第45話 プリンとフラン 2
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少しずつ復調の兆しが見え始めたリリーは、ベッドの上で体を起こす。
グレースが空気の入れ替えのために開けた窓からは、かすかに風が通る。
チェストテーブルに置かれたカップの水をこくりと飲むと、リリーはぼんやりと空を見つめた。
「美味しかったな、あのお菓子」
熱を出していたリリーには、ひんやりと甘いプリンは心地良くするりと喉を通った。ほろ苦いカラメルと優しい甘さのプリンになぜか泣きそうな思いになったのだ。
それがどんな思いから来たものなのかは、今のリリーにはわからない。
あの菓子をエレノアは試作と言っていたが、今思うと自分を気遣った嘘なのだろう。そうリリーは確信し、それ以上に強い思いでエレノアの存在は聖女に近いものだと信じた。
白い狐の存在、不可思議な魔道具のある部屋からも以前より感じていた。
だが、何よりも彼女の心の在り方がリリーには聖女にふさわしく思えたのだ。
心の美しさ、優しさは祈りと同じように、聖女には必須だとリリーは教わって育ってきたためである。
「――私は聖女さまになれなかったんだよね」
ぽつりと呟いた響きに後悔は感じられない。
あの晩、祈りを捧げる祈祷舎で、エレノアの使用人であるカミラに出会った。
疲れた自分に知らない者から、菓子が差し出されたことに驚いたリリーだが、衝撃はそれだけではない。
夜の祈祷舎で一人きりであった心細さは菓子を受け取ったときに消え、口に広がる菓子の甘みに自然と涙が目に滲んだ。
祈りを捧げることが聖女になれる方法と信じて、懸命に祈りを捧げたリリーであったが、ひたむきになるがゆえ、祈ることが目的となっていたのだ。
その後、エレノアの自室へと訪れて、白い狐を見たときにリリーはすんなりと目の前の事実を受け入れた。
「秘密になさってるのにも理由があるんだわ、きっと」
自分であれば、白い狐の顕現に舞い上がることだろう。
そんな様子はエレノアには見えない。
しかし、彼女は聖リディール正道院の「聖なる甘味」を復活させ、ヴェイリスとラディリスとの関係にも変化を与えた。同時に侯爵令嬢スカーレットの名誉も回復させたのだ。建国記念の祈祷の菓子にも選ばれた聖リディール正道院の菓子は、多くの人々の注目も集めている。
本人は変わらず穏やかに菓子を作っているエレノアの姿に、リリーは敬意を持っているのだ。
平民研修士になる者は聖女になる希望を心のどこかに抱いている。
けれど努力した先に、結果があるとは限らないこともリリーは既に知っていた。
それでもエレノアの存在を前に、リリーはこの正道院で過ごす上での迷いや葛藤から救われたのだ。マーサという歳の近い友人も出来たため、以前より過ごしやすく、笑うことも増えた。
だが、家族はそんな自分をどう思うのだろうという一抹の不安がある。
「リリー、体を起こしていて大丈夫ですか?」
「グレースさま。ご心配をおかけしました! もう大丈夫です」
リリーの言葉に困ったように笑い、グレースは首を振る。
数日熱を出して寝込んでいたのだ。大丈夫なわけがない。
ひたむきなのは彼女の長所だが、まだ少女であるリリーのその頑張っている思いが知らず知らずのうちに自分の心に負担をかけ、この時期に体調を崩すとグレース達は捉えている。
軽くピンクブロンドのリリーの髪に触れると、グレースは再び横になるように促す。ブランケットをそっと肩までかけてくれるグレースに、ほんのりと心が温もりを感じるリリーであった。
*****
自室に戻ったエレノアはプリンの作り方をもう一度思い浮かべる。
祖母のプリンのレシピは蒸しプリンだ。
茶わん蒸しを作る感覚で、祖母にとっては作りやすいものだったのだろう。
その分、ふるふると柔らかい食感にもなる。
「焼プリンなら、比較的しっかりした食感になるのよね」
《おお、またあの菓子を作るのか?》
焼プリンはオーブンで焼きながら蒸し上げる形で、蒸すよりもしっかりとした食感になる印象をエレノアは持っている。
無論、卵の分量などでも変わってくるのだが、焼くという調理法にエレノアはふと気付く。
「あ、プリンそのものじゃなくっても近い風味のお菓子なら、魔法鳥で運ぶことが出来るんじゃないかしら?」
《……つまり、プリンは食べられないのか!?》
「お嬢さまが考えられているのです! 先程からきゅうきゅうと騒がしいですよ!」
騒がしい二人だがエレノアは気にした様子もなく、菓子のことを考える。
火を通し、水分も少ないプリンに材料や風味が近い菓子、その心当たりがエレノアにはあるのだ。
まずは試作をしなければと思うエレノアがキッチンへと向かうと、遠慮しつつドアをノックするような音が聞こえる。
気付いたカミラが慌ててドアに近付くと、外からはグレースの声がする。
エレノアが頷いたのを確認してドアを開けると、そこにはグレースがおり、エレノアに軽く会釈をした。
「――イライザさまが正道院長室へいらしてほしいとのことです。リリーのことで、お話があるそうなのです」
「……リリーのこと、ですか?」
体調は回復しつつあるとマーサから聞いている。
であれば、話はそれ以外のこと。おそらくはこの時期にリリーが体調を崩す事情をイライザは知っているのだろう。
静かに頷いたグレースにエレノアは、カミラと共にイライザの元に同行することを告げるのだった。
*****
正道院長室へ入ると窓際に立つイライザが、エレノアたちを見つめた。
その表情はいつもより少し暗く見える。
今にも雨が降り出しそうな窓の外の影響なのか、それともイライザ自身の心境がそうさせているのかは判断がつかない。
エレノアに席に着くよう勧めると、イライザは呼び出した理由を語り始めた。
「――突然、お呼び立てして申し訳ないわ。グレースから聞いているかと思いますが、話はリリーのことなのです」
「体調の方は少しずつ良くなっているとマーサから聞いておりますわ」
エレノアの言葉にかすかに微笑んだイライザは肯定するように頷く。
しかし、その表情が晴れないことからもエレノアに伝えたいことは、リリーの体調に関することではないのだろう。
紅茶を用意してくれているグレースも表情は硬い。
少しためらいつつも、イライザはリリーの事情を口にする。
それは平民研修士ヴェイリスの中でも、リリーが抱える特殊な事情だ。
「リリーは幼い頃にこの聖リディール正道院に訪れました。研修士になれば、衣食住に困らないうえに、文字などを学べる――そのことからも、娘が研修士になることを希望するご家庭は少なくありません」
信仰とは別に、それぞれに事情を抱えて正道院へと訪れるのだろう。
エレノアもまた、罪を犯した謹慎ゆえにこの正道院にいるのだ。
リリーも家庭の事情でこの正道院へと来たのかと思うエレノアに、正道院長であるイライザが告げたのはリリーの特殊な事情である。
「ですが、リリーは異なります。彼女には事情があったのです」
「……事情、リリーにですか?」
「ええ。あの子はこの正道院へ、聖女候補として招かれたのです」
予想していなかった事実にエレノアは目を瞠る。
正道院が聖女候補を選び、育てて選定する。その事実は知っていたが、ここ数十年聖女となる少女はいなかった。
過去に選ばれた聖女たちも高位貴族の娘やその血縁関係者が多く、伝承と選ばれた少女たちには乖離があったのだ。
この国アスティルスでは豊富な魔力と寛容な御心を持つ救世の聖女の復活が期待されている。しかし、歴史に残る聖女たちが全て何かの功績を残したわけではない。聖女とは白い狐の顕現、そして正道院に仕える者から誕生すると伝えられているが、これを満たさない者もいる。
エレノアやコールマン家は聖女の存在に懐疑的な方であった。
しかし、正道院で献身的に勤めを果たすイライザやグレースを見る限り、彼女たち研修士の信仰を尊重したいと思えた。
自給自足の教えの元に、規則正しく共同生活を行い、悩む人々に寄りそう姿は清廉な美しさがあったのだ。
「……聖女候補、ですか?」
「ええ。正道院では聖女となり得る力を持つ子どもを、研修士として育てているんです。ですが、基本的な扱いは他の平民研修士と変わりません。あくまで可能性が高い者を優先的に研修士にしているだけなのです」
それであれば、高位貴族であるエレノアがその存在を知らなくとも無理はない。
資質のある者を育てようという試みは正道院でなくとも多くある。
誠実に信仰の道を歩もうとしているのならば、研修士と聖女候補、その差は上の者や本人の意識の違いのみだろう。
先日聞いたヴェリテルの聖女候補とは違い、正しい形で聖女やその候補が選定されることは何の問題もない。
「リリーは聖女候補ではあります。ですが、あくまでラディリスの一人。他の者と正道院での活動に違いはないのですが、聖女候補という事もあり、彼女自身、自らを律している面が見受けられます」
それにはエレノアも心当たりがある。
夜遅くまで一人で祈りを捧げていたことも、聖女候補であることを知れば腑に落ちるのだ。
しかし、なぜ正道院長であるイライザはリリーが聖女候補であることを自分に打ち明けたのだろう。そんな疑問を抱くエレノアにイライザも気付いたのだろう。
「次の聖なる甘味の依頼者に私も立候補します。あの子に、リリーのために菓子を作ってはくれませんか?」
いつの間にか、窓の外には静かに雨が降り出している。
正道院長イライザの依頼にエレノアがどう返答するのだろうと、グレースは真剣な面持ちで二人を見守るのだった。
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