて自分のハンカチで顔を拭う。
少々行き過ぎたところもあるが、献身的なカミラの存在に転生する前も、転生してからも支えられてきたのだとエレノアは思い、微笑む。
聖女となる可能性が高く、覚悟も決めているが、それでも自分の人生を歩む可能性を捨てるつもりはない。
兄からの手紙、カミラの涙、まだまだ自分の人生を諦めないと誓うエレノアであった。
*****
祈祷舎で一人、メラニーは祈る。こうして静かに神に祈りを捧げられるのはいつ振りのことだろう。ヒューズがヴェリテルの町に訪れてから、あの静かな田舎町は一変してしまった。
それはメラニーの生活、何よりウィローという少女の人生を大きく変えたのだ。
いつどこで選択を間違えたのか、そんな思いはメラニーの心から消えることはない。今もまた、縋るような思いで神に祈る。せめて、ウィローという少女を救ってほしいと。それは既に正道院長としての力を失った彼女の心からの願いだ。
「何を祈っているのですか? メラニー」
「…………イライザさま」
振り向くとそこには正道院長であるイライザの姿があった。毅然とそこに立つ凛とした姿からは上に立つ者の威厳と責任感が伝わる。
メラニーが持つことが出来なかった強い意志をイライザは持っている。それは聖女候補であったときと変わらない。むしろ年齢と経験を重ねた彼女からは、あの頃になかった包容力すら感じられた。
「イライザさま……彼女を、ウィローを救ってください」
「――メラニー、一体何があったのですか」
イライザの言葉にメラニーは目を伏せる。
始まりは些細なことだった。しかし、その小さなきっかけからギル・ヒューズはヴェイリスの正道院のみならず、町全体を自分の支持者に変えたのだ。
彼を信奉する者が増える中、メラニーの声は周囲の人々に届くことはなかった。ヒューズを否定するメラニーの発言は、受け入れられることはなく、却って反発を呼ぶだけであった。
目の前にいるイライザは一体どのような反応をするのだろう。既に手紙を出し、ヒューズのことは伝えている。だが、メラニーを見つめるその瞳には拒絶の色は見られない。
メラニーは動揺する心を静めるように深く息を吐き、イライザにこれまでの事情を打ち明ける決心を固めるのであった。
「出会った当初のギル・ヒューズは非常に友好的な人物でした。自らを貴族の出自だと話し、正道院への寄付を申し出てくれたのです。小さな田舎町では外からの来訪者は新鮮な存在で、人々は彼に関心を持っていました。それはヒューズにとっては予想通りだったのでしょう」
その当時に思いを馳せるようにメラニーは話を続ける。ヴェリテルの町に訪れた当初、ギル・ヒューズは好意的な姿勢を崩さなかったのだろう。小さな町に訪れた男に、皆の注目が集まるのも当然のことだ。
イライザは口を挟まず、メラニーの話に耳を傾ける。
「彼は町の人々を魅了し、巧みな話術で自分の味方へと変えていった。正道院でも彼を慕う者たちが増えていきましたが、そのことに私が危惧を抱くことはありませんでした。私も支援してくれる彼をすっかり信頼してしまった。――気付いたときには遅かったのです。彼は町の有力者たちも味方にし、正道院長という立場から、私を追いやったのです」
しかし、そんな権限をヴェリテルの誰も持ってはいない。それを行使できるのは信仰会の上層部くらいであろう。
イライザの考えは表情に出ていたようで、メラニーは悲し気に微笑む。本来あり得ないことがヴェリテルの町で起きた。一人の男の言動で、皆が唆され、踊らされている。その甘言で人々はギル・ヒューズを特別な存在であると崇めるようになった。そして、彼は正道院長の立場を手に入れたのだ。
ギル・ヒューズという男が穏やかな街を一変させた。
「信じられないことですが、これが事実なのです。正道院長の座を手にした彼はある日、ウィローを聖女候補だと断言しました。身内がおらず、無口なあの子を聖女に仕立て上げ、自らがその管理者となることを思いついたのでしょう。小さな町一つでは物足りなくなったヒューズは、さらに上の地位を目指すことにしたのです」
聖女を保護する存在であれば、信仰会も王家すらもないがしろにはしない。聖女を利用することで、王都でも名を馳せる人物となれるのだ。それは上昇志向や権力への憧れが強いヒューズにとって魅力的な展望であったことだろう。
「あの少女を救えるかはわかりません。彼女が何を望んでいるのか、わからないのですからね」
「確かにウィローは滅多に話すことはありません。ヒューズが訪れてからあの子はさらに笑わなくなってしまった。ですが、自らを利用する者といることがあの子の幸せになるとは思えないのです……!」
じっとメラニーを見つめたイライザははっきりとした言葉で言い放つ。
「私は正道院長として、今回の顔合わせを任されています。そこに他者の利益や希望を入れるつもりはありません。三人の聖女候補者、すべてに同じ課題を課すつもりです。……残念ですが、あなたの願いを聞き入れるわけにはいかないのです」
「……そうですね。ウィローの問題はイライザさまにはご関係のない話です。ご迷惑をおかけしました」
去っていくメラニーをイライザが振り返ることはない。
一人になったイライザは左胸に右手を置き、祈りを捧げる。正道院長という立場についても、迷うこと悩むことは尽きない。むしろ、責任ある立場ゆえ、苦労を抱えることも増えた。今回の三人の聖女候補のこともその一つだ。
イライザは浮かび上がる不安や葛藤を振り払い、ただひたむきに神に祈りを捧げるのだった。
「もし、聖女さまになってもリリーのことを、リリーって呼んでもいいの?」
「当たり前でしょう? マーサこそ、友達のままでいてね」
「ふふふ。そっか、じゃあ心配が二つ減ったかも! あとはねー……」
聖女になる自信などさっぱりないリリーだが、エレノアのためにせめて目眩しにでもなれればいいと考えている。実際の能力で言えば、自分が三人の中でも劣ることは十分に知っていた。
しかし、目の前の友人が懸命に聖女になった場合でも、変わらない関係を願うことには気恥ずかしさもあるが、それ以上に喜びを感じる。
廊下を歩く二人の前に、同じようにこちらへと向かってくる二人の姿が見える。
「あ、あの子よね。聖女候補のウィローって子」
「本当だ。こんにちは!」
「ちょ、ちょっとマーサ……!」
向かってくるウィローと付き人のクレアにマーサは大きな声で挨拶をする。思いがけないマーサの行動にリリーは慌てるが、クレアは二人を一瞥すると眉をしかめる。ウィローはただクレアの後をついて歩いているだけで無反応だ。
そのウィローの手をクレアが強引に引き、バランスを崩し、転倒しそうになる。
それを近くにいたリリーがさっと抱き留めた。
「大丈夫? えっと、ウィローさん」
「…………っ」
リリーを見たウィローが口を開こうとした瞬間、再びクレアが強引に手を引き、歩かせる。遠ざかっていく二人の背中を黙って見つめていたリリーに、気遣うようにマーサが話しかける。
「凄く、軽かった……」
「え? あの子のこと?」
「うん。私たちと同じくらいの身長なのに、すっごく軽かったの」
マーサも去っていくウィローの背中を見つめた。
強引に連れ去るその姿からはウィローを大切にする思いは感じられない。
聖女候補となったウィローという少女が、周囲の者にとってどんな存在であるかを知るには十分な場面である。
同い年くらいの少女ウィローへの扱いに、二人は不安げにその姿を見送るのであった。
祈りを終えたイライザは祈祷舎で一人、佇んでいた。三人の聖女候補への課題、それを下す覚悟を決めたのだ。
メラニーから手紙が届いたとき、一瞬イライザの脳裏にエレノアへ相談するという考えが浮かんだ。けれど、イライザはそうしなかった。
厄介な問題に巻き込むことを恐れたこと、何より正道院長である責務を自身で背負う覚悟ゆえだ。課題もまた、誰にも相談することなく決めたのはそんな思いからである。
「聖女とは一体何なのでしょうね」
そんなイライザの呟きに答える者は誰もいない。
長年の問いの自分なりの答えを課題に込めたイライザは、祈祷舎を後にした。




