第48話 お手製ジャムとガトーバスク 2
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エレノアが調べ出したのは第三王妃サンドリーヌの母国フレッテールのことだ。
故郷を離れて食べたくなるのが母国の味だろう。
エレノアもたまに無性に白米が食べたくなることがある。
今の食生活に不満があるわけではないのだが、慣れ親しんだ味というものは忘れられないもなのだ。
ハルにはこのような経験がある。
祖父母が他界した後、三人で良く食べたプリンを一人で食べたとき、自然と涙が零れた。
何気なく買ったおにぎりを食べたとき、もう祖母が握ってくれることはないのだとふいに悲しみに襲われた。
おそらく、母国を離れた第三王妃にも寂しさや不安があるはず。そんな彼女の元に思い出の味、郷土の味を届けたいとエレノアは思ったのだ。
フレッテールという国を調べてわかったのは郷土によって、親しまれる菓子があったということだ。
第三王妃サンドリーヌが生まれ育った地域はディラという果実の産地であり、貴族たちはそれをジャムにして楽しんでいたらしい。
その果実ディラのジャムを活かした菓子を作れないかと考えたエレノアだが、あいにくこの国アスティルスではそれは栽培されていないのだ。
「せっかく良い案が浮かんだと思ったんだけれど……」
ちょうど今が旬だというディラだが、こちらで入手出来ないのであれば仕方がない。何か違う案をもう一度考えねばならないだろう。
紅茶を持って来たカミラは心配そうにエレノアを見る。
「良い案が見つかったのに残念ですね」
「そうね。でも、まだ始めたばかりだもの。他にも良い考えが浮かぶかもしれないわ。そうね、もう少ししたら気分転換に何か作ろうかしら」
菓子を作る案を練るために、違う菓子を作る。奇妙にも聞こえるが意欲的なエレノアの姿にカミラは胸を撫で下ろす。
『それは良い案だな、清らかな魂の子よ。何かを作ることで創作意欲はまた湧くものだと言うからな』
もっともらしいことを言うシルバーだが、嬉しそうに動くしっぽを見る限り、エレノアの菓子を楽しみにしているようにしか見えない。
カミラは呆れた視線を送るが、エレノアにとっては菓子を楽しみにする者がいることはやりがいに繋がるのだ。
「じゃあ、二人に何か美味しいお菓子を作るわね」
『うむ。その清らかなる心、神も見守っていることだろう!』
「きゅうきゅうと食い意地が張った犬ですね……!」
『何! 我は神の遣いであるぞ』
カミラの言葉にきゅうきゅうと鳴いてシルバーは抗議する。
いつもと同じその光景に、少し落ち込んだエレノアの心も軽くなるのだった。
*****
夜、エレノアは久しぶりに使用人用厨房へと向かう。その手には小さなカゴに入った焼き菓子がある。気分転換にと作った菓子はカミラにもシルバーにも好評で、せっかくならばとマーサたちにも持って来たのだ。
使用人用厨房にいたマーサはエレノアの菓子に目を輝かせ、さっそくペトゥラに注意を受ける。エヴェリンはスカーレットについているため、今は不在のようだ。
マーサの反応の良さに口元を緩めるエレノアの目に飛び込んできたのは、テーブルの上にある果実だ。その果実にエレノアは自分の目を疑った。
「え、これってディラの実じゃないの。マーサ、ペトゥラ、この実はどうしたの?」
「これですか? グレースさまが分けてくださったんです。今年は少し形は悪いから、ヴェイリスの方々にはお出し出来ないからとラディリスにくださったんです!」
嬉しそうに話すマーサはエレノアに果実の入った皿を差し出す。慌てるペトゥラだが、エレノアは果実に手を伸ばす。カミラが正道院の図書室から運んできた図鑑にあったものと、そっくりな果実がエレノアの手の中にあるのだ。
その果実ディラに似たものをエレノアは口に放り込む。じゅわっと広がる酸味と甘み、独特の香りは書籍に書かれていたディラの特徴そのものだ。
「ありがとう、マーサ! 明日、グレースに詳しい話を聞いてみなきゃ」
「え、えっと、よろしければもっと召し上がりますか?」
「マーサ……。その、不躾な真似をしまして……」
「いいのよ。マーサのおかげで、ダメだと思っていた案が採用出来そうだわ!」
「そ、そうでございますか」
ペトゥラもマーサもなぜ、エレノアが喜んでいるのかわからないのだ。
だが、この果実ディラがあれば、第三王妃サンドリーヌの郷土の味を贈ることが出来るだろう。
再びディラと思わしき、果実を口に含んだエレノアは甘酸っぱさに眉間にきゅっと皺を寄せる。
明日の朝が待ち遠しく、早く夜が明けないかと願うような思いでその日、エレノアは就寝した。
*****
「その果実をご存じだとは流石、エレノアさまですね」
「え、いえ、そんなことはないのよ」
つい昨日、ディラという果実を知ったばかりのエレノアはグレースのまっすぐな瞳に少々心苦しい思いになる。
エレノアがグレースと共に訪れたのは第二庭園である。第一庭園と比べて小規模ではあるが、他国の植物などめずらしいものが育てられているらしい。
こちらに足を踏み入れたことのないエレノアは、興味深げに辺りを見渡す。
「代々育てられている樹々や果実はこちらにあるんです。エレノアさまが昨晩召し上がった果実もそうですね。ディラは友好の証として、かつてフレッテールの正道院からこの聖リディール正道院へと贈られた品なんですよ」
「そうだったの」
「もうかなり昔のことのようです。毎年この時期になると正道院内で消費していたのですが、皆さん名前までは知らないんです。今日、エレノアさまに尋ねられて驚きました。あ、あちらですよ」
グレースが手を差し出した先には低木樹がある。そこに紫色の実がすずなりになっているのがエレノアにも見えた。
「たくさん実ったのですが、少々形が不揃いなんです。そこが反省点ですね」
その言葉に第一庭園もそうだが、第二庭園もグレースが責任者なのかとエレノアは納得する。どちらも丁寧に手入れがなされたその場所が、グレースの誠実で生真面目な性質を表しているように思えたのだ。
どちらもエレノアにとっては、菓子作りに欠かせない果実やハーブ、実りをくれる重要な場所なのだ。
グレースの手をエレノアはぎゅっと包み込むように触れる。
「この果実を分けて頂きたいの。これならきっと、第三王妃サンドリーヌさまの御心に届く菓子になりますわ!」
「エ、エレノアさま、人がいないとはいえ、お名前を出しては……え、この果実を使うんですか? 形が不揃いなもので、あの御方にお出しするには少々問題がありませんか?」
不安そうなグレースだが、エレノアは彼女の手を取ったまま断言する。その紫の瞳は自信に満ちて何の迷いも感じさせないものだ。
「グレースさんが大切に育ててくださったおかげで、味はばっちりです。この味をあの御方にお届けしたいのです。そうでなくとも、第一庭園で育つ果実やハーブは聖なる甘味作りに行かされているんですもの。グレースさんには本当に感謝しています」
「エレノアさま……光栄に思います」
エレノアからの率直な称賛に、グレースは戸惑うがそれ以上に嬉しさが込み上げる。植物を育てるのは毎日の地道な作業だ。しゃがみ込み、土に触れるその作業は決して華やかなものではない。
だが、信仰会の自給自足という考えに繋がる重要な作業でもあるのだ。
「ありがとうございます、エレノアさま」
「お礼を言うのは私の方だわ。グレースたちがずっと育ててきてくれたんだもの」
「いえ、感謝しているのは私の方です。エレノアさまがこの聖リディール正道院に訪れてから、私たちの日々は少しずつ変化しているんですから。――それも全て良い方へとです。ありがとうございます」
グレースの言葉はこれまでのエレノアが起こした事柄全てを指す。
不安そうなグレースの瞳はエレノアへの信頼に満ちた眼差しへと変化していた。
思いもがけないグレースからの言葉に今度はエレノアが頬を赤くする番だ。
エレノアの年相応の一面にグレースが微笑んだとき、そんな彼女から思いもよらない言葉が投げかけられた。
「そうだわ。私なんかより、グレースの方がジャムを作った経験は多いはずよね」
「え、そうですか? 確かに正道院では昔からジャムは作っておりますが……」
研修士自らが菓子を作る風習はエレノアが来るまで失われていた。他の正道院と同じようにこの聖リディール正道院でも長い間、菓子職人がいたからだ。
しかし、ジャム作りに関しては一部の研修士が行っていた。自給自足の考えの元に、グレースたちが保存食として作っていたのだ。
グレースの言葉を聞いたエレノアはにこりと微笑む。
その優美な表情から予想もつかない大胆な発言が飛び出した。
「じゃあ、あの御方に贈る菓子のジャムはグレースにお願いしたいわ」
「…………え、ええっ!!」
静かな第二庭園に響くのは驚愕するグレースの声だ。
こんなに大きなグレースの声を聞いたのはエレノアも初めてであるが、グレース自身もそんな自分の声に驚いて口を塞ぐ。
「一緒に頑張りましょうね」
穏やかに微笑むエレノアに、両手で口元を押さえたグレースはただこくりと頷くのだった。
ジャム、色々ありますね。
コンフィチュールやスプレッドなど
様々な物も並んでいますね。
なんだがオシャレに感じるのが不思議です…。




