第40話 キャラメルと少女 3
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それから数日後、聖リディール正道院の祈祷舎近くの一室では新たな菓子の販売が始まった。
この小さな部屋は祈祷に来た人々の大きな楽しみになっている。
今日から販売された菓子は、ラスク同様に買い求めやすい値段が好評で早く室内は賑わっていた。
その入り口をそっと覗く少女に気付いたグレースは、慌てて彼女に近付いた。
「お待ちしておりました。来てくださったんですね」
「……私を待っていたの?」
不思議そうな表情を浮かべるクレアの前に、しゃがみ込んだグレースはポケットから小さな包みを取り出す。
彼女の手のひらの中にあったのは、キャラメル一粒だ。
「こちら、ご依頼を頂いた品です。お買い上げになりませんか?」
「……いいの?」
「ええ、もちろん。あなたのご依頼から生まれたお菓子なんですよ。ほら、あちらをご覧になってください」
グレースが指す方向には、今日発売したキャラメルを買い求める大勢の人がいる。
一粒からと買い求めやすい菓子は好評で、中には早速口に含み、顔を綻ばせる者もいた。
そんな光景を眺めているクレアに、グレースは穏やかに話しかける。
「あなたのおかげでもあるんですよ」
「え?」
つぶらな目を瞬かせるクレアに、グレースは優しく微笑む。
「クレア、あなたが依頼をしてくれたからこそ、私はその思いをある御方に伝えました。あなたがお母さまを想う気持ちが伝わったからです。そしてその願いを、ある御方が形にしてくださいました。それがこのお菓子、キャラメルなのです」
じっとグレースを見つめたクレアだが、ハッとしてボタン付きのポケットの中をごそごそと探る。毎日、買い物に行くクレアにある日、客の一人が駄賃を渡した。その硬貨を彼女はずっと使わずに、こうして持っていたのだ。
「これで買える?」
「えぇ、一つ買えますよ」
グレースが手に持っていた小さなキャラメル一粒は、クレアの手に渡される。
クレアの持っていた硬貨はキャラメルがちょうど一粒買える程度の金額だ。
それでも彼女にとっては大きな金額で、こうしてポケットにしまって置いたのだろう。代わりに小さなキャラメルを、クレアはポケットにしまい込む。
そっとポケットに手を置く様子から、母を想うクレアの心が滲み出る。
「では、正道院の門まで私がお送りしますね」
「お仕事中だし、大丈夫だよ?」
「いえ、ご依頼主さまを見送るのも仕事ですので」
「……そっか。ありがとう!」
初めは少女の小さな願いだった。
それをグレースは子どもの話として軽んじることも、流すこともしなかった。
クレアの想いをくみ取り、それをエレノアに伝えたからこそ、キャラメルはこうして小さな少女の手に渡り、正道院でも販売されることとなったのだ。
「ご依頼主」と丁重に扱われクレアは、気恥ずかしくもくすぐったい思いになる。
穏やかで慎ましやかな目の前の女性は、クレアのことをきちんと見つめてくれるのだ。
小さなショルダーバッグをかけたグレースと共に、クレアは正道院室横のその部屋を後にした。
「ありがとう、お姉さん。ここまでで大丈夫だよ」
「ええっと、そうですね。そうなんですが、ちょっと待ってください」
門の近くまで来たクレアにそう言われたものの、グレースはわたわたと慌てだす。
周囲に誰もいないのを確認したグレースは、先程と同じようにクレアの前にしゃがみ込んだ。
小さな袋をショルダーバッグから取り出したグレースはクレアにそれを手渡す。
受け取ったクレアはその感触で何が入っているかに気付き、グレースに返そうとする。
「これは私からのお礼です」
「ダメだよ、ちゃんとお金を……!」
「……実は事情がありまして、先程あちらで販売されていたものとこちらは違うものなんです」
そう言うとグレースの顔は耳まで赤くなる。
渡された袋をクレアがそっと開けると中には確かにキャラメルが入っている。
だが、それはどれも不揃いである。
色合いも先程手渡されたものとは異なり、良く言えば濃く、悪く言えば少々煮詰めすぎにも見えた。
「……いつも菓子作りを手伝ってはいるのですが、この菓子は初めてで。不揃いですが、味はその……いえ、食感やくちどけも異なり、販売は出来ません。私が練習したものなんです」
恥ずかしそうなグレースの様子と、受け取ったキャラメルの状態にクレアもそれが真実なのだとわかる。
キャラメル作りは簡単そうに見えるが、加減が難しい。
エレノアに誘われ、作ってみたもののこの有様で出来上がったキャラメルの販売は見送られたのだ。
失敗作なので買い取ると主張したグレースに、買い取る必要はないが誰かにあげてはどうかとエレノアは提案した。
それが誰を指しているのかは言うまでもない。
何も出来ないと気落ちする自分に与えられたエレノアからのきっかけに、グレースは感謝した。
「販売は出来ません。クレア、あなたのご依頼で新たな聖なる甘味が生まれました。そのお礼に受け取ってはくれませんか?」
「本当に、本当にいいの?」
「はい。もちろんです」
「じゃあ、ちょっと待ってね!」
ごそごそとポケットの蓋を開け、一粒のキャラメルをクレアは取り出すと包みを開き、しゃがんでいるグレースの口にほおり込む。
「!!」
驚くグレースだが、口に入ってしまったものはどうにも出来ず、ただただクレアの顔を見るばかりだ。
グレースの手にあった袋を受け取ったクレアは、いたずらが成功したような笑みを浮かべる。
「お母さんにも私にも、お姉さんのキャラメルがあるから。それは私からのお礼だよ。私のお願いはお姉さんが叶えてくれたから」
笑ってくるりと背を向けた少女は走りながら去っていく。
何度もグレースを振り返り、手をぶんぶんと振りながら。
甘く溶けていくキャラメルの味と、少女の笑顔にグレースは気付く。
「聖なる甘味」を考え、作り出すエレノアのようにはなれない。
だが、エレノアとその菓子を望む人々を繋ぐことがグレースには出来るのだ。
弾むように母の元へと走るクレアの後姿と、キャラメルの味になぜか胸が熱くなるグレースであった。
*****
エレノアの自室からは今日も甘く食欲をそそる香りが漂ってくる。
キャラメルが入る小鍋を揺らし、ちょうどいい火加減で温めていたエレノアはそこにナッツとドライフルーツを加える。
木べらでかき混ぜ、金属のバットに平たくならして完成だ。
「ナッツやドライフルーツを加えて、忙しい人や山に入る人の軽食にしたらどうかしら。一時的に栄養を摂るのにはちょうどいいと思うのよ」
ラスクもそうであるが、軽食としてはこちらの方が利便性がある。
ナッツやドライフルーツと栄養価の高いこの菓子は、多忙な者や旅人などに向いているだろう。
また食事の摂れるようになったけが人や病人にも負担なく、カロリーや栄養素を補える菓子となるはずだ。
「ベースが同じでも全く異なる菓子になるのですね。価格もキャラメルでしたら一粒ずつ安価に出来ますし、こちらはそれなりの値段になる。お嬢さまの豊かな発想と商才でしたら、この世界中のどこへ参っても一旗揚げられます!」
《で、それは我の分はあるのだな!》
騒がしい二人に微笑みを浮かべつつ、エレノアはナッツバーを切り分けていく。
こちらはまだ温かいうちに切り分けるのが、綺麗にするコツである。
試作品であるこのナッツバーだが、既に送り先は決まっていた。
「これをお父さまとお兄さまに贈ろうかと思っているの」
「それは良いお考えです! きっとお二人ともお喜びになられます」
多忙である二人は食事もなかなか摂れないだろう。
ナッツバーであれば携帯も出来るうえ、栄養もそれなりに摂れるのだ。
切り分けたナッツバーを小さく包み、それを袋に入れていくエレノアだが、シルバーは不満顔だ。
《我にはないのか!》
「うーん、この間のことがあるからなぁ」
先日、忠告を聞かずキャラメルを齧ったシルバーは、取れるまで一人で格闘する羽目になったのだ。
だが、ドアの隙間から鼻を覗かせるシルバーは懲りた様子はない。
目を輝かせ、しっぽをせわしなく振るばかりだ。
《あのときとは違う菓子なのであろう! であれば、問題ない》
「そうかなぁ。噛んでも少しくっついちゃうと思うんだけどね。シルバーの歯の形って人と違って鋭く尖ってるし」
《そうか! であれば、我があの姿になれば良いのだな!》
獣の歯と人の歯では食べられる物が違うのならば、人の姿になればよいのだ。
名案を思い付いたシルバーが行動に移そうと動き出した瞬間、エレノアの低い声が忠告をする。
「そしたら、もうお菓子あげないよ?」
《……ぐぬ。だが、この姿でも貰えぬではないか》
シルバーを見つめる紫の瞳は冗談を言っているような様子は見えない。
どちらにせよ、菓子が貰えないと拗ねだすシルバーに、仕方なく小さなかけらをエレノアはシルバーの口にほおり込む。
カリカリと軽快な音を立て、しっぽを振るシルバーは満足気だ。
《これは美味だな! ぬ、だが歯に多少……いや、問題ないぞ! 我の歯でもまだまだ食える!》
ナッツやドライフルーツを纏わせたキャラメルであれば、そこまで歯にはくっつかないのだ。
キッチンを出たエレノアは魔法鳥を呼び出す。
机でペンを取り、父や兄への手紙を書いていく。
魔法鳥はエレノアが作り出した新たな聖なる甘味を、父と兄の元へきちんと届けてくれるだろう。
兄や父が喜ぶ表情を思い浮かべながら、エレノアはペンを走らせるのだった。
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次回は「男爵令嬢ポーラの悩み」です。




