第47話 お手製ジャムとガトーバスク
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正道院で「聖なる甘味」と同様に人気なのが果実のジャムである。
季節の旬の果実を使ったジャムは、正道院に訪れる人々にも好評だ。
元々、菓子のレシピは貴族の屋敷や各正道院で守られてきたのだが、正道院などでは口伝のみであり、失われたものも多い。
この聖リディール正道院でもかつては菓子職人が製作を担ってきたのだが、度重なる令嬢たちの我儘に、ある日突然去ってしまったのだ。
そんな中、罪を償うために訪れた侯爵令嬢エレノア・コールマンが変化を生んだ。
正道院で研修士が作る「聖なる甘味」が復活し、再び他の正道院へも広がった。
再び、復活した聖なる甘味を皆で学び、製作した菓子は建国記念の菓子にも選ばれたのだ。
一方で果実のジャムは長い間、研修士たちも作ってきた。
これは正道院の自給自足の考えに基づいたもので、自分たちで消費するためのものである。
しかし、聖なる甘味の復活と人々への販売と共に、長年作られてきた果実のジャムもまた、人々に知られることとなった。
第一庭園には野菜やハーブ以外にも果実が植えられている。
これはグレースの意向が大きい。
様々な季節の果実を育てるのは、欲のないグレースの数少ない楽しみであり、
中には珍しいものもある。
第一菜園とも呼ばれるこの場所で育まれる果実は、毎日の世話で季節ごとに実り、正道院の研修士たちを楽しませていた。
*****
「とある高貴な御方への菓子の依頼、ですか」
「そうです。さる高貴な御方への菓子を高位貴族たちがお贈りしているのはご存じでしょう」
「えぇ、もちろん。我が家でもその菓子を考えるのに忙しいようですわ」
エレノアはにこやかに嘘を吐く。
コールマン家では適当な菓子で茶を濁せばよいとばかりに、ダレンとカインの関心は低い。高貴な御方に失礼ではなく、コールマン公爵家の名を汚さぬ菓子であればなんでもよいという二人の意志を、魔法鳥の手紙からひしひしとエレノアは感じていた。
無論、それをここで明かすわけにはいかない。
コールマン公爵家でも頭を悩ませているといった姿勢を取る。
しかし、正道院長のイライザやグレースは本当に菓子の依頼に悩んでいるようだ。
「何がふさわしいかと皆さま悩んでいるそうですね」
「えぇ、皆さんさまざまなものを用意したそうです」
このさる高貴な御方というのは、この国アスティルスの第三王妃サンドリーヌのことである。
第一王子は正妃の、第二王子は亡くなった第二王妃の子であり、サンドリーヌは数年前に嫁いだばかりだ。第一王子派と第二王子派で静かに分かれる状況にあって、彼女は政治的にな動きを見せることはない。
どちらの派閥にも与せず、いつも同じように微笑む彼女はつかみどころがなく、何を好むか、何を嫌うか、そういった好みを探ることも難しい。
他国であるフレッテールから嫁いできたサンドリーヌは常に母国の考えと利益、そして王や他の王妃とのバランスを計算して動く必要があったのだ。
何を貰っても否定的なことは言わず、かといって大袈裟に喜びを見せる様子もない。そんな彼女の好みに合う菓子を探すのは至難の業だろう。
菓子を贈るという選択も他の王妃に不興を買わぬよう、周囲の者が気を遣った結果だろう。
「まだお若いのですが、最近はご体調を崩すことも多く、案じられた周囲が気を遣っただと伺っております」
嫁いだ娘が不調であれば、母国フレッテールとの関係も悪化する。
慌てた周囲が気を利かせ、彼女が気鬱にならないようにと配慮した結果、高位貴族の家からは贅を尽くした品々や華美な品が贈られているとエレノアは聞いている。
体調を崩したときにまで、政治的な配慮をしなければならない王妃という立場の苦労をしみじみと感じさせる話だ。
「それ自体は名誉なこと、しかしご期待に添えないものをお贈りしては逆効果になりかねません。それで今回は、エレノア研修士はもちろん他の研修士たちの意見も参考にしてはと考えています」
「それでは、皆にも話をしてみます」
「えぇ、ですがくれぐれも去る御方のお名前は出さぬように」
「心得ております」
第三王妃の体調不良は一部貴族だけが知る情報である。
重篤な病ではないうえに、第三王妃の体調不良につけ入る動きや、国民の不安を抱かせるわけにはいかないのだ。
そのため、ここでの会話でもその名は伏せる。
正道院長室であり、イライザとグレース、エレノアだけではあるのだが、気を付けるには越したことはない。
ふと耳にしたことを誰かに伝えることは敵意や害意がなくともあり得るからだ。
正道院長室を後にしたエレノアが思い出すのは、王家主催の夜会で見た第三王妃サンドリーヌの姿だ。
少し席を外したエレノアの目に飛び込んできたのは、同じように会場を抜け出したサンドリーヌとその侍女らしき女性である。
微笑みを絶やさずにいたサンドリーヌの寂しそうな表情、貴族的で隙のない印象であった彼女の印象が変わった瞬間であった。
王族にとつげば国を離れることはほぼなくなる。それが母国であってもだ。
複雑な心境であの悲し気な表情を見つめたあの日に出来なかったことを、これからエレノアはしようと試みるのだ。
彼女にどんな菓子を贈ればよいのだろうとめずらしく表情の曇るエレノアだった。
*****
贈られた品々を前に第三王妃サンドリーヌはにこやかな表情を絶やさない。
華美な品や贅を尽くした品々は第三王妃という立場にふさわしいものばかりだ。
この場にいる使用人たちはサンドリーヌの微笑みに安堵していることだろう。
彼らが悪いわけではない。
サンドリーヌは立場上、自分自身を見せるわけにはいかないのだ。それは弱みを握られることにも繋がると幼い頃より教育を受けている。
「誰も私自身のことを知らないのだわ」
微笑みながら、小さく彼女が呟いた母国語の意味を知るのは侍女一人である。
その瞳に僅かな悲しみの色が浮かんだことにも気付く者はいないだろう。
だが、それでいいとサンドリーヌは考えている。
心を容易く人前に晒すことは、弱みを見せることに違いないのだから。
そのため、サンドリーヌは常に微笑みを絶やすことがないのだ。
*****
高貴な方はどのような者を好むのか?
その議論は難航していた。
この場で高貴な方に当てはまるのは、高位貴族であるエレノアとスカーレットである。 しかし、その二人が一般的な貴族の好みを持っていない。
スカーレットはその外見に反し、控えめな性格であったし、エレノアに至っては気性はハルのままである。菓子作り以外に関心を強く抱くことはない。
そういったことを考慮し、年齢の若い研修士たちの考えも参考にするようにと正道院長であるイライザは提案したのだ。
「え、でも高貴な女性が好むお菓子ってどんなのでしょう」
「やっぱりこう、華やかで見たこともないような上等な品じゃないかい?」
「見たことがないなら、作れませんね」
「そもそもお貴族さまの好みとあたしらじゃかけ離れているからね」
「でも、エレノアさまのお菓子は美味しく感じます!」
一向に答えの出ないマーサとアレッタの会話をスカーレットは楽しそうにくすくす笑いながら見つめている。
ペトゥラは困ったような表情でマーサを見るが、今回は皆に意見を聞いているのもあって、注意は控えたようだ。
グレースは懸命に考え過ぎて、答えが出ないらしく、先程から熟考中だ。
リリーは小首を傾げながら、「高貴な方のお菓子……」と呟いている。
しかし、アレッタやマーサ、悩む皆の姿を見て、エレノアはあることに気付く。
彼女たちは贈る相手が喜ぶ菓子を考えているのだ。
高貴な方にふさわしい菓子は数多くあれど、その人が好むかどうかは別の話だ。
もちろん、今まで贈られた品々は全て第三王妃サンドリーヌにふさわしい品々であろう。
では、それらをサンドリーヌは喜んだのだろうか。
「ふふ、皆から重要な意見を貰ったわ」
スカーレットも同様の意見だったのだろう。エレノアの発言に微笑みを浮かべる。
懸命に考えていた皆は、何のことかさっぱりわからず、不思議そうにこちらを見ている。
第三王妃サンドリーヌがどのような女性か、エレノアも知らない。
しかし、彼女が生まれた国フレッテールのことは少し学んだことがあるのだ。
サンドリーヌが喜ぶ菓子、その道筋が少し見えてきたことに菓子を作る意欲が湧くエレノアであった。
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