第49話 お手製ジャムとガトーバスク 3
皆の前に置かれたそれをグレースは緊張の面持ちで見つめる。
第三王妃サンドリーヌの母国、フレッテールで採れるディラという果実を使ったそのジャムをそれぞれ口にする。
ディラのジャムを塗ったパンを食べている間、当然だが誰も言葉を発さない。
試食の時間、エレノアはいつもこのような緊張の中にいたのかと、彼女のことをグレースは改めて驚かされる。
そんなエレノアが真っ先にジャムを塗ってパンを口へと運んだ。食べ終えたのも彼女が先になる。
グレースは急に緊張が強まり、顔も強張る。
「……凄く美味しいわ。流石、日頃作っているグレースね。ちょうどいい煮詰め具合で、菓子にも生かせそう! 酸味も香りもいいし、良いお菓子になるわ!」
「ほ、本当ですか?」
「もちろんよ。グレースが作ったこのジャム、きっとあの御方も気に入ってくださるわ。あとは私が頑張るだけね」
エレノアの言葉に安堵するグレースが周囲を見渡すと、皆も隣の者とジャムの味を語り合う。マーサやアレッタ、そしてスカーレットまでも、グレースが作ったディラのジャムを味わい、笑顔になっている。
このディラの実を使ったジャムを使った菓子は、第三王妃サンドリーヌにも同じように微笑みをもたらすことが出来るのだろうか。そんな思いがグレースの胸によぎる。
それはエレノアにも伝わったらしくグレースを見つめ、微笑みを湛えたまま、静かに頷いた。グレースもまた、そんな彼女に託すように頷くのだった。
*****
グレースに渡されたディラの実のジャム、エレノアはそれを使った菓子を作り始めた。これからエレノアが作る菓子はガトー・バスクだ。
フランスの郷土菓子であるガトー・バスクはその名の通り、バスク地方で生まれた。名産であるダークチェリーのジャムを入れたその菓子は、今ではカスタードクリームを入れたり、他の果実のジャムになったりと変化を生じながら、世界中で愛されている。
今回、エレノアはディラの実の風味を前面に出すために、カスタードクリームは使わない。生地のバターの風味とディラの実の酸味を活かした焼き菓子にするのが目的だ。エレノアが第三王妃サンドリーヌに味わってほしいのは、郷土の味であるこのディラの実のジャムなのだ。
「生地がこんがりと焼きあがってきたわね」
「とても綺麗な仕上がりですね。華美なものではありませんが、召し上がって頂けばその良さがわかって頂けるはずです」
格子状に跡を付け、その部分がこんがりと美しい焼き色となる。華やかさこそないものの、素朴で滋味深いこの菓子の良さは必ず伝わるとエレノアは信じている。
第三王妃あろうと、エレノアの想いには変わりがない。菓子を食べて、その相手に笑顔になってほしい。それこそがエレノアが菓子を作る喜びに繋がるのだ。
視線をオーブンから離すと、心配するように微笑むカミラ、そしてドアから鼻を出し、目を輝かせるシルバーが見える。
いつもと変わらぬその光景に、大丈夫だというように頷くエレノアであった。
*****
今日もまた貴族たちからの贈り物が届く。
ゆったりと微笑みを称えながら、第三王妃サンドリーヌは内心うんざりしていた。
この数々の品の中に、サンドリーヌを想って贈られた菓子が一体どれほどあるだろう。全ては第三王妃という立場に対し、届けられたものなのだ。
ご機嫌伺いなのか、奇をてらったものや極端に華美な菓子まであるが、サンドリーヌの好みからは遠く離れる。
しかし、第三王妃という立場であるサンドリーヌは母国フレッテールと嫁いだこの国アスティルスの関係を崩すような真似は一瞬たりとも許されない。
今日もまた、第三王妃にふさわしい優美な笑みを湛えるのみだ。そんな彼女を母国から共にした侍女は案ずるように見つめていた。
「次は聖リディール正道院から贈られた品です」
「聖リディールというと、『聖なる甘味』が話題になったわね」
「はい、その通りです。安全性は魔法にて確認済みでございます。ですが、少々他の品々よりはその……」
言葉を濁す言葉は逆にサンドリーヌの関心を引いた。
華美な品などの媚びた品には辟易としていたところだ。食べ切れぬ菓子を贈られてもサンドリーヌの本心としては心が痛む。
けれど、そのようなことを口にするのは立場が許さないのだ。
サンドリーヌは他の品々とは異なると言う聖リディール正道院の菓子へと目を向けた。
「…………これは……」
「その、第三王妃に贈られた品とは思えない素朴な菓子ではありますが……。聖リディール正道院で作られた『聖なる甘味』ということに価値があるのかと……」
第三王妃であるサンドリーヌの怒りを買わないようにか、気を遣った言葉で執事の一人が語る。そのようなことで感情的になるのであれば、体調を崩すこともないだろうとサンドリーヌは自分の性格を思い、ため息を吐く。
それを菓子への不満と受け取った執事は委縮して、サンドリーヌはまたため息を吐きたくなる。
「……聖リディールの菓子ね、興味深いわ。用意して頂けるかしら?」
「はい! ただいまご用意いたします!」
これまで菓子を確認するのみで、食することのなかったサンドリーヌが初めて興味を持ったことに執事も周りの使用人たちにも驚きが広がる。
だが、それが良い意味の関心である保証はまだどこにもないのだ。少々の緊張感と共に、エレノアが作ったガトー・バスクは一旦下げられるのだった。
目の前に置かれた素朴な見た目の菓子の中にはジャムが入っていた。こんがりと綺麗な焼き色がついてはいるが、貴族の家で作ることが可能な菓子であろう。
毒見を経た上で、やっとサンドリーヌはその菓子を口にする。
その瞬間、驚きでサンドリーヌは目を瞠る。それは懐かしい故郷の味、ディラの実のジャムだ。口の中に広がる味はサンドリーヌをまだ后となる前の、少女時代へと引き戻す。もう戻ることの出来ない少女時代と故郷、それは一瞬にしてサンドリーヌの心を郷土へと運ぶ味わいだ。
しかし、そんな思いをサンドリーヌは表には出せない。彼女はもうこの国アスティルスの第三王妃なのだ。母国を背負い、この国も背負う彼女は自らを律しなければならない。
「……いかがでしたでしょうか」
「素朴だけれど、懸命に作ったことが伝わりますね」
「そ、それはようございました」
否定しないサンドリーヌの言葉にホッとした空気が部屋に広がる。言葉とは裏腹にサンドリーヌはこの菓子に強く惹かれていた。
しかし、故郷の果実のジャムを使ったこの菓子を過度に称賛すれば、穿った見方をされかねない。信仰会との兼ね合いも考えれば、この程度しか言葉に出来ないのだ。
本当は菓子の詳細、この果実のジャムをどこで入手したのかと尋ねたい気持ちをサンドリーヌはぐっと押し殺す。彼女はもう少女ではない。アスティルスの第三王妃サンドリーヌなのだ。
優秀な人材を側に置くことは、高位の立場の者には重要なこととなる。
政治的な思惑や貴族としての動向を指していることがほとんどだが、もう一つ大事なことがある。
それは心の内を悟り、口にせずとも行動を起こしてくれる者かどうかだ。
この点、第三王妃サンドリーヌの侍女は優れていた。サンドリーヌの表情から、そのジャムが故郷のディラの実を使ったものだと気付いたのだ。
内密に聖リディール正道院へと連絡を取った侍女は、そこでディラの実がなっていることを知ると果実のジャムの製作を依頼した。故郷の味をサンドリーヌがいつでも楽しめるようにだ。
エレノアとグレースが作ったディラの実のジャムは、孤独を抱えるサンドリーヌの心を不安や寂しさを埋めていく。表情が明るくなったサンドリーヌに、王が快気祝いに何か欲しいものがあるかと尋ねると、彼女はこくりと頷いた。
勇気を振り絞ってサンドリーヌが口にしたその願いを、王は容易いことだと受け入れた。彼女が欲した贈り物、それはディラの実の苗である。
王宮の一角に植えられたそのディラの苗は第三王妃サンドリーヌの心の支えとなった。同時に彼女の母国フレッテールと嫁いだ国アスティルスの友好の印となる。
王宮に実るディラの実は今後も大切に育てられていくだろう。
聖リディール正道院で育てられているディラの実と同じように。
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