第42話 男爵令嬢ポーラの悩み 2
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夜も遅いというのに公爵令息であるカイルの部屋にはまだ明かりが灯る。
調査の内容を書き綴りながら、カイルは皿の上にあるクッキーをつまもうとする魔法鳥を嗜める。
どうやらエレノアの元でその味を覚えた魔法鳥は駄賃に菓子を強請っているようだ。ムッとしたカイルは魔法鳥に人差し指を突き付ける。
「いいかい、これはエレノアが僕へと贈った……」
「よしよし、私のをあげよう。君は私の大事なエレノアに手紙を届けてくれるんだからね」
柔和な声で父ダレンが魔法鳥にクッキーを小さく砕いて渡すと、魔法鳥はカイルに背中を向け、嬉しそうにダレンの手から食べ始める。
自分の魔法鳥がすっかり父に懐いた様子に少々カイルは不満そうである。
「で、ご令嬢の悩みはどうやら予想通りのようだね」
魔法鳥を撫でる父に、カイルは無言で頷く。
エレノアの友人であるスカーレットの予測した通り、男爵令嬢であるポーラは夜会でも目立たず、控えめな様子だそうだ。
男爵令嬢という身分や婚約者がいる立場であることからも、そんな彼女の振る舞いを周囲の大人たちは好もしく思っているのだが、女性同士の視点は異なるようだ。
「同位貴族の牽制や、装飾品の善し悪しなど女性の社交にも様々な戦いがあるそうですからね。どうやら、ポーラ嬢はご自分を守るために、化粧で武装なさっているのだと思いますよ」
「可愛らしい話に思えるけれど、彼女にとっては大きな悩みなのだろうね」
若い日の悩みは大人になれば、些細で容易いことのように思える。
だが、その悩みを抱く当人にしてみれば、心苦しく、日々の生活にも支障が出ることがある。
ポーラの場合は、婚約者のクリスの前で食事を出来ないという不都合が生じ、苦しく、彼女自身そんな自分を良いとは思っていないだろう。
「でも、僕たちのエレノアは、そんな彼らの悩みを解決する『聖なる甘味』を必ず生み出してくれるはずですよ」
「……ふむ。エレノアは、悩める人々を救う――まさに聖女と称賛するにふさわしい美しい心を持っているからね」
「えぇ! そういえば以前、エレノアが――」
こうなると二人の会話は長くなる。
そのことを知る魔法鳥は静かにダレンの手の中のクッキーを摘まんで、二人の会話が終わるのを待つのであった。
*****
自室で一人となったポーラは、クッションを抱きしめ、憂鬱な思いで目を伏せる。メイドであるジェーンにも席を外して貰ったのは、こんな自分を誰にも見せたくないという思いであった。
クリスとの夜会の約束の日が徐々に迫る。
本来は楽しみであるはずの二人での外出も、ポーラを気鬱にさせる。
クリスのことが嫌いなわけではない。
クリスに好意を持つからこそ、そんな彼の隣に立つことに不安を抱くのだ。
幼い頃はそんなことを気にすることもなく、彼が婚約者であることを純粋に喜んでいた。
しかし、成長と共に周囲の令嬢からの視線や、他の令嬢の華やかさにポーラは徐々に委縮し始めた。同位の家格の令嬢には自分よりも美しく、華やかな令嬢もいる。成長と共に大人びていくクリスに、もっとふさわしい女性はいる。
そのことに気付いたとき、ポーラは自分の足元が崩れていくような不安を覚えたのだ。
「クリスさまは私にも親切にしてくださるけど、そのお優しさに甘えてはいけないのよ。だって婚約者だから、仕方なくこんな私にも付き合わねばならないんだもの」
面と向かっては言われたことがないが、家格以外は不釣り合いだと他の令嬢に噂されたこともある。
だが、ポーラも一方的な言葉に落ち込むばかりではない。
言葉や仕草など、令嬢らしい振る舞いを学び、努力してきたのだ。
化粧はその最たるものだ。
少しでも華やかに、クリスの横を歩くのにふさわしいとまではいかなくとも、せめて彼の横に並んでも恥ずかしくない自分になりたい。
そんな思いからポーラは化粧を丁寧に、欠かさず行うようになった。
それはポーラに自信を与えてもくれた。
しかしその結果、化粧が落ちるのを恐れ、クリスが同席する場で食事が出来なくなってしまったのだ。
「夜会で飲み物だけでも問題ないけれど、クリスさまが心配なさるし、口紅も落ちてしまうし……こんな些細なことを気にしていることがおかしいんだわ。やっぱり、私はダメね。もっと、頑張らなきゃいけないのに」
口紅が落ちれば、顔色も悪く見える。
ただでさえ、雰囲気が素朴な自分では一層そうなるとポーラは思っていた。
そんな自分にもクリスは優しく誠実であり、そのことが更にポーラの心を責める。いつの間にか、クリスと同席する機会をポーラは避けるようになっていった。
彼の隣にいたいと思う一方で、クリスにふさわしくない自分を実感させられるのが怖くなったのだ。
ぎゅっと抱きしめたクッションには、ポーラの涙がしみ込んでいく。
だが、ポーラはハッとして立ち上がると、そっとハンカチで眦を拭った。
今日はこのあと、クリスが会いに来るのだ。
涙を多く流せば、目は腫れる。涙を強く拭えば、目の周りが赤くなるだろう。
少しでもクリスにより良い自分を見せたいと、ポーラは気持ちを必死で切り替え、メイドのジェーンを呼ぶのだった。
*****
深夜の使用人用厨房ではペトゥラたちにとって密かな楽しみの時間がある。
今日もエレノアが試作した菓子をペトゥラたちに持って来たのだ。
正道院で菓子の販売こそ行っているが、それを使用人たちが食べる機会は少ない。
エレノアの厚意はペトゥラたちにとって大きな楽しみになっていた。
マーサたちの喜ぶ顔や素直な感想はエレノアの菓子作りのモチベーションを高める。
自然と過ごすようになったこの時間は、互いにとって有意義なものなのだ。
「コールマンさま、こちらはどんなお菓子なのですか?」
「これはカスタードクリームよ。このままパンに塗って食べても良いし、お菓子のクリームとして使うことがあるわ」
卵黄を使って作るカスタードクリームは火を通すため、菓子に使う場合に生クリームより良いのではとエレノアが作ってみたのだ。
この時代であれば、バタークリームも良いかもしれないと考えるエレノアに、ペトゥラが申し訳なさそうに感謝を述べる。
「毎回お気遣い頂き、よろしいのでしょうか?」
「いいのよ。試作品以外に気分転換の目的もあるのよ」
「気分転換……ですか?」
手の込んだ菓子などを作ることが、気分転換になるのかと不思議に思うペトゥラだが、エレノアにとってはそうなのだ。
まだハルであった頃も、眠れない夜にはよく菓子を作ったものである。
菓子が出来上がる達成感、翌朝に菓子を喜ぶ祖父母の笑顔、それにハル自身が背中を押される思いになった。
今、こうして菓子を作るのも「聖なる甘味」のためだけではなく、エレノア自身にとって楽しみであり、気分を変える意味合いがあるのだ。
エヴェリンが手際良くお湯を沸かし、マーサはパンの切れ端を切り始める。
「マーサ、パンに付けて食べてると美味しいのよ」
「じゃ、じゃあ! コールマンさまもこうおっしゃってくださってますし、先に試食をしてみますね!」
「……マーサが食べたいだけでしょうに」
ぽそりと呟くエヴェリンの言葉が聞こえているマーサだが、食欲と好奇心には勝てないようだ。スプーンでこってりとしたクリームをすくうと、パンに乗せて口へと運ぶ。
「ん! この濃厚さとまろやかさ、美味しいです! パンがまるでお菓子みたいに感じられます!」
マーサの表情からも味の良さが伝わってきて、エヴェリンもペトゥラさえもカスタードクリームに目を引き付けられる。
反応の良さにエレノアも満足そうに微笑む。
「ええ、いつかこのクリームを使ったシュークリームなんかも作ってみたいわ」
「シュークリームとはなんですか!?」
目を輝かせるマーサの口元にはパンくずがついている。
これではシュークリームを食べたときには盛大に汚れることだろう。
気付いたペトゥラが慌ててハンカチを渡し、エレノアに謝罪をする。
だが、エレノアが考えているのは口元が汚れにくい菓子の事である。
マーサが口元をハンカチでぐいぐいと拭っているが、確かにこのように口元を拭えば、化粧も落ちるはずだ。
そのことをポーラが気にしているのであれば、クリスの前で食事をすることに抵抗があるのも納得である。
(……口元が汚れにくい菓子なら、クリーム系もダメだし、硬さがある物も不向きね)
そのとき、エレノアの目に入ってきたのはテーブルの上のカスタードクリームである。卵黄をたっぷりと使ったそのクリームで残っているのは卵白だ。
兄カイルの手紙では楚々とした令嬢だというポーラ、彼女に合う菓子を思いついたエレノアはついつい緩みそうになる口元を引き締めるのだった。
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