04話 彼女がVtuberである理由
「どこに行くの?」
「部室見学」
椅子から立ち上がった祐真は、まずは図書室をぐるりと見渡した。
図書室は、普通の教室が5つ入るほどの広さがある。
入り口の先には図書管理室があって、窓口で本の貸し出しを行える。そして奥には、定年間近と思わしき司書の女性が、「ここは我が城」とばかりに陣取っていた。
新入生である祐真達には無関心そうで、机に置かれたパソコンをひたすら眺め、右手で掴んだマウスを時々動かしていた。
司書は明らかに、『図書管理室から動かざる事、山の如し』と言った雰囲気を醸し出している。
図書部が手伝うと聞いた、図書貸し出しカードの発行や記載については、殆ど必要なさそうだった。
(そもそも高校生にもなれば、自分でカードくらい書けるよな。勝手にやって良いのかは、知らないけれど)
図書コーナーは、教室1つ分ほどの広さがあり、管理室に向かうように、教室形式で机とイスが並べられている。
そして残りのスペースに、本棚がジャンル別で置かれていた。
高校の図書室らしく、各国歴史系、社会科学系、自然科学系、産業技術系、倫理・哲学系、技術・工学系、農林水産業系、美術・芸術系、各国言語系、各国文学系、その他の書籍が詰め込まれている。
その他の書籍コーナーには、ぶ厚い図鑑や、市の歴史を記した古めかしい本などがあった。
祐真は書籍に関心を持つが、学術書ばかりでは、読書の欲求を満たせそうにも無かった。
図書室に生徒が居ない理由について、大いに納得した祐真は、次いで図書室の奥にある部室に入った。
「意外に広いな」
元は資料室だった図書文芸部の部室は、教室の半分程度の広さがある。
部室内にはテーブルの島が2つあって、インターネットや多機能プリンタと繋がったノートパソコンが2台ずつ、合計4台置かれていた。
その他には、資料室時代の名残であろう鍵付きの引き違い書庫が壁一面に並び、反対側には部室らしくロッカーも置かれている。
「部活は5人所属しないと駄目なのに、パソコンが4台しか置かれていないのは、どうなんだろうな」
「そうだね」
祐真が感想を述べると、いつの間にか付いてきた佳澄が同意した。
彼女はVtuberが身バレした件は一先ず置いて、部室を見学する事にしたらしくあった。
これがミステリー小説であれば、秘密を知った祐真が佳澄に殺されて、次いで部室に戻ってきた野久田が殺されて、いつの間にか顧問の先生が受け取った入部届が消えており、高校連続殺人事件が始まるかもしれない。
まさか殺人犯の動機が、Vtuberが身バレした事であるなど、捜査関係者は思いも寄らないだろう。
第一犠牲者の佐伯祐真を調べると、直ぐに高校生作家の天木祐であると判明する。そして捜査は、明後日の方向に突き進んでいく。
そして秘密を知った人間は、次々と殺されていくのだった。
いたいけな黒髪ロングの童顔同級生を、殺人犯に仕立て上げる妄想をした高校生作家の祐真は、脳内で殺人現場となった部室を一巡りした。
部室の壁に並んだ鍵付きの引き違い書庫を開けてみると、その中には過去の活動内容と思わしき製作物などが、疎らに収納されていた。
ロッカーも8人分あって、テプラで名前が印字されたマグネットシートが2つ貼ってあった。野久田という名前が2つ、後は幽霊部員であるからか、名前すら貼っていない。
まるで世界にゾンビが溢れて、アポカリプスでも訪れたかの如き、終末感を彷彿とさせる、寂しいロッカーだった。
これほど寂寥感の溢れる空間は、祐真にとっては、カスミンの配信でしか目にした事が無い。
カスミンの世界も、かつては僅かに存在した人々の往来が絶えて久しく、来訪者の見込みは立たない。
名札の割り振りから、ひいては図書文芸部の将来性から目を逸らした祐真は、それを誤魔化すように、佳澄に話し掛けた。
「パソコンとロッカーは、どういう割り振りになるのかな」
「私達は、こっちの島じゃない?」
問われた佳澄は、最奥の窓際という最も良い立地に浮かぶ島に、島を占拠する形で置かれる私物を眺めながら予想した。
島では2台のパソコンが起動されており、明らかに部長の野久田が使用していた形跡がある。
すると2人の新入部員が使う島は、必然的に残る1つとなる。
「ロッカーは、余っているからで理解できるけど、2台のパソコンは何に使っているんだろう」
疑問符を浮かべた祐真自身は、執筆で2台のパソコンを使う事もある。
2台を持っているのは、元々は父親の古いノートパソコンをお下がりで貰っており、書籍化後には新しいノートパソコンを買って2台になったからだ。
1台は執筆用で、もう1台は動画再生用となっている。
執筆用のノートパソコンで一緒に動画再生をする事もあるので、2台のノートパソコンは、常時使っている訳では無い。
だが弓を射るシーンを書く時には、実際に射る動画を見て仕草の参考にするし、最近はVtuberの動画視聴にも使っている。
パソコンが余っているのは、足りないよりはマシだと思い直した祐真は、部室内の有り様をすんなりと受け入れた。
「とりあえずパソコンの性能でも確認しようか。俺はWordとExcelが入っていて、USBを挿せれば充分だけど、最悪の場合は持ち込む事にする」
野久田からは、部室内を自由に見てくれて良いと言われている。
祐真は明らかに部の備品であるらしき、規格が統一されて図書文芸部というシールまで貼られているノートパソコンを起動した。
どの程度のスペックがあるのだろうか、と、期待と不安が入り交じった感情でパソコンを開いた祐真は、程々の性能を確認して概ね満足した。
OSは古いものをアップグレードして最新版にしており、型落ちではあったが、それは予想の範囲内だ。望んでいたOfficeが入っており、自身の作業に不自由はしなくて済みそうだった。
「先生達が使っている業務用のお下がりかな。インターネットに繋がるから、大抵の作業は出来る。良かったな」
祐真は純粋に、佳澄を応援した。
その様子を暫く無言で眺めた佳澄は、やがて戸惑いながらも口を開いた。
「Vtuberは続けないといけないし、リスナーが減るのも困るの」
佳澄は「続けたい」ではなく、「続けないといけない」と言った。
それは、好きで小説を書いている高校生の祐真にとっては、何かに置き換えて想像する事が難しい話だった。
「どうしてだ?」
祐真の想像が及ぶ範囲であれば、子供を子役にする事に積極的な親と、それを望まない子供が思い浮かぶ。
だがVtuberは世間に露出せず、親の虚栄心を満たせる存在ではない。
どのような理由があるのかと質された佳澄は、祐真が想像したものとは異なる理由を述べた。
「お姉ちゃんがアルバイトして、チャンネルと配信環境を用意して、それで私が収益を出して、学費を稼ごうと思って……」
それは祐真にとって、充分に理解できる理由だった。
令和元年度における大学・短大生の奨学金貸与率は、全体の36.5%であり、約2.7人に1人だ。
3人に1人以上は借金をしており、それを返さなければならない。
佳澄がVtuberを続けて、視聴者を増やし、いずれ収益化して、それによって奨学金地獄を回避しようとするのは、常識的で真っ当な動機だ。それに対して一体誰が、不純で駄目だと言えるだろうか。
その動機を不特定多数の視聴者に出すのは、Vtuber自身が作り出す世界観を壊すので好ましくないが、祐真が聞いた相手は子狐Vtuber『紺野カスミ』ではなく、同級生の『和泉佳澄』だ。
だから自身が尋ねて、佳澄が答えた内容に対して、祐真は文句を付ける筋合いも無かった。
姉がアカウント登録をして、妹がVtuberとして出演する事には、疑問符も浮かんだ。だが猫が出演する動画でも、アカウント登録しているのは、猫自身ではない。
飼い主のチャンネルに出演する猫は、無罪である。
従って、姉の動画に出演する佳澄も、無罪であろう。
浮かんだ疑問符を打ち消した祐真は、納得を示して頷いた。
「それは続けざるを得ないな。制作活動は、邪魔しないように気を付ける」
「ありがと。部長もお願い?」
「…………了解」
この話の流れでは、流石に引き受けざるを得ないと祐真は断念した。
その代わりに祐真は、1つだけ心の中でツッコミを入れた。
(カスミンの立て直しは、もう無理じゃないか?)
奨学金2人分を稼ごうとするカスミンは、3回目の配信にして、既に常駐する視聴者が1人であった。