第51話 降らない雨と聖女への期待 2
明日も朝6時に公開します。
聖女ウィローとギル・ヒューズの噂は瞬く間に王都中に広がった。それだけ、人々の間に不安があったということだろう。
信仰会の上層部は自らと関係のない集団であることを主張した。信仰会より生まれた者ではあるが、彼らは聖女ウィローとヒューズを信仰の対象としている。
そもそも、聖女かどうかを認めるのは信仰会の上層部が認定し、王へも報告してきたのだ。その規律を乱す存在を彼らが聖女と認めるわけがない。
「偽聖女がエレノアを隠すのに都合がいいと思っていたのですが、ここまで大事になると問題ですね。庶民の出のウィローという少女にギル・ヒューズという胡散臭い男、信仰会や貴族たちは高貴な生まれの者を自分たちの聖女として立てたがるでしょうね」
「その候補に挙がるのはエレノアの可能性が高いな」
「当然です。うちのエレノアほど、魔力が豊富で美しく気品があり、他者に寛容な聖女にふさわしい心の持ち主はいませんからね。しかし、王都までここまで話題になれば、国も信仰会も放っておかないでしょう」
偽聖女がエレノアから目を逸らすために有効かと考えていたカイルとダレンだが、ここまで話題になると信仰会側も聖女候補を立てる可能性がある。
雨が降らねば、話は終わるのだが、もうすでに三週間雨が降らないのだ。ヒューズが言った十日間以内に雨が降る可能性は高いだろう。
それでも、雨を待つ人々にはまるで聖女ウィローの祈りが起こした奇跡のように思えるはずだ。ヒューズはそれを聖女である彼女の力として、さらに人々の信頼を集めるつもりなのだ。
そうなれば、信仰会や貴族、国も自分たち側の聖女候補を立てる。その候補に確実にエレノアの名は上がるであろう。
「エレノアにこのことを報告しますか?」
「まずはカミラに伝えるべきだね。しかし、聖リディール正道院にいるということは、あの子を人質に取られているようなものだ。王都からは距離があるが、エレノアは攻撃魔法は封じられているからね」
めずらしく苛立ったような父ダレンの言葉に、カイルもまた眉間の皺を深める。何よりも優先すべきはエレノアの安全と心身の自由である。
だが、このままの状況が続けば、家格や優秀さゆえにエレノアは聖女候補に名が上がるだろう。「聖なる甘味」の復活で、信仰会の名を上げたことも悪くなったエレノアのイメージを払拭した。
ダレンとカイルからすれば当然の評価ではあるが、それによってエレノアの自由がなくなるのであれば他人の評価など不要であると二人は思う。
「私がカミラに手紙を書きます。ですが、優れていることがあの子の足枷になるとは……うんざりしますね」
「もし今後解決出来ない問題があるならば、エレノアを連れて、お前とカミラがこの国を出てしまえば良いだろう?」
「……よろしいのですか?」
その思いはもちろんカイルにもあった。
しかし、侯爵家次期当主であるカイルと妹のエレノアがこの国アスティルスを出る可能性を、現当主であるダレンが口にするのでは意味が異なる。
その後の批判や家の存続の問題、全て背負うのはダレン一人なのだ。
「構わないよ。彼女がこの世界を旅立ったときより、優先すべきものが私の中で変わったんだ」
「…………わかりました。カミラへの手紙を用意して参ります」
そう言ってカイルは部屋を後にする。残ったダレンは一人夜空を見上げた。
星空が広がる空は明日の晴天を告げている。民のためには降ってほしい雨ではあるが、雨が降ればヒューズたちはその功績を喧伝するだろう。
雨が降らない日々がすでに三週間続いている。十日以内に雨が降る確率は極めて高い。同時に今後も十日間雨が降らないのは、人々の不安を煽り、生活にも困難を強いることになる。
「あと十日か……長いな」
小さく呟いたダレンの声にはかすかに焦りが滲む。
夜空には綺麗な星空が広がり、明日もまた曇りなき青空の一日となるだろう。
民の心とは裏腹な天候に、ダレンは深いため息を溢した。
*****
「今日も晴天ね……良い天気、なんだけれどこのまま雨が降らなければ大変なことになるわね。早く雨が降ればいいんだけれど。ねぇ、カミラ」
「……そうですね」
窓の外を見たエレノアの言葉に、カミラは曖昧な返答をする。昨夜届いたカイルからの魔法鳥に託された手紙の内容が頭から離れないのだ。
雨が降らねば民が苦しみ、雨が降ればエレノアが聖女候補に挙がる可能性が出る。どちらの結果も喜べるものではない。
そんなカミラの気も知らず、シルバーはなんということでもない様子でエレノアに伝える。
《清らかな魂の子が願えば、雨を降らすことなど容易いことだ》
「え、私が雨を降らせられるの?」
エレノアは不思議そうに口に出すが、カミラはびくりと肩を震わせた。
《菓子作りにも水は必要であろう》
「確かに、お菓子作りにも水は必要よね。それに材料を育てるにも水が必要だわ。え、本当に私が雨を降らすことが出来るの? もう三週間以上、雨が降らないのよ?」
エレノアの言葉にシルバーは不快そうな表情を見せる。それはエレノアに対しての感情ではない。雨が降らないこの状況を作り出した元凶へのものだ。
三週間も雨が降らないのは異常事態だ。しかし、このアスティルスではそのような状況が過去にもある。最も長く続いたのは伝承として残る飢饉や災害の続いた魔の数年間である。神の怒りに触れたものだと言われているものだ。
《逆だな。雨が降らない理由にこそ問題があるのだ》
「雨が降らない理由……? 異常気象とか自然の現象じゃないの?」
《いや、ゆがんだ祈りが悪影響を与え、神の力の妨げとなっているのだ。正しき祈りは神の力に、誤った祈りは恵みを歪める。今、神の恵みが正しくこの地に広がらなくなってしまっている》
「それは……誰の祈りなの?」
エレノアの問いかけにシルバーは首を振り、怒りを吐き出すように口を開く。
姿こそいつものシルバーと変わらないが、その佇まいからは崇高さと気高さがあ滲み出て、彼が神の遣いなのだと実感させる。
《聖女を騙る者たちとそれを信仰する者たちの歪んだ祈りと願いが、この地にもたらされる正しき恵みを妨げているのだ。不純な思いは澱みを生むのだ。遥か昔、信仰会が聖女の力を振りかざし、国も荒れ、人々は傷付けあった。そのときも数年、土地は枯れ上がったであろう。汝も知っているはずだ》
それはエレノアも知る歴史上の出来事である。しかし、それは自然が与えた災害であり、信仰と結び付けて考えたことがなかった。信仰会ではそれを聖女が救ったと伝えていたが、コールマン家では信じてはいなかったのだ。
だが、こうしてシルバーの言葉で聞き、何より数週間雨の降らないこの状況では実際の出来事として重く響く。
「もし、雨が降ったなら、現状は変わるものなの? もちろん、雨が降ることによって人々は安心すると思うわ。でも、彼らの祈りを変えることは出来ないわけでしょう?」
《そうだな。雨を降らすことで澱みをなくし、この地の恵みは正しく降り注ぐだろう。けれど、それも一時のこと。再びあの者たちは歪んだ祈りを捧げてしまうだろう。それは我にはどうすることも出来ぬ》
シルバーの言葉にエレノアは唇を噛み締める。人の想いや心はたやすく変えられぬものではない。しかし、それが他者や自然に影響を与えるのを手をこまねいて見ているほど、エレノアは無関心ではいられない。
自らに出来ることで誰かが救われるというならば、その力を使うべきだとエレノアは考えたのだ。
「ねぇ、カミラ。私の力を使えば、雨を降らせることが可能だとシルバーは言っているの。残念だけど、一時的なもので再び不純な祈りや願いが高まれば、同じような状況が起こるらしいわ。それでも、何もしないではいられない。私が雨を降らせるわ」
エレノアの言葉にカミラは青ざめる。昨夜、届いたカイルたちの手紙には雨を降らせると聖女を騙る者たちが豪語したと書かれていた。
今、この状況で雨が降れば、彼らを聖女と信じる者たちも増えるだろう。そのうえ、エレノアを聖女候補として王家や正道院は立てることが考えられる。実際、その力がエレノアにはあるのだ。
「どうか、考え直してください。お嬢さまが雨を降らせれば、確かに民は不安から救われます。ですが、お嬢さまを聖女と祀り上げる者たちが現れて、自由や権利を奪うことでしょう。そのようなこと、ご当主様もカイルさまもお望みになりません! ……もちろん、私もです」
黒曜石のような瞳が潤み、カミラの必死さを伝える。そんな彼女にエレノアは微笑む。自分をこんなにも思い、案じてくれる者が側にいてくれる。それはなんと心強いことだろう。そう思ったエレノアは、カミラの両手を包み込む。
「ありがとう、カミラ。私ね、本当は怖いの。だって、私はエレノア・コールマンで聖女なんかじゃない。今まではただお菓子を作ってきただけで、特別な力だなんて感じていなかったの。――でも、今回はそうはいかない」
祈ることで雨を降らせる――それは聖女の力に他ならない。力を行使することで、今まで認めていなかった聖女としての自分を、エレノアは自覚せざるを得ないのだ。
自身が何者なのか。その不安を抱え、エレノアはこの聖リディール正道院を訪れた。迷いつつも、周囲の人々が認めてくれることで、自分の在り方や居場所を見つけたつもりでいたのだ。
しかし、聖女であるということはエレノアだけの問題ではない。
その力を使うことで、人々はより多くの者をエレノアに求めることだろう。
「怖いのよ……。聖女って言われても困るわ」
「では、ご無理をなさる必要などありません! お嬢さまが苦しみ、背負うことなどないではありませんか!」
カミラの言葉は悲鳴にも近い。そんな彼女に頷くエレノアの瞳も涙で潤む。微笑んだエレノアはぎゅっとカミラの手を握る。
「でも、放っておくことも出来ないのよ。私はコールマン家の娘ですもの」
「……お嬢さま……」
そっとカミラの手を離し、シルバーの元へとエレノアは歩き出す。その華奢な背中をカミラはじっと見つめたまま、立ち尽くす。
手を伸ばせば届くであろうその背中は、遠く尊く見えて、触れることを拒むようにカミラには思えたのだった。
*****
王都の一角、粗末な屋敷を人々が取り囲み、様子を窺っていた。
そこには聖女だと名乗る少女ウィローと彼女の信奉者たち、そしてギル・ヒューズと名乗る男が数日前から過ごしていた。
少女は祈りを捧げ続け、傍目にも衰弱して見える。一方、そんな彼女を前にヒューズは不遜な態度を崩さない。彼を崇拝する者が常に側にいて、尽くし称賛を口にする。
聖女候補である少女とその保護者ヒューズ、奇異な関係であったが、それを口にする者はこの場にはいなかった。
そのとき、雲のない青空からぽつり、ぽつりと何かが零れた。
「――これは……雨か?」
「雨だ……! 雨が降ったぞ! 聖女候補、いや、聖女さまが雨を降らせたぞ!」
「奇跡だ……聖女さまが起こした奇跡だ!」
晴れ渡った空にもかかわらず、雨はパラパラと降り注ぐ。濡れるのも構わず、人々は外に出て、その喜びを全身で表現する。
ヒューズは口元を緩めながら、屋敷の外へと歩み出る。雨が降るのは予測していたことだ。勝算の高い賭けではあったが、勝利にヒューズは高揚する。彼の姿を見た人々は口々に賞賛の言葉を口にした。
ヒューズは両腕を広げ、空に掲げたまま見上げ、笑う。
清々しい青空からは雨が降り注いだ。
「しっかりして、ウィロー! ウィロー、聞こえますか?」
皆が外へ出て雨を喜ぶ中、メラニーはウィローを抱きかかえる。祈りを終えて、気を失った少女ウィローの華奢な体を必死に抱き締め、声をかけた。
同じ時間、エレノアもまた倒れ、カミラが彼女へと駆け寄った。
願い祈った二人の少女は疲労し、意識を失った。
雨は降り続ける。
大地を潤す恵みの雨に人々は歓喜していた。
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