第46話 プリンとフラン 3
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掃除の行き届いたキッチンで、エレノアは菓子を作っている。
卵に牛乳、砂糖をボウルに入れて丁寧に混ぜている作業はプリンを作る工程に良く似ている。
けれど、その前の工程に違いがある。
エレノアはまず、タルト生地を焼き上げていたのだ。
今、ボウルでかき混ぜている生地にも、薄力粉が加えられ、小鍋で丁寧に加熱していく。これは先日、マーサ達に作ったカスタードクリームである。
沸々と小さく泡立つクリームを木べらでこまめにかき混ぜ、ダマを作らないように、とろりとするまで火を通す。
出来上がったカスタードクリームはしっかり冷やした後、タルト型に入れて焼き上げる予定だ。
「なかなか、どちらもいい感じに出来てるから上手くいくといいんだけど」
《清らかな魂の子! これはなんだ? 我の分はあるのか?》
シルバーがドアの隙間から鼻を覗かせ、尋ねる。
隙間からはふわふわとしたしっぽを振っているのもチラチラと見えた。
「……ドア、閉めておくべきでしたね」
「多分、それでもきゅうきゅう鳴くんじゃないかしら? シルバー、これはフランよ。カスタードクリームをタルト型に入れて焼いたお菓子なの。これを冷やして、あとで焼き上げたら完成よ」
《なんと……! では、まだまだ食べられぬではないか!》
シルバーが悲痛にきゅうきゅうと鳴く様子にエレノアはくすくすと笑い、カミラは呆れた表情になる。何を話しているかわからぬカミラにも、シルバーが何を要求しているのかは伝わるものだ。
そのとき、オーブンが焼き上がりの時間を告げる。
オーブンを覗いたエレノアは程良い焼き上がりに笑みを浮かべた。
「フランはリリーのためのお菓子だから、今日はシルバーの分はないわよ」
《なんと……! 清らかな魂の子とは思えぬ暴挙ではないか……!》
エレノアが自分にも分けてくれると信じて疑わなかったシルバーは、衝撃を受けて固まる。目をまん丸にしたその様子は本人のショックに反し、少しユーモラスでエレノアは笑いを堪える。
フランは今日の分はない。しかし、エレノアは他にも菓子を作っていた。
ミトンをはめたエレノアがオーブンから取り出したのは、余ったタルト生地をカットして焼き上げたクッキーである。
「熱いからこれもすぐには食べられないけれどね」
《流石、我が見込んだ清らかな魂の持ち主……! 一瞬でも疑った我が間違っていたのだな!》
「本当に食い意地だけは張っていますね」
先程まで落ち込んでいたシルバーは目を潤ませて、しっぽを振る。その姿から何を要求しているのはカミラにも伝わった。
サクサクとしたタルト生地はクッキーにしても美味しいだろう。
「あら、カミラはいらないの?」
「――私の分もあるのですか?」
「もちろん。試食して感想を聞かせて」
「……はい! お嬢さま」
黒い目を喜びで輝かせるカミラの姿は、どこかシルバーと似ている。
純粋にエレノアの菓子を楽しみにしていることは二人の共通点なのだ。
しかし、それを口にすればどちらも機嫌を損ねるだろう。
自身が作った菓子に毎回、嬉しさを隠さないシルバーもカミラも愛おしく思え、エレノアは微笑む。
そんな彼女を不思議そうに見つめる二人はやはり似ていて、エレノアは声を出して笑うのだった。
*****
正道院長室に呼び出されたリリーは突然のことに目を瞠る。
イライザが見せた菓子は、先日エレノアから貰ったプリンに似ている。
しかし、大きさもあり、見た目はこちらのほうが遥かに立派に見えた。
「こ、こちらを私の家族にですか!?」
「ええ。エレノア研修士があなたのご家族にと作られたものです」
「ありがとうございます!……エレノアさま、私の我儘を叶えてくださったんですね」
「……あなたの日頃の行いを評価なさった方がそう願われたのよ。ご依頼者は他にいらっしゃるの。きっとその方はいつもあなたのことを見守ってらっしゃるのね」
花が咲くような笑顔を浮かべたリリーだが、エレノアにかけられた言葉にきょとんとする。自分を見守り、評価している者が依頼者であると告げられ、戸惑っている様子だ。
「――そういうわけですので、あなたもご家族に伝えたいことがあるならば、手紙をお書きなさい。菓子と共に同封します。――話は以上です。手紙を書いたならすぐに持ってきてくださいね、リリー」
「はい! ありがとうございます!」
元気よく返事をしたリリーはパタパタと部屋を後にする。
家族への手紙を早く書きたいのだろうその姿に、エレノアもグレースも微笑みを浮かべた。
リリーが退室したのを確認したイライザは、エレノアに向き合うと感謝の言葉を口にした。
「ありがとうございます。急な頼みにもかかわらず、対応をしてくださって。あの子は家族との連絡も年に一度程しかとらないのです。ご家族が返事を返すにも切手代がかかります。それにご家族が手紙を出すには正道院に代筆も頼む必要があるそうなのです。――きっと、家族の負担になることを避けているのですね」
正道院で務める研修士たちも家族との手紙のやりとりは可能である。
しかし、家族へ配慮してリリーは手紙を出すことも控えていたらしい。まだ、幼い少女が負担をかけまいとする姿を、イライザは放ってはおけなかったのだろう。
「正道院長からだとお伝えしなくてもよろしいのですか?」
「我儘を一切言わなかったリリーが初めて自分の願いを口にしました。それを叶えてあげたいと思っただけです。本来は正道院長として好ましいことではありませんからね」
立場上も性格上でも、規律を重んじ、特別扱いは好まない。
それでも時折見せる優しさは、イライザらしいとエレノアは思う。
菓子を送ると同時に、出せずにいた手紙を出すことも出来るのだ。リリーが喜ぶのも無理はない。
エレノアの魔法鳥であれば、馬車で一週間ほどの距離であっても二日ほどで、届けることが可能である。
フランは焼き菓子であり、冷凍したものを運ばせる予定だ。魔法鳥に持たせた物は時間の経過も遅くなる。二日であれば問題なく届けられるだろう。
イライザとエレノアは紅茶を飲みつつ、依頼の謝礼について話し合う。
きちんと謝礼をしたいと言うイライザと、リリーのことは自分も案じていたと謝礼を拒むエレノアの話は平行線だ。
そんな会話はバタバタと慌てて走る足音で中断する。
それが誰かは言うまでもない。
叱るべきか葛藤するイライザの表情に、エレノアもグレースも口元を緩ませるのだった。
*****
リリーはそわそわと落ち着かない。
事情を知るイライザたちは多めに見ている様子で、そういった彼女たちの関係性もエレノアには好ましく思える。
先程、エレノアには魔法鳥が到着したことがわかった。
これは感覚的なもので、魔法鳥を使う本人だけに伝わるものだ。
「エレノアさま、どうなさったのですか?」
マーサと共に貴族用厨房に呼ばれたリリーは、心配をした様子である。
魔法鳥を飛ばしてまだ一日半、何か問題があったのではないかとリリーの頭には不安がよぎる。だが、エレノアが二人を呼んだのは別の理由がある。
「二人とも座って。食べて欲しいお菓子があるの」
エレノアが二人を呼んだテーブルに用意されたのは、こんがりと焼き色のついた焼き菓子フランである。目を輝かせるマーサの横で、リリーは目を何度も瞬かせる。
この菓子はエレノアが家族の元へと魔法鳥で運んでくれているはずなのだ。
やはり何か不都合があったのだろうかとリリーの表情は曇る。
「きちんとご家族の元に届いているわ。きっと今頃、ご家族も召し上がっているんじゃないかしら」
「え、ではこちらは?」
カミラが紅茶を用意するのを見たエレノアは、マーサとリリーに席に着くように促す。
「これはあなたの分。ご家族と同じお菓子を、同じ時間に楽しめるように」
「……エレノアさま。ありがとうございます……」
家族も今頃、この菓子を食べているのだろうか。
急に舞い降りた魔法鳥と運ばれた立派な菓子フランに戸惑っていることだろう。
手紙にはいつも文字と同時にマークを描く。
文字が読めない両親でも、リリーからだとわかるようにだ。
離れていても聖リディール正道院で研修士として務めていること、マーサという友人が出来たこと、その菓子は「聖なる甘味」と尊ばれていることなど様々綴った。
マーサと共に食べるフランは、プリンの風味とクリーミーさ、焼き菓子のさっくりとした食感が広がる。
これを食べた家族はどんな表情をしているのだろう。
そう思うリリーは微笑みを浮かべたが、マーサは心配そうな表情を浮かべる。
リリーの頬には涙が伝っていた。
エレノアが作ったプリンを食べたとき、なぜかリリーは泣きそうになった。その理由は今もわからない。
だが、この涙がどんな感情から来ているのかは、はっきりとわかる。
寂しさはもちろんある。しかし、それ以上にこの聖リディール正道院での暮らしはリリーにとって満ち足りたものだ。
家族の元に届いたフラン、そして手紙を読めば、その心は家族にも伝わるだろう。
聖リディール正道院に確かにリリーの居場所はあるのだから。
*****
その少女はただひたすらに祈りを捧げていた。
なぜ祈りを捧げなければならないのか、その理由さえも既にわからない。
ただ、これが自分の仕事であり、しなくてはならないこと、存在する理由でもある。いつの間にか、少女ウィローはそのように思うようになっていた。
そんな聖女候補ウィローを案じている者が田舎町ヴェリテルの正道院にも一人いた。この正道院の元正道院長であるメラニーである。
今日もまた彼女は現正道院長のギル・ヒューズに抗議をしていたが、彼はそれを一蹴した。既に彼女に正道院長としての権限はない。
ただの研修士の一人に過ぎないのだ。
「あなたは彼女たちに何が出来ましたか? 私がここに来て変わった! 古臭い考えや教えでは満足に食事も出来ない有様だったではないか」
ヒューズがもたらした富と彼の饒舌さ、一種のカリスマ性は多くの者を惹き付けた。彼の登場で田舎町ヴェリテルも変わっていったのだ。
だが、それで良かったのかと今になってメラニーは思う。
貧しくともあの頃の方が、この小さな町も何よりウィローは幸せであったのではないかとヒューズに対し、疑念を抱き始めていた。
しかし、今の彼女の言葉は誰にも届かない。
皆、ギル・ヒューズという男に魅了されているのだ。
そんな彼女の頭に思い浮かんだのは、厳しくとも誠実なかつての先輩研修士だ。
共に正道院で学び、聖女候補として切磋琢磨した少女は今、正道院長をしている。
メラニーは聖リディール正道院にいるはずのイライザを頼るしかないとひそかに決意した。
次回はこちらのSS,リリーの家族のお話です。
お楽しみ頂けましたら嬉しいです。
フランはかつて、しょっぱかったそうです。
中世ころから甘いものとなったとか。




