第41話 男爵令嬢ポーラの悩み
貴族用の厨房で皆、小さなため息をつく。
今日、エレノアが持って来たのは今回の依頼主クリス・ジェンソン男爵令息からの手紙である。
正道院長室に届いていた数多くの手紙からこれを選んだものの、依頼にふさわしい菓子が作れるかはさておき、そこに書かれた彼の悩みをどう捉えるか悩んだのだ。
そこで正道院長イライザの許可を貰い、エレノアはこうしてスカーレット達にも手紙の内容を確認して貰っている。
「夜会などで令嬢が食事をしない理由ねぇ……あたしにはわかんないね。せっかくごちそうがあるんだよ? 食べなきゃ損じゃないか」
「ですよね! 私だったらたくさん食べると思います!」
アレッタとマーサはまだ行ったことのない夜会の食事を想像し、自分なら絶対に満腹になって帰るだろうと断言する。
夜会を開く目的は交流であったり、政治や貴族同士の状況を探るためであり、食事を楽しむためではない。
しかし貴族ではない二人の率直な意見にスカーレットはくすくすと楽しげに笑い、エレノアは内心でアレッタたちに共感する。
菓子を作るのが好きなエレノアは、今もし夜会に行けば、現在どんな菓子が流行っているのかをチェックしたいからだ。
「このご令嬢はそうではないらしいわ。問題は婚約者である彼が同行した場合、食事には手を付けず、同行していない茶会などでは食事をしているようなの」
「ってことは婚約者さまを信頼していないっていうことかい?」
アレッタと同じような疑問を婚約者である男爵令息クリスも抱いたようで、こうして聖リディール正道院の聖なる甘味に頼ることにしたようだ。
手紙には婚約者である男爵令嬢ポーラが、自身を嫌っているのではないかという不安も綴られている。この手紙を読んでエレノアは困惑した。
通常の貴族同士の婚約であれば、ここまで相手の想いを気遣うことはないからだ。無論、関係性が良好であるに越したことはない。
だが、家同士の繋がりを強めるために幼い頃より、婚約を交わすのだ。
クリスが婚約者であるポーラが食事をしないことを気にかけるのは、それ以上の想いを彼女に対して抱いているためであろう。
「そもそも、このご令嬢が彼をどう思ってらっしゃるかわかりません。わかったとしても、お菓子で解決できるかとも思うのです。ですが、文面からは彼のひたむきさが伝わりまして、こうして皆さんにご相談しようと考えたのです」
エレノアの言葉にアレッタは何度も頷き、マーサやリリーは好奇心で目を輝かせる。スカーレットは頬をほんのり赤らめ、手を顔に添えた。
恋の話題というものに皆、どうやら関心があるらしい。
エレノアとしては、どんな菓子が良いかを考えるばかりなのだが、貴族同士の政略結婚にもかかわらず、恋心を滲ませるクリスの手紙に皆は盛り上がっている。
「問題はポーラ嬢が菓子を食べない理由がわからないことなのです」
「茶会で召し上がっているという事は甘いものを好まないわけではなさそうですものね。やはり、婚約者の方がいらっしゃらないのが理由でしょう」
甘味を好まない人ももちろんいる。
だが、この手紙の様子でわかるのは婚約者であるクリスが同行するか、しないかでポーラの行動が変わっているという事だ。
もう少し彼女のことを知らないと、ポーラにふさわしい菓子を作ることは難しい。ただ、聖なる甘味を提供すればいいのなら、話は簡単だ。
だが、クリスの悩みを解決できるものではないだろう。
頬を赤らめつつ、恋や小説の話に移り変わっていくスカーレット達を微笑ましいと思いつつ、エレノアは情報収集に兄の力を借りようと思うのだった。
*****
その少女は素朴で清楚であった。
エレノアであれば百合の花のごとく洗練され、聡明で凛とした美しさを持つと例えられる。スカーレットならば、大輪のバラのごとく華やかで圧倒する美を湛えている少女と例えられるだろう。
彼女、男爵令嬢ポーラ・マレーは清楚で慎ましさがあった。
しかし、彼女自身はそんな自分を恥じていた。
周囲の令嬢と比べ、華がなく目立たない。どこか野暮ったく、地味であると。
そんなポーラにも家族、そして婚約者であるクリスは優しい。
そのことが更にポーラを悲しくさせていることに気付く者はいないのだ。
「……そう、次回の夜会にクリスさまからのお誘いがあったのね」
暗い表情のポーラを気にしているようだが、メイドは微笑みを浮かべ、貴族の令嬢ならば喜びそうな提案をする。
「えぇ、お嬢さまにお似合いになるドレスや装飾を選ばねばなりませんね」
「……そうね。あなたにお任せするわ」
「――光栄でございます」
幼い頃は婚約者のクリスと会うことを楽しみにしていたポーラだが、成長と共に変わっていった。クリスと共に出歩くことを避けるようになっていったのだ。
屋敷で二人きりで会うときですら、食事をほとんど口にしない。夜会など多くの人々の前では頑なに食事を摂らないのだ。
しかし、その理由はメイドたちにもさっぱりわからない。
クリスは好青年であり、いつもポーラに紳士的な態度を崩さない。
周りからの信頼も篤く、家同士の縁とはいえ、ポーラ自身も幼い頃はクリスに少なからず好意を抱いているように彼らの目には映っていた。
だが、成長と共にそれが変化していった。
ポーラの方がクリスと距離を取るようになったのだ。
初めはクリスがポーラを傷付けるような出来事があったのかと思ったが、彼女を気遣うように接するクリスは昔と変わらない。
「――どうして、私は私なのかしらね」
「お嬢さま?」
言葉の意味がわからず、メイドはポーラに声をかけるが返事はない。
窓辺に立ったポーラの背中からは深い悲しみが感じられる。
見守ってきた令嬢の様子に胸が締め付けられる思いを抱きながら、メイドはその姿を見つめることしか出来ないのだった。
*****
兄から届いた魔法鳥の手紙には男爵令嬢ポーラの評判、そして相手のクリスの評判も綴られていた。
如才ない兄カイルの手紙の情報に微笑むエレノアだが、飛ばされてきた魔法鳥は少々不服そうに鳴く。
最愛の妹エレノアからの手紙を読んだカイルは迅速に情報を集め、エレノアへの手紙をしたためると魔法鳥にも速やかに対応することを求めたのだ。
全速力で飛んできた魔法鳥は少々不満そうである。
そんな魔法鳥の顎を細い指で撫でたエレノアは、クッキーの欠片を差し出す。
兄への礼に焼いたクッキーを、試食用に残しておいたものだ。
思いがけないご褒美に魔法鳥は機嫌を直し、尾羽を振って喜びを表す。
「ポーラ嬢は慎み深い方で目立つ方ではなく、依頼者のジェイソンさまは落ち着いて温厚な方でお二人とも特に問題はないようね。でも、そうなるとやはりご事情がわかりませんね。お相手にご不満があるにしても、食事をしない理由にはなりません」
手紙の内容をかいつまんで話すエレノアが話すと、ソファーに座っていたスカーレットはほっそりとした指を顎に当てて、何やら考え込んでいる様子だ。
言おうか言うまいか、悩んでいる様子のスカーレットをエレノアはじっと待つ。後ろに控えるペトゥラが少々不安気だが、スカーレットは意を決したようにエレノアを見た。
「……その、あくまでわたくしの場合なのですが、食事をする際に気になることがありますわ」
「気になることですか?」
エレノアが食事の際に気になることは、どんな食材が使われているか、どう調理しているかくらいだ。貴族として気にするのであれば、周囲との会話や社交になるだろう。
だが、スカーレットはそうしたことを気にしているわけではなさそうだ。
少し言いづらそうに小声でスカーレットは話し出す。
「わたくしはその、お化粧が落ちることが気になるのです」
「お化粧、ですか?」
予想外の答えに目を瞬かせて、エレノアはスカーレットを見つめる。
華やかな顔立ちの彼女は今日は薄い化粧のみである。正道院の規律を守り、あくまで顔色が悪く見えない程度のものだ。
貴族研修士ヴェイリスであれば、もう少し華美な化粧をする者もいる。
きちんと自身の現在の立場を考えたうえでの化粧というのが好ましく、スカーレットの性格を反映させてもいた。
しかし、そんな清潔感のある化粧が落ちても、問題がないようにエレノアには思える。
エレノアの考えに気付いたのか、少し恥じるようにスカーレットは事情を話し出した。
「わたくしは実際よりも気丈に見えます。それゆえ、誤解されることも度々ございまして、化粧で少しでも柔和に見えるようにと心がけていた時期があったのです」
「確かに化粧や衣服で、印象を変えることも出来ますものね」
エレノアの言葉にスカーレットは少し微笑んで頷く。
この聖リディール正道院に来た当初も、事件の噂はもちろん、外見上の雰囲気で人が遠ざかっていった。
持って生まれた外見と雰囲気でスカーレットは随分、損もしてきたのだ。
こうして素直に自分のコンプレックスを話す相手がいれば、苦しまずに済んだのだろうと罪を償うために訪れたこの場所での出会いを感慨深くも思う。
「では、ポーラ嬢もそうなのではないかと?」
「えぇ、食事をすればメイクが崩れますわ。あるいは体調を崩しやすくなるなど、ジェイソンさまの前で食事をなさらないのは不都合があるからではないでしょうか」
ジェイソンの手紙では自分が嫌われているのではという恐れが伝わってきた。
だが、兄カイルからの手紙もそのような情報は一切ない。
スカーレットの言うようにジェイソンの前で食事をしない理由は、彼を嫌っているからとは言い切れない。
真逆の可能性をスカーレットは指摘する。
「好きな方の前で、より良い自分を見せたいとポーラさまは思われているのではないのでしょうか」
男爵令息クリスからの手紙に、兄カイルからの手紙、そのどちらからも伝わるのはポーラとクリスの関係が不仲ではないという事だ。
それにもかかわらず、共に食事をしないポーラのちぐはぐさが、スカーレットの言葉で解消される。
無論、本当の答えを知るのはポーラだけである。
「早速、兄に追加の調査を依頼しなければなりませんね!」
目を輝かせるエレノアに、スカーレットは嬉しそうに微笑む。
勇気を出して話したことが、エレノアの力になったことに喜びを感じたのだ。
少しずつ自由になっていくスカーレットの様子に、後ろで控えるペトゥラは不思議な縁に感謝する。
罪を償うべくして訪れたこの聖リディール正道院で、二人の貴族令嬢は重荷から解き放たれたように自然に過ごすのであった。
楽しんで頂けていますでしょうか?
気分転換になっていましたら嬉しいです。




