06話 シマフクロウVtuber
「今日の作業は、ここまでかな」
画像を調整して、書報に掲載する文言を考えて、執筆する気が逸れていった祐真は、その日の作業を終えた。
1日1000字を目標としているが、それは4ヵ月に1冊刊行する事から逆算した平均であって、平日に書かずに、土日で7000字を書いても目標は達成できる。
学校のテスト、風邪などの体調不良、プロット作成や校正、そして今回のような宣伝作業など、何かしらの理由で書けない事も織り込み済みで、余裕を持ったスケジュールを作っている。
作業を終了した祐真は、インターネットのブラウザを立ち上げて、Vtuberの活動をチェックした。
祐真が視聴しているVtuberは、カスミンの他にも居る。
そもそも他のVtuberを視聴していて、ふと新人が気になって調べた結果として辿り着いたのがカスミンなのだ。
視聴しなくなったVtuberは登録から消しているが、アカウントに登録しているチャンネル数は50人程度、サブアカウントだがTwitterでもフォローしているVtuberは9人いる。
Twitterで追っている相手は、執筆時の作業用で音楽系が4人、リラックス時のASMR系が4人、そして系統不明の新人枠にカスミンが入っている。
それら9人の中で祐真は、音楽系では最もコミュニケーションを図る相手、シマフクロウVtuber『祈理カナエ』の配信画面を表示した。
そしてサブアカウントの『天猫』で、早速コメントを打ち込んでいく。
『待機ですにゃ~(無人島+梟)』
祐真はコメントの末尾に、絵文字で無人島と梟の2つを並べた。
Vtuberには、『このVtuberを推している』と表明する推しマークという文化がある。
大抵は、Vtuberの名前や属性に応じた1個か2個の定められたアイコンであり、シマフクロウVtuberである祈理カナエの推しマークは、無人島と梟のアイコンとなっている。
それをTwitterや動画投稿サイトのアカウント名の末尾に入れると、グループの連帯感や宣伝効果が生じて、対象となるVtuberから喜ばれる次第だ。
但し、複数名のVtuberを同時に視聴している場合、推しマークを付けていないVtuberからは、「私が最推しじゃないんだ」と、心の壁を作られてしまうリスクも生じる。
『自分を推す』>『一般視聴者』>『他の女を推す』
自分を推してくれれば嬉しいし、わざわざ他の女が好きな事を名前で主張する視聴者には、表に出さずとも内心では塩対応になる。
たった1人のVtuberにしかコメントを行わない視聴者を除けば、名前に推しマークを付ける行為は、付けていないVtuberに心の距離を置かれるリスクを負う。
そのため祐真のサブアカウントである『天猫』は、名前には無人島と梟のアイコンを付けていない。その代わりに、待機のコメントで推しマークを付けたのだ。
やがて21時の配信時間になって、画面にシマフクロウを擬人化したアニメっぽいキャラが、モニターに現れた。
『こんカナ~』
待機していた40人ほどの視聴者が、一斉に挨拶のコメントを打ち込んで、コメント欄が凄い勢いで流れていった。
祈理カナエは、現在のチャンネル登録者が約3200人、メンバーシップ62人の配信者だ。夜22時からギター弾き語りを中心に活動しており、昨年5月のデビューから11ヵ月ほどが経つ。
爆発的に伸びてはいないが、地道に視聴者を獲得し続けており、個人勢では『かなり頑張っている』と評価される方だ。
『皆、今夜も来てくれてありがとう。こんばんは。いかがお過ごしですか。それじゃあ、来てくれた人の名前を呼ぶね』
澄んだ少し高い声が、いかにも若い女性らしい印象を視聴者に与える。
それだけではなくカナエは、週間スケジュールにも手書きで少女漫画チックなイラストを描くなど、『少女っぽい女の子』の印象を視聴者に与えている。
活動の中心に据える音楽は、ギターの弾き語りをアレンジで出来るために、音源を探して使えるのかを確認する手間が不要だ。
歌声の音域は、特技と言えるほど幅広いわけでは無いが、可能な範囲では安定して、しかも可愛く歌うので、既に居着いた視聴者達からは、根強く支持されている。
但し、シマフクロウVtuberのカナエには、配信者として致命的な問題点がある。それは外見が、リアル過ぎる事だ。
「これでガワが良ければ、確実に1桁は多くなるんだけどなぁ」
動物をモチーフにしたキャラクターには、作品の性質ごとに、受け入れられるケモノ度合いというものがある。
仮に、人間をケモノ度0%、本物の犬を100%とする。
すると中間の50%は、『二足歩行する、全身毛むくじゃらで、口が犬の形をした生物』になるだろうか。
未来のSF小説で、宇宙生物と戦うべく遺伝子改造された犬人間の兵士が、人間には過酷な環境に身を投じる作品。そのような場合は、ケモノ度50%も読者には許容される。
だが、ほんわかした緩い作品、あるいはVtuberの世界を見る視聴者は、ケモノ度50%など求めていない。
人間の少年少女が「犬耳カチューシャと尻尾を付けてみました!」というケモノ度5%前後が、ライトな範囲だ。この程度であれば「ちょっと外してみました」も通用する。
あるいは「元から生えていますよ?」というケモノ度10%程度が、設定がしっかりしていると感心される範囲になる。
そのような世界において、シマフクロウVtuberの祈理カナエが実現するケモノ度は、脅威の20%に達していた。
「実写かよ!」
リアルな2.5次元の外見は、少なくとも祐真は求めていない。
アメリカではリアルな方が好まれる場合もあるが、日本の視聴者の多くは、リアルさなど追及していないだろう。
人間の第一印象は、その大部分が外見で決まる。
リアルなシマフクロウに対して、人間はガチ恋が出来ない。
それは個人の趣味の問題ではなく、人間という生物として、つがいの相手にシマフクロウを選べないからだ。
シマフクロウにガチ恋が出来る人間は、生物学的に何かがおかしいはずなので、場合によってはカウンセラーに通った方が良いかもしれない。
すなわち、人間の視聴者を対象とした配信を行う場合、カナエは需要に対する供給が間違っている。
「どうしてこうなった」
動物を描いてみたかった美大生に安く依頼すると、こうなるだろうか。
あるいは女子同士の会話で、可愛くないモノに対して「これ絶対可愛いよ」と嘘を吐かれるパターンで、誰かに推され負けてしまったのか。
祐真は、今更過ぎる上に、最早どうしようもない指摘を心の内に仕舞い込むと、待機していた視聴者の名前を読み上げ終わって1曲目に入ったカナエに向かって、背景が赤字のコメントを投稿した。
『声可愛い、癒される。今日も愛していますにゃ』(1万円)
コメントの背景に色を付ける投稿は『投げ銭』と呼ばれる。
チャンネル登録者数が1000人を超えて、収益化の申請を行って通ると設定できるようになる機能だ。
背景色には種類があって、投稿できる文字数や、ティッカーと呼ばれる表示時間も異なる。
100円~ 青色 最大0文字
200円~ 水色 最大50文字
500円~ 緑色 最大150文字
1000円~ 黄色 最大200文字
2000円~ オレンジ 最大225文字
5000円~ マゼンダ 最大250文字
1万円~ 赤色 最大270文字
赤い投げ銭は、上限が5万円で、1万円刻みで文字数と表示時間が上がる仕組みだ。
投げ銭で投稿者が出す金額のうち3割は、場を提供している動画投稿サイト側の取り分となるため、配信者に入るお金は7割未満となる。
だが最低額の1万円、配信者の手元に7000円の金額であろうとも、赤色は投稿者が実現させられる最大の背景色であって、他の視聴者から注目を浴びる。
なお全種類を連続して投稿すれば『虹』、それを往復させれば『オーロラ』などとも呼ばれる。
コメントを投稿して十数秒、配信画面に祐真の告白が流れると、カナエがギターをミスして、弦の反響が響く音が、配信画面からディーーンと流れた。
『ミスったごめん……って、天猫くん、何やってるの!』
シマフクロウが頭部の羽角を揺らしながら、細かい芸で怒った顔を表示してみせた。
対する祐真は、しれっと打ち返す。
そして打ち返す返事も、赤色であった。
『赤色なら、わりと自由に書いても許されると聞いて。好き好き好き。1週間、もやし食べるから大丈夫にゃ!』(1万円)
投げ銭は、配信者の活動を支援する行為だ。
7000円は日給になる額であり、それで配信者は生活したり、配信機材を買ったり、果ては奨学金代わりにしたりできる。
お金が欲しくない配信者は、収益化申請をしたり、投げ銭の機能をオンにしたりはしない。
従って、配信者の活動を支援する赤色のコメントに対しては、受け取る配信者も、他の応援している視聴者達も比較的寛容になる。
祐真が赤色を送ったのは、まさに活動を支援する気持ちがあったからだ。
祐真は執筆する際、カナエの配信を聞きながら作業する率が高い。それによって生み出される作中の雰囲気は良くなり、表現も豊かになる。
カナエは祐真の執筆に必要な配信者で、欠けて欲しくない存在だ。
だから祐真は、高校1年生としてではなく、プロの商業作家の1人として、自身の創作活動にプラスとなるVtuberに必要経費を支払ったのだ。
果たしてカナエは、暫く無言でギターをデンデンと鳴らした後、おもむろに口を開いた。
『知っているんだからね。天猫くん、最近は子狐ちゃんに浮気しているでしょ。ツイッターでコメントしなくても、誰をフォローしたか見ているし、配信のコメントだって、チェックしているんだけど』
カナエから鬼のようなエゴサをしているという衝撃の発言が飛び出して、コメント欄が一気にざわついた。
『…………あっ(察し』
『やってしまったな』
『南無』
『今夜は、猫鍋か』
『((( ;゜Д゜)))』
カナエのTwitterアカウントがフォローする相手は、同じVtuberとイラストレーターだけだ。視聴者のフォローは角が立つからか、一切行っていない。
であるにもかかわらず、恐ろしいほど見ていると判明して、視聴者達は歓喜と恐怖の渦に呑み込まれた。
『でも今日、子狐ちゃんが同じ時間から配信しているみたいだけど、ちゃんと梟の里に来てくれているから、浮気も許してあげるよ』
そう言ったカナエは、ジャカジャーンとギターを一度掻き鳴らして、判決を言い渡した。
『致命傷で済んだにゃ!(お腹に刺さったナイフを眺めながら』
『猫の魂は9つあるから大丈夫。逆に言うと、9つしか無いけどね』
返信コメントを打ち込んだ祐真は、しっかりと釘を刺されて、2窓でカスミンの配信に行く事を諦めた。
「また突発で配信したのか。流石に、追い切れないぞ」
明日の祐真は、カスミンの中の人である和泉佳澄から、確実に何かを言われるだろう。
赤色を投げる前のセーブデータは、一体どこでロード出来るのだろうかと、祐真は作家の高い妄想力で、現実逃避を試みた。