第39話 キャラメルと少女 2
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自室に戻ったエレノアはアレッタのアドバイスと良質なハチミツから、ある菓子を思いつく。
それはエレノアがハルであった頃の記憶にも繋がっている。
まだハルが幼い頃、学校でからかわれたり何か友人と喧嘩になったときには、帰宅してすぐに祖母に泣きついた。
祖母はうんうんと話を聞いた後、必ずハルの口の中に甘い飴玉をほおり込む。
優しい甘さと祖母の手のひらの温かさに安心して、ハルは泣き止んだものだ。
「でも、飴玉じゃ硬いし、もう少し柔らかくって栄養価があるものがいいよね」
祖母との思い出を振り返りながら、エレノアとなったハルは頷く。
ハルの記憶もエレノアとしての記憶も、今の自分自身を支える温かな思い出はきちんと残っているのだ。
そして、聖リディール正道院へと訪れてからの出会い、シルバーや菓子作りの魔法、聖なる甘味を皆で作り上げた出来事は今のエレノアを作った。
個々の依頼を受ける新たな試みだが、今回は小さな女の子からのものである。
かつて自分が祖母に飴玉を貰った時のように、口にした少女やその母の表情がほころぶ菓子を作ろうと、エレノアは試作へと乗り出すのだった。
*****
厨房には甘い香りが漂う。
すんすんと鼻を動かしつつ、モフモフとしたしっぽを振るシルバー、エレノアが火傷をしないかとハラハラとした表情で見つめるカミラの姿がある。
エレノアが始めたのはキャラメル作りだ。
砂糖にハチミツ、生クリームにバター、使うのは小鍋に木べらと材料も道具もシンプルである。しかし、その火加減や時間でキャラメルの風味はかなり異なるのだ。
適度な頃合いになるまで、丁寧にエレノアは小鍋を動かす。
「お嬢さま、こちら安価にするには少々材料に値がかかりませんか?」
「これ、全部を買うならね」
金属のバットに小鍋に入ったキャラメルを流し込み、均一になるようにバット自体をエレノアは動かす。浅い金属のバットに一面に広がるキャラメルは既に美味しそうな色合いと香りを漂わせる。
「冷めたら、切り分けていくわ。小さなひとかけらなら、皆が買える値段に出来るでしょう?」
「一粒ずつ販売するおつもりなのですね」
小さな一粒であれば、値段もそこまでかからない。
必要な分だけ買うことで、それぞれの生活や需要にあった販売が出来るのだ。
依頼をしてきた少女は病気の母に聖なる甘味を食べさせたいと望んでいる。
彼女が買える値段で提供するにはこの形が最適だとエレノアは考えたのだ。
「喉に優しいし、噛まなくっていいし、味も長く持つわ」
「頂いた依頼の内容にぴったりの品ですね」
依頼者のことを考えて、菓子を作るエレノアの姿にカミラは目を細める。
「聖なる甘味」の復活だけに飽き足らず、更に新たな菓子を作り上げていくエレノアの才能を心の中で称えるカミラの視界に、ぶんぶんと白いもふもふが映る。
しっぽをせわしなく振るシルバーに、カミラは残念なものを見る思いである。
「この犬の歯には良くないのではありませんか? お嬢さま」
《我の歯は鋭く尖り、何を食べるにも問題ない》
「うーん、歯にくっつくと思うよ?」
舐めれば問題ないキャラメルではあるが、噛めばもちろん歯にくっつく。
そのことを心配しているのだが、シルバーは自分の歯に自信があるようだ。
《問題ない。我の歯は特別だからな!》
「お嬢さまが気になさることではないかと思います」
《おぉ、久しく気が合わなかった汝と初めて意見があったな!》
カミラはシルバーを気遣ったわけではない。
そもそもシルバーの言葉などわからないのだ。
単にシルバーの歯ごときに、エレノアが気を遣う時間がもったいないと考えただけである。
青い目を嬉しそうに輝かすシルバーに仕方なく、エレノアがキャラメルを食べさせるのはあと十分後、 嬉しそうにもふもふのしっぽを振るシルバーは、後ほど歯にくっつくキャラメルと格闘することになるのだった。
「うわぁ! 美味しそうですね!」
「どうぞ、試食してみてね」
夜、使用人用の厨房では小さく歓声が上がる。
エレノアが皆の意見を聞きたいと、試食用にキャラメルを持って来たのだ。
恐縮するペトゥラとエヴェリンだが、素直なマーサは瞳をキラキラと輝かせ、キャラメルへと視線を送る。
「砂糖と生クリーム、バターとハチミツで作っているの。こうして1粒ずつなら、買いやすいでしょう?」
「それなら、私のお給金でも買えますね!」
ぱあっと表情を明るくするマーサだが、側にいたペトゥラとエヴェリンは不安そうな表情になる。
「大変。マーサが破産してしまうかもしれません」
「お給金の前借は出来かねますよ?」
「そ、そんなことは……ないといいなって思います」
少々自信なさげに答えるマーサに、エレノアもくすくす笑う。
マーサたちには一粒ずつ切った物を袋に詰めて持って来たが、エレノアが別に用意しているものがある。
それは小さく可愛らしい缶に入ったキャラメルだ。
「こうして缶に詰めて、もう少し装丁や味にも変化をつければ貴族の方用に販売できるかと思っているの」
「うわぁ、可愛らしいですね! 全く雰囲気が違って高級感がありますね」
「こちらをスカーレット様にお渡ししてくださる? まだ、試作段階で申し訳ないとお伝えしてね」
「はい! お嬢さまにお伝えいたします!」
小さな缶をエレノアから受け取ったマーサは、先程より嬉しそうな表情で頷いた。
そんな姿に自然と周囲にいたペトゥラたちにも微笑みが浮かぶ。
大人から子どもも食べられる優しい味わいのキャラメルは、多くの人に受け入れられるだろう。
何より、一つずつ販売することで負担も減らすことが出来る。
グレースが話を聞いた少女もその母にも合う菓子であるとエレノアは思う。
「これは今後、正道院で販売するのですか?」
「そうね。でもこの形以外にも工夫をもう少ししてみたいわ。依頼品としてはこれが完成形よ」
キャラメルの風味は幅広く受け入れられるだろう。
であれば、もう少し商品の種類も増やしてみたいとエレノアは考えたのだ。
キャラメルを一粒、口に入れたマーサの表情がほころぶのを見て、エレノアは安堵する。
これならば、少女もグレースも喜んでもらえるだろう。
明日、依頼品の完成をグレースに伝えようと思うエレノアもまた、穏やかに微笑むのだった。
*****
翌日、エレノアから依頼品の完成を告げられたグレースは微笑むが、どこか複雑そうな表情を浮かべた。
出来栄えが気に入らなかったのだろうかと思うエレノアだが、小さな袋に入れたキャラメルを大事そうにグレースは受け取った。
そんな様子から他に何か事情があるのだとエレノアは気付く。
「……素晴らしいと思います。これならば、多くの人が買い求めやすいですし、あの子、クレアの願いとも合致しますね」
「では、どうしてあなたはそんなに悲しそうな表情をしているの?」
エレノアの言葉にハッとしてグレースは頭を下げる。
「申し訳ありません。せっかく、ご依頼を受けて頂いたのに失礼なことを致しました。お品自体はきっと彼女にも喜んでもらえるかと思います。……その、ただ自分自身が不甲斐なく思えただけなのです」
「不甲斐ない?」
グレースの言葉の意図がわからず、エレノアは彼女の言葉を反芻する。
じっとこちらを見つめる美しい紫の瞳に、気まずさを感じたグレースは視線を逸らす。依頼をしておきながら、このような気持ちになってしまう自分自身を恥じる思いが芽生えたのだ。
それはグレースの生真面目さと責任感から来る思いだ。
「私はクレアの願いをエレノアさまのお伝えし、お願いをしただけです。目の前で困る少女がいるにもかかわらず、研修士として悩みを抱える人のために力を尽くしてはおりません。そんな自分の至らなさを思い知ったのです」
クレアの願いである病に臥せる母にも食べられる菓子は、エレノアの手によって完成した。それ自体は素晴らしいことでグレースとしても喜ばしく思う。
一方でグレースは、自分自身がそのために何かしたわけではないと自らを省みる。
控えめで職務に真摯な彼女の性格から、自身の無力さを痛感したのだ。
だが、エレノアはそんな彼女の言葉を否定する。
「私は、この正道院に訪れる皆さんにお会いすることは叶わないわ。グレース、あなたやリリーが菓子を食べた人たちの喜びや感想を伝えてくれるのが、私にとって大きな励みになっているのよ」
貴族研修士ヴェイリスであるエレノアは、人々の思いを知ることが出来るのは手紙が、グレースたちが伝えてくれる言葉のみなのだ。
グレースやリリーが、今日はこんな人が訪れて菓子を買っていった、子どもが菓子を喜んでいた、そんな日々の小さな言葉がエレノアにとっての支えである。
聖なる甘味を喜ぶ人々の思いが、また次の聖なる甘味へと繋がっていくのだ。
「……そう言ってくださるお優しさに感謝致します」
少し微笑んで礼を述べるグレースだが、その表情からはまだ自信のなさが伝わってくる。
エレノアとしても、グレースの様子に歯がゆい思いになる。
そして、エレノアは決断した。
「わかったわ! グレースさん、私にこれから少し時間を貸してちょうだい!」
突然のエレノアの宣言にグレースは何度も瞬きをする。
先程までの話と、エレノアの今の言葉が繋がらなかったのだ。
「え、ええっと、いかがなさいましたか? エレノアさま」
「大丈夫よ、こちらにいらして、さぁ!」
意欲に溢れた表情で、こちらに笑いかけるエレノアの勢いに押され、何事かはわからないグレースはただただ彼女の指示に従うのであった。
皆さんに楽しんで頂けていたら嬉しいです。




