2.11
翌日。
コンコンと扉が叩かれる音で目を覚ました都は、寝ぼけたまま扉を開く。
「はい?」
「ミヤコ。恋人が下の酒場で待っているよ。そんなよれよれの格好じゃなくて、ちゃんと可愛くなってきな」
用件だけ伝えると、女将は酒場に戻っていった。寝過ごしたかと思っていると、スマートフォンで確認できる時間は朝の九時。充電もしないで電池が保たれているのは不思議でならないが、これも異世界転移者の特権なのかもしれない。
都は初めの一週間で揃えた服を見る。動きやすさを重視してほとんどパンツだが、一着だけワンピースがある。店員に薦められて買った花柄の服。普段であれば絶対に着ないのだが、流行っていると言われて購入した。
「は、流行りだし……ま、まぁ? 買うときにバルドゥルの顔が頭をよぎらなかったかというと、そうではないんだけど」
誰が聞いているわけでもない言い訳をしながら、ワンピースの隣の服に着替える。背の高い都が着ているのは、この世界の男物だ。すらっとした長い足がよく映える。
「ほ、ほら。今日もクエストに行くし」
扉に設置されている鏡に映る自分を見つつ、これ以上バルドゥルを待たせてはいけないと髪を結い上げる。あれから飾り紐も追加し、色々な髪型をできるようになった。何カ所か紐でくくってから、動いても邪魔にならないように纏める。それが、いつもやっている髪型だ。
「編み込むのは、ちょっと時間がかかるかな。かかるよね。今日は、いつもと同じ髪型にしよう」
散々悩んだ挙げ句、昨日までと変わらない格好をする。待たせているのに申し訳ないと思うが、こうして装いを気にするのも久しぶりだ。
(……もっと、わたしが努力していたら結果が変わったかもしれない)
バルドゥルには気持ちを切り替えたと言ったが、三年も付き合っていたのだ。初めての恋人で、どうしても引きずってしまう。婚約期間と重なる形で不貞をされたのに、憎みきれない自分がいる。愛情ではなく、ただの情けだ。
「よしっ。切り替えていこう!」
パンッと気合を入れるために頬を叩いてから、これからバルドゥルと会うのだと思い出す。鏡で頬を確認し、ばれないだろうと判断して酒場へ急ぐ。
朝食を頼んでいてくれたバルドゥルが、都が階段を降りると立ち上がった。
「待たせてごめん」
「いいえ。気にしないでください。ミヤコさんを待っている間も楽しい時間ですから」
「そ、そう? そう言ってもらえると助かる。朝ご飯、食べよう、か……」
席に着くと、バルドゥルが都の頬に手を伸ばしてきた。
「少し赤い気がします。何かあったのですか」
「な、何も!? 大丈夫、問題ないよ。ほら、早く朝ご飯を食べよう」
まだ心配そうに見ているバルドゥルの奥に、微笑む女将がいる。昨夜のこともあり恥ずかしくなった都は、野菜スープに手を伸ばす。
「あちっ」
随分待たせてしまったというのに、野菜スープはまるで出来立てのように熱々だった。予想外の温度で思わずスープを零してしまった。ズボンの上に零してしまい、バルドゥルをチラ見する。すると恥ずかしそうに顔を紅くして、都から目をそらしていた。
「さ、さすがにその場所をおれが拭くわけにはいきません。や、火傷の跡が残らないうちに着替えてきてください」
「そ、そうだね」
頭をぶつけないように守ってくれたときのように、野菜スープも拭ってもらえると勝手に思っていた。しかし零した箇所を考えれば、それはあり得ないだろう。
「先に食べてて。着替えてくる」
「わかりました。焦らなくてもいいですからね?」
「ありがとう」
礼をしつつすぐに三階の部屋に戻り、洋服棚を開けた。そしてワンピースの近くにある服に手をかけ、止まる。
「いや、着る? さらに待たせることになっているのに?」
悩んだが、一先ず内股を確認する。多少赤くなってはいるが、問題ないだろう。髪や上の服にかかってはいないから、ズボンさえ履き替えればいい。
「さっきのズボンは黒だったから上は白。これに合わせるなら次は紺。別に色合いは同じだし組み合わせも間違っていないけど」
ちらちらと、花柄のワンピースが目に入る。即断できない時点で、もう決まっているのだろう。
「うぅ……きょ、今日は、クエストなし!」
決断してからの都は素早い。カラスの行水かと言わんばかりの速さで体を洗い、髪を乾かし、ワンピースを着る。そしてその服装に合わせてサイドを編み込み、項に後れ毛がでるようにした。
「わ、若作りしすぎ?」
鏡に映る都は、二十八年間見てきた姿だ。久しく出していなかった膝が見える分、いつもより少しだけ若く見えるが。
「も、問題ない。花柄だって言っても、紺地に白いし、大きな花だから若すぎることもないと思うし!」
ワンピースは何歳まで着ていいのか。そんなことを思いつつ、がま口リュックを背負う。
酒場へ戻ると、バルドゥルは驚いたように目を見開いた。
「ま、待たせてごめん!」
「い、いえ……それは、気にしないでください……」
開口一番に服装のことを指摘してくれると思っていたが、バルドゥルは都をじっと見たままふらふらと近づいてきた。そして自分が着ていた外套を都にかけながら優しく抱きしめ、耳元で囁く。
「妖精が現れたのだと思いました。ミヤコさん、すごく綺麗です」
「あ、ありがとう。褒めてくれるのはすごく嬉しいんだけど、そろそろ離してもらえないかな」
「嫌です。こんな美しすぎるミヤコさんの姿、他の誰にも見られたくありません」
ぎゅーっと抱きしめてくるバルドゥルに、都の心臓は掴まれっぱなしだ。しかしこれはあくまでも演技だと言い聞かせ、自分の気持ちも落ち着かせる。
離してくれないバルドゥルの耳元で話すように、少しだけ背伸びをした。
「独占欲が強い演技も大事だけど、そもそも他の人にわたしたちのことを見てもらわないとダメでしょ?」
話し終わると同時に、バルドゥルが左耳を押さえながら後退った。耳が弱いのか、顔面を茹でだこのように真っ赤にしている。
「わ、わかりました。そうですね、そうしましょう」
顔が赤いまま、バルドゥルは椅子に座る。また湯気が上がっている料理を見て、女将に頭を下げた。




