1.4
大量に買ったシュトゥルトゥルの店主から、有益な情報を得た。資金を稼ぎたいのなら、宿屋が併設されているギルドで冒険者登録をして魔物を討伐すればよいと。
ギルド。冒険者。ますます物語の世界のようだと心を躍らせるラノベ女子の都は、店主から聞いたギルド兼宿屋のラベラスラへ向かう。
広場から続く大通りを進むと、入口が二つある三階建ての建物が見えてきた。冒険者登録は右の入口と聞いていたため、迷わず入る。
(うわっ……)
むわっと、まるで夏の体育館のような熱気に思わずたじろぐ。入口は別れているが、宿屋とギルドは酒場で区切られているようだ。筋肉隆々の男たちがいる机、ハーレムのような構成のグループ、カウンターに座る人など様々な人がいる。
(……物語みたい。帰る手段を探さないといけないけど、せっかく来たんだ。この世界を楽しみたいな)
まずは生活基盤を整えないといけないと思い、冒険者登録をするためカウンターへ行く。受付は三つあったが、一つだけがら空きの場所があったからそこへ行く。制服だろうか。民族衣装のようなカラフルな服が似合う、二十歳くらいの耳が尖っている受付嬢がいた。首を隠しているような服が、受付嬢の華奢さを引き立てる。
「いらっしゃいませ。ご新規さんですね。こちらの用紙にご記入をお願いします」
カウンターに置かれたのは、A4サイズ程の大きさの紙だ。しかし何が書かれているのか全くわからなかった。
都の手が進まないのを見て、受付嬢は首を傾げる。
「もしかして、お読みになれないですか」
「そうみたい」
「でも、ご新規さんはグルレリに喚迎されたのですよね? こうしてお話もできますし」
「話はできるんだけど……読めないみたい。これじゃぁ冒険者登録、できないよね」
「少々お待ちください」
そう言うと、受付嬢はカウンターから離れて奥の部屋に行った。
(あぁ……責任者を呼んできます、みたいなやつかな)
話せるが読めないのは、生活が危うい。書面で契約をする際、騙されていても気づけない。手持ちも銀貨三枚しかないため、一泊もできないだろう。野宿するにしても勝手がわからない。
(詰んだな)
生き延びられるものならば生き延びたいが、ここで死ぬのが運命だというのなら抗えないだろう。そう思っていると、奥の部屋から耳が隠れる長さの赤毛に森のような深緑の瞳をした青年がやってきた。首元を隠す白い服を着ている。青年は、目の下にクマを作っているように見えた。
(あー、若そうに見えるのに。整っている顔が台無し)
青年がカウンター越しに都と対峙する。
「読めるようにします。あなたに触れますので動かないで下さい」
そう言うと、青年は都の額に人差し指と中指を当てて目を閉じる。睫毛が長いなぁなんて呑気なことを考えていると、青年が目を開けた。そしてにっこりと微笑むと、カウンターに置かれた紙に手を向ける。
「どうでしょうか。読めるようになったと思います」
額に触れられはしたが、熱いも冷たいも特に感じなかった。何か変化が起きたとは思えなかったが、都は紙に目を落とす。
「え、うそ。読める……」
「それは良かった。では、おれの仕事は終わりですね」
にこっと微笑まれ、思わずときめいた胸を抑えた。しかしそんな都のときめきなんて知らない受付嬢が、胸を張って自慢する。
「バルドゥル様は凄いんですよ。一人しかいない送迎官を長く務められておりますし、大体何でもできちゃうんです。魔力量だって右に出る者はいないくらい多いんです」
むふーと鼻息を荒く教えてくれる女の子に目を向けると、名札にゼリルダと書かれていた。
「ゼリルダちゃんは、あの人のことが好きなんだね」
「ち、違いますよぉ!! あ、あたしなんかがバルドゥル様となんて畏れ多いです!」
照れている、というよりは慌てている様子のゼリルダを見て、これ以上からかうのは止めようと思った。
都が書類に目を通して記入すべきところを記入し、ゼリルダに渡す。
「はい。確認お願いします」
「了解です。名前と、年齢……ミヤコさんは二十八歳なのですね」
「年齢、高すぎるかな」
「い、いえっ。冒険者はいつでもご新規さんを募集中です」
いつでも募集しているということは、いつも人手不足ということでもある。冒険者は危ない職業なのかと思いつつ、ゼリルダに質問する。
「超初心者のわたしでもこなせるクエストってないかな」
「冒険者証を準備しますので、少々お待ち下さい」
ぺこっとお辞儀をすると、ゼリルダはカウンターの奥へ行く。
ゼリルダが戻るまで待っていると、顔に傷のある二人組の男が話しかけてきた。
「よお。その年で新規登録なんて訳ありか」
都の尻を触ろうとした男の手を叩き、ゼリルダを待つ。
「無視すんじゃねえよ」
「女性に乱暴しようとするなんて、見逃せませんね」
男の一人が都の肩を掴もうとしたとき、先程部屋の奥へ消えたバルドゥルが男の腕を掴んでいた。余り力を入れていないように見えるが、男はバルドゥルの手を振り払おうと血管が浮き出る程力を入れている。二人の力の差は歴然だ。
「離せ、くそ野郎、っ」
反抗的な男の手を一捻りするように、ふわっと手首を返す。床に背中を叩きつけられた男は、バルドゥルを睨みつける。
「な、何なんだよお前はっ」
「あなたごときに名乗る名なんてないですが、放置するとまた悪さをしそうですね。教えてあげましょう。バルドゥル・レオナルト・ブルーノと言えば、あなたでもわかるでしょうか」
「ブ、ブルーノ……? ブルーノってえのは、あのブルーノか?」
「そうですねえ。この国では一つしか示さないと思いますが」
バルドゥルがにこっと微笑みかける。その瞬間、男の顔から血の気がなくなった。
「そ、その、もう悪さはしないんで、どうか命だけは……」
「おれだって人の血が通っていますからね。命を取るなんてことはしませんよ。まあ、あなた方がこれ以上ギルドで騒ぎを起こすなら、やぶさかではないですが」
冷静な声で語りかけている。バルドゥルの背に庇われているような状態の都には、バルドゥルの顔は見えない。しかしあの整った顔を真顔にしているのだろうなと予想はつく。それは、怖いだろう。
都の想定通り、男たちはギルドから逃げ出していった。その瞬間、わぁっと声が上がるのかと思いきや、酒場はしんと静まりかえっていた。その様子に首を傾げつつ、礼をするためにバルドゥルに声をかける。
「助けて下さり、ありがとうございます。その、あまり手持ちはないですが、できる限りのお礼をします」
「子供達にシュトゥルトゥルを買ってあげたんですよね」
「み、見てたんですか」
「優しい方だなって思ったんです。だから、お伝えします。おれは魔王の息子です」
「? それが何か?」
「何かって……魔王の息子ですよ? 怖くないんですか」
「別に親が誰であろうと関係ないですよ。わたしが助けられた事実は変わらないですから」
「アネサキさんは変わっていますね」
「あれ、わたし名乗ってないですけど」
「すみません。冒険者証を作り出すときに見てしまいました」
「作り出す……バルドゥルさんが?」
「全員じゃないですよ。基本的にはギルドの職員の人が行います。アネサキさんは、特別なので」
顔良し、助けられた、柔らかい物腰。そんな相手に特別だなんて言われたら、うっかりときめいてしまう。それは、自然の摂理というもの。ぽおっと頬を赤くした都は、ごく自然に口にしていた。
「わたしのこと、都って下の名前で呼んで下さい」
「女性の名前をお呼びするわけにはいきません」
「わたしが、呼んで欲しいって言っても?」
「はい。名前は大切なんですよ? アネサキさんが心を許す方に呼んでもらってください」
「バルドゥルさんは紳士ですね。それなら余計に、先程のお礼がしたい。わたしに奢らせて」
「いえいえ。女性に奢っていただくわけにはいきません。それに、手持ちが少ないと言っていました。初心者の冒険者でもできるクエストがあります。さくっと稼いで、宿代に充てて下さい」
「それなら、わたしが冒険者になって稼げたら! そのときは、性別なんて関係なく、一冒険者としてお礼をさせてほしい」
「いえいえ、気にしないでください。それでは、またどこかで」
にこっと微笑まれ、都は思わずときめいた胸を抑える。去り際も爽やかだと思っていると、ドスンッとカウンターの方で音がした。振り返ると、ゼリルダがぶ厚いファイルを捲っていた。
「ミヤコさん。バルドゥル様はあぁ仰っていましたが、初心者のミヤコさんができるクエストは限られています。ハテューマリー平原でサラノハやカンボの収穫が妥当でしょうか」
そこまで言うとゼリルダは都の冒険証に目を落とす。
「ミヤコさんは戦闘可とありますが、武器は何を使いますか」
問われ、都はがま口リュックを触る。
「た、たぶん、鈍器かな」
「なるほど。それならば戦闘はまだ待った方がいいかもしれません。魔術が使えないのであれば、先の尖った武器が有効です。貯金できるようになったら、広場から南に行けば武器防具が売っているので、行ってみて下さい」
「貯金ができるの?」
「はい。冒険者証は身分を明らかにすると同時に、ギルドに来て頂ければそこへお金を入れることができます。ギルド内、酒場、宿ではそのまま使用できますが、街では現金しか使えないのでご注意ください」
「そうなんだ。丁寧にありがとう。わたしでもできるクエストを紹介してもらえるかな」
「了解です。先程ミヤコさんの武器が鈍器ということでしたので、ご自身の爪で採集可能な、サラノハの収穫クエストをお願いします。内容は若芽を摘むことですが、成長した葉は食品を包んでおくと防腐効果があるのでいつでも募集中です。見かけた際は収穫していただければ、追加で報酬をお渡しいたします。見分け方は発注書に書かれています」
ゼリルダから発注書と銀行のカードのような厚みの冒険者証を渡される。
「このクエストを受けますか」
「受けるにはどうすればいいの?」
「はい。カウンターにて、冒険者証と発注書を持ってきていただければ可能です。サラノハは常時募集しているので特別に張り出してはいませんが、他のクエストを受けるときは掲示板に貼られている物をお持ち下さい。基本的には何でも受注可能ですが、ギルド職員の判断で許可できない場合もありますのでご了承ください」
「わかった。ありがとう。早速行ってみるね。クエストの品物は、カウンターに持ってくればいい?」
「それも可能ですが、宿屋でも酒場でも、内容によっては道具屋やその他の店でも買い取り可能です。どこに持っていくかわからない場合は、ギルドに持ってきていただければ問題ないです」
「了解。じゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
まるでどこかの喫茶店のように、深々と送り出してくれる。気分良くギルドを出た都は、手元の発注書に書かれた地図を確認する。サラノハがあるハテューマリー平原は、広場を基準に考えて城とは逆方向に進むらしい。
(初めてのクエスト。楽しみだなぁ)
都は発注書を手に歩く。城や城下町があるエリアは堀に囲まれており、橋を渡る。その先にある門の兵士にも方向を確認して、初めてのクエストのために外へ出た。
ワクワクしながら門を潜った都は、気づかない。都の後ろから追いかける男の存在と、先回りする男の存在を。