第52話 降らない雨と聖女への期待 3
あれから数日経つが、雨は降り続ける。
王都にもこの聖リディール正道院にも大地を潤すには十分な雨が降った。
今日もまた、静かに雨が降る。
窓の外に降り注ぐ雨をエレノアはじっと見つめていた。
(私は何者なのだろう)
転生をしてハルの魂を持ちながら、エレノアの身体と記憶も持ったまま、新たな人生を踏み出した。しかし、ここに来てエレノアは聖女の力を改めて認識したのだ。
それは菓子を作っていたときには抱くことのなかった戸惑いだ。菓子を作るという行為はハルであったときも行ってきた。魔法で出した調理器具もかつて使っていたものと大差ない。
だが、晴れ上がった空に雨を降らせる――その行為は奇跡に近いものだ。
自身が起こしたその奇跡に、彼女自身がもっとも動揺し、戸惑っていた。
(聖女の力を持っていても、過去の聖女たちのような覚悟もない。ハルでもエレノアでもなく、聖女にもなり切れない。中途半端な存在だわ)
「お嬢さま、よろしいでしょうか」
そんなエレノアにカミラがそっと優しく声をかける。
ここ数日、部屋から出ないエレノアを案じて、尋ねてきた者がいるのだ。
ストロベリーブロンドの髪を持つ少女は、初めてこの部屋を訪れたときと同じように緊張した表情を見せる。
「リリー、来てくれたのね」
「はい。お見舞いと……エレノアさまに感謝をお伝えしたくって……」
「感謝……?」
その言葉を聞き返すエレノアを、真剣な眼差しでリリーは見つめ返す。きゅっと口元を引き締めたリリーは背筋を伸ばしたまま、エレノアに向き合った。緊張し、震えそうになる手をぎゅっと握り、リリーは口を開く。
「御力を使い、雨を降らせてくださいました」
「!!」
カミラは驚き、弾かれたようにリリーを見つめ、エレノアは目を見開く。しかし、リリーは緊張しつつも、まっすぐにエレノアを見つめている。
エレノアが聖女であること、それはカミラとコールマン家の人々の秘密だ。
だが、ここにいるリリーはエレノアが聖女であることを確信していた。
「何を言っておられるのか私たちにはわかりません。お引き取り下さい!」
エレノアを守ろうとカミラがリリーに近付こうとする。けれど、それをエレノアが左手をかざし、止めた。
リリーの眼差しがあまりに真摯であり、純粋なものであったからだ。彼女がエレノアへ来たその意図、そして発言の意味を知る必要がある。
エレノアの反応に、リリーは再び口を開く。
「私たち、庶民は天候に生活を左右されます。食べるものも自分たちで育てているのです。このまま、雨が降らなければ、皆飢えていたかと思います」
リリーの言葉通り、雨が降らないことで最も苦しむのは今現在、困難な状況にいる人々だろう。そう思ったからこそ、エレノアは雨を降らす決心をしたのだ。
「エレノアさま、いえ、聖女さま。私たちをお救い下さり、ありがとうございます!」
リリーは頭を下げ、エレノアへと感謝の言葉を伝える。その姿に、エレノアは聖女であることを否定も肯定も出来ず、見つめた。
そんなエレノアに、リリーのかすれるような声が聞こえる。
「……私も聖女に憧れていました。家族を救い、誰かを支える人になりたかった。だけど、いつの間にか、聖女になることが目標となってたんです。そんな私の祈りは間違っていたかもしれません。エレノアさまのお姿を見て、そう感じます」
リリーの言葉にエレノアは困惑する。自分は決して、そのような特別な存在ではないのだ。聖女になりたいなど、崇高な思いを持ってはいない。
誰かのために懸命に真夜中まで祈っていたリリー、彼女の方がずっとひたむきで美しい祈りの持ち主であるようにエレノアには感じられた。
そんなエレノアの近くに歩を進めたリリーは、エレノアを見つめ、断言する。
「ありがとうございます、エレノアさま。私、決して誰にもこのことは口外いたしません。今までもこれからも、絶対に秘密を守り通します! ……今日は、感謝とそのことをお伝えしたくて参りました。まだ、体調も整わない中でお時間を頂き、感謝いたします」
そう言ったリリーはもう一度頭を下げて、カミラに視線を移す。ハッとしたカミラはドアの向こうまでリリーを見送る。
小さな背中が遠ざかっていくのを見つめていたエレノアに、ドアの前で振り向いたリリーは再び頭を下げた。
その瞳は純粋な好意と感謝に満ちたもので、自身の行動に未だ迷いを抱くエレノアを肯定するように感じられる。
「私の行動で誰かが助かったのなら、それは間違いではなかったのかしら……」
エレノアの問いかけに答える者はいない。
神の遣いであるシルバーはただじっとエレノアを見つめる。
今日もまた静かに降り注ぐ雨は、人々の心に安心をもたらしていた。
しかし、その雨を降らせた少女エレノア・コールマンは、今なお、自分の存在や力をどう受け止めてよいのか、一人悩み、考えあぐねていた。
*****
歪んだ祈りで正しく神の恵みが大地に広がらない中、エレノアは雨を降らせ、大地を潤した。その際に使った魔力は大きく、エレノアの身体にも少なからず影響を与えていた。
何より、強大な力を自身が使ったことによる、心理的影響が最も大きかったのだろう。エレノアは自室で休み、ここ数日を過ごしている。
そんな彼女の元に魔法鳥で兄と父からの手紙が届く。王都にも降り注いだ雨、そしてカミラからの手紙でエレノアの状況を知ったのだろう。手紙には彼女を案じる言葉や、場合によっては国外へと向かうことすら綴られている。
「国外逃亡だなんて……これを誰かに見られたら、どうするつもりなのかしら」
「そのときこそ、お嬢さまが自由になられるときです! もちろん、私も同行いたします!」
《おおっ、面白くなりそうだな。我も連れていくのだぞ》
「当分、その予定はありません。もう皆、思い切りが良すぎるわ」
「……民のために御力を使われたお嬢さまがおっしゃるのですか?」
カミラの言葉には答えず、肩を竦めた。だが、その口元には笑みが浮かぶ。
父ダレンと兄カイルからの手紙、そしてカミラとシルバーの言葉に今後何が起こっても、もう一人になることはないのだと実感したのだ。
未だ、自分が何者なのか戸惑いを抱くエレノアだが、彼女の力を知っても離れず、案じてくれる人々が確かにいる。
そのとき、ドアがノックされ、カミラが様子を見に行く。手にしていた手紙をサイドデスクにしまうエレノアに、賑やかな声が聞こえてくる。
カミラが許可を取りに来る前にわかるその声は、マーサ、そしてそれを嗜めるアレッタの声である。くすくすと笑う声はグレースのものだろうか。
サイドテーブルの上には菓子や手紙が上がっている。皆が自室にこもったエレノアを案じ、尋ねてきてくれていた。
そんな彼女たちに救われる思いになるエレノアであった。
*****
《眠れぬのか? 清らかな魂の子》
「……シルバー」
雨が止んだ後、曇りのない空には星が輝く。そんな空を一人、ぼんやりと眺めているエレノアを案じたのか、シルバーが声をかけてきた。
困ったように微笑みながら、エレノアは空を見上げる。
《汝が何者であろうとも、その清らかな魂は変わらぬ》
「清らかかは自信がないけれど……でも、今の私を心配してくれる人もいるのね」
シルバーの言葉にエレノアは目を伏せる。
ハルであり、エレノアでもある存在。それはシルバーと彼女本人だけが知る秘密である。しかし、今の彼女を案じる人々が側にいる。
祖父母を亡くし、孤独を感じつつ生きて来たかつての自分に、今はこうして多くの人々がいる。
「これからどうなっていくのか、私にはわからないし、それが怖くないと言えるほど、強くはないわ」
《……そうか》
「でもね、同じことが起きたら、きっと私はまた力を使うと思う。見て見ぬ振りをすることは出来ないし、自分に出来ることはしたいのよ」
《……ふ、やはり汝の心は清らかだな》
雨が降ったことで、人々の生活が安定するのも間違えのない事実だ。
この力が発覚せずとも、エレノアの地位や魔力を利用し、聖女候補として立てようとするだろう。エレノアの立場を考えれば、聖女ウィローやヒューズの問題を避けることは困難である。
それでも、自分に出来ることから逃れようとはしないその心は美しいとシルバーは思う。
エレノアの紫の瞳は先日までとは違い、いつもの輝きを取り戻し、いきいきと輝くのであった。
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