第50話 降らない雨と聖女への期待
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夜、窓をすり抜けて舞い降りた魔法鳥が届けたのは兄からの贈り物と手紙だ。
届けた魔法鳥はエレノアの手に頭を寄せ、甘えるような仕草を見せる。以前、エレノアが与えた焼き菓子の味を覚えているらしい。
砕いたクッキーをエレノアが渡すと手の平を傷付けないように、魔法鳥は上手く食べていく。綺麗に食べ終えると満足したようでほわりと消える。
「お兄さまから届いたのはココアパウダーね。最近、新しい製法が見つかったらしくって従来の物より飲みやすくって美味しいらしいの。お菓子作りにも使えるに違いないわ!」
「貴重なものをお贈りくださったんですね。流石、カイルさま。お嬢さまの御心を良く分かってらっしゃる」
届いたココアパウダーはハルの記憶にあるものと遜色がないものだ。砂糖と牛乳で飲むのはもちろん、菓子作りにも使えるだろう。カカオは他国から輸入されてはいたが、今まではペースト状のものであった。
ココアパウダーになれば脂肪や苦みが減り、飲みやすくなったのはもちろん、菓子作りにも向く。そのうち、チョコレートもこの国で作られるのではとエレノアの期待も高まる。
パウダーを器に入れて香りを確かめたのだが、それをちろりと舐めたシルバーは顔をしかめる。
「やだ、そのままじゃ美味しくはないわよ。これにお砂糖とかを入れて味を調えるのよ。このまま使うときは、そうね、苦みで甘さを引き立てたいときね」
「ふふ。意地汚いのが悪いのです。たまにはこのような事があっても良いのかと思います」
《む。我は好奇心旺盛で新たなるものの知識を得ようとだな……》
もっともらしいことを言うシルバーの口の周りにはココアパウダーが付いていて、エレノアはくすりと笑う。
しかし、兄の手紙に視線を戻すと少々気になることも書かれていた。
「やはり、王都でも雨は降らないらしいわ。最近、こちらでも雨が降らないでしょう? 農作物への影響も心配だし、今後の水不足に繋がらないといいのだけれど」
思案顔のエレノアにカミラは目を伏せる。
ここ二週間ほど雨が全く降らない。これが今後も続くようならば、エレノアの言う通り、多くの人々の生活に問題が起きるだろう。そして、その影響をもっとも受けるのが現在も困窮する人々なのだ。
自然のことであり、解決方法がないため、首を軽く振り、エレノアは他のことへと意識を向ける。
そんなエレノアをシルバーは何か言いたげに見つめているのだった。
*****
正道院長室でもその夜はまだ明かりが灯っていた。
その部屋の主、イライザは届いた手紙を見て、重いため息を吐く。所々汚れや折れのある手紙の差出人はかつて同じ正道院で共に学んだメラニーからのものだ。
文面を何度も読んだイライザだが、内容を理解するまでに時間を要した。そして今は、今後の行動について頭を悩ませている。
「メラニーがヴェリテルの正道院長になっていたとは……」
ヴェリテルは今、聖女候補ウィローで話題になっている村である。そのヴェリテルで起こっていること、その警鐘とウィローを救ってほしいと願う手紙を受け取ったものの、どう扱うべきか判断に迷っていた。
必死で書いたであろう手紙には、ギル・ヒューズという男の危険性、そして自身が何も出来ずにいたことへの後悔、最後に頼れる者がイライザしかいなかったのが綴られている。
信仰会の上層部へと知らせるべきかとイライザは初めに考えた。
しかし、それを思いとどまったのは上層部の考えと自分の考えが必ずしも一致するとは言えないのではという危惧だ。
信仰会として良い判断が、メラニーの望みを叶えるものとは限らない。イライザの元に届いたこの手紙は彼女の必死の覚悟の証だ。
窓の外を見つめたイライザの瞳に飛び込んできたのは、正道院長室と同じ高さにあるエレノアの部屋の灯りである。
「エレノア研修士はコールマン侯爵家のご息女、公正で信仰会にもある程度の距離を保たれていたはず……」
何よりエレノアの柔軟な考えはこの聖リディール正道院へも新しい風をもたらした。外の世界を知る彼女であれば、自分にはない発想や手段を持っているのでは――そんな期待がイライザの胸によぎる。
暗い窓の外に灯ったエレノアの部屋の光、それは海の上で彷徨う船を導く灯台の灯りのようにイライザには感じられた。
*****
王都ではある集団が話題になっていた。田舎町ヴェリテルから訪れた一行は聖女だという少女を連れて、王都のあらゆる場所で「雨を降らせる」と豪語する。
初めは異様な集団を恐れていた人々だが、ギル・ヒューズと名乗る男の堂々たる態度や言葉に次第に希望を見出す者も増えてきた。
雨が降らなくなって三週間になる。地面は乾燥し始め、井戸の水を皆で分け合うが、それもいずれ尽きるのではないかという不安は人々の関係を不安定にしていた。
「王都の民よ! 私はギル、ギル・ヒューズだ! 我々が来たからにはもう案ずる必要はない! このまま雨が降らねば、次第に地面は乾き、草木は枯れ、皆はいずれ飢えることであろう! この状況を憂うばかりで何もしない信仰会とは我々は異なる!」
今日も街の一角でヒューズが朗々と声を張り上げる。その落ち着きと一種のカリスマ性に依然とは違い、一部の人々からは期待と興奮の視線が注がれる。聖女候補のウィローはヒューズの隣で静かに佇んでいた。
その隣には毅然とした態度の女性と、ウィローを案ずるように寄り添うメラニーがいる。聖女と言われるウィローにも期待と羨望が注がれるが、少女の表情からは何を考えているのかは読めない。
ヒューズの言葉はなおも続く。
「ここにいる聖女ウィローは正しき祈りを神に届ける者! 汝らを導く者である! 彼女の祈りで必ずこの国には雨が降るだろう!」
ヒューズの言葉に人々はざわめく。雨が降らないという不安は皆が抱いている。このまま、水不足が続けば飢饉の恐れすらあるのだ。王族や貴族たちは良いが、自分たちは日々の生活にも困ることだろう。
皆が縋るような思いでヒューズと聖女ウィローを見つめ、ざわざわと人々の声が広がっていく。
「それは本当なのか……?」
しかし、聖女であろうがなかろうが、このまま雨が降らないのを解決してくれるならばなんでもいいだろう」
「あぁ、そうだ。王や貴族は何もしてくれやしないんだ」
柔らかに微笑み、皆に両手を広げ、訴えるサンダースは内心で人々を嘲るように笑う。雨が降らず、既に三週間が経つ。しかし、今後雨が降らない可能性は低いとヒューズは考えていた。
その理由は彼が収集した情報である。三週間雨の降らないことはかつてもあった。だが、それが続いたことはないのだ。
十日間もすれば、必ず雨は降るだろう。聖女ウィローの祈りにかかわらず、自然の力で雨は降る。それはここ十数年の統計からも明らかである。
「聖女ウィローが皆のためにこれより十日間祈りを捧げる! この地には必ず雨が降ることだろう!」
力強いヒューズの言葉に皆は救いを見出し、歓声が上がる。乾燥した土に一滴の水がしみ込むように、人々の不安にヒューズの言葉がじんわりと染みていく。
人々が求めていたのは安心と保証、それをヒューズは差し出した。彼らが欲していたものを読み取ったのだ。
ヒューズと聖女ウィローへの期待と興奮は王都中に広まっていく。
それは彼の予想通りの結果であった。
その渦中にいる少女ウィローは表情も変えず、それは彼女の神秘性を高める一端となっていた。
そんな少女の隣でメラニーは悲しみに暮れる。この状況で、自らに出来ることは既にない。せめてウィローの世話をさせて欲しいと願い出ることしか、彼女に出来ることはなかったのだ。
(あの手紙はイライザさまの元に届いたのかしら。いえ、届いたとしても彼女が手を差し伸べてくれる保証はないのだけれど)
「ヒューズさま! 聖女ウィローさま! この御方たちは我らの村もお救いくださったのだ! 必ずや王都にも雨が降るであろう!」
「ヒューズさま! 聖女ウィローさま!」
村よりついてきた信者たちがヒューズとウィローを称賛し、それに王都の民たちも続くように声を上げ始める。その異様な光景に慌てて憲兵たちが駆け寄ってきたが、興奮は高まるばかりである。
異様な光景の中、聖女と呼ばれた少女ウィローは狼狽えることもなく、ただ静かにそこに立っているのだった。
暑い日が続きますね。
ご体調にお気を付けください。




