27話 好き好き配信
『作家さんの方で使用して良い画像は、お渡ししたとおりです。SNSのアイコンに使用して頂いても構いません』
祐真は以前、担当編集者から、SNSで使って良い画像の提供を受けた。
Twitterでは、利用者が顔アイコンとヘッダーの画像を登録できる。
だが総務省が出した2014年版の情報通信白書によれば、日本人のTwitterアカウントは80%が匿名だ。大抵の人は匿名で、自身の写真などは用いずに、特定できない無関係な画像を使っている。
自分と無関係な画像は、すなわち他人の著作物だ。
著作権法は親告罪であり、非営利で私的利用しているTwitter画像を一々咎める著作権者は居ない。労力・裁判費用・時間を考えれば現実問題として不可能であるし、損害も発生していないのだから、普通は放置する。
だが作家となれば、普通に考えれば問題ない非営利の範囲内であっても、気を付けなければならない。
『作家デビューするのですから、著作権上の問題が無い画像を使いましょう』
かくして祐真は、作家のアカウントでは、編集者から渡された画像を使用していた。
そしてこの度、非公開の非公式アカウントである天猫でも、私的利用する事となった。より正確には、一時的に使わざるを得なくなった。
天猫のアイコンを一時的に、猫から普通に変えさせたのは、カスミンだ。
天猫はアイコンどころか、名前も変えさせられて、語尾の『にゃ』まで禁止されている。アイデンティティの大崩壊であった。
『ええと、今日は、好き好き配信をしまーす。大挑戦でーす。この配信で最大の敵は、あたしの羞恥心なんだよね。でも、頑張ってみまーす』
好き好き配信とは、視聴者に好きだと伝えるASMRの一種だ。
自分が自発的に見るVtuberから、好きだと伝えられて、それが嬉しくない視聴者は居ないだろう。もしも居た場合、その配信を視聴するのは、心と身体の健康のためにも止めた方が良い。
好き好き配信は、最初に誰が始めたのか祐真は分からなかったが、少なくとも2019年7月には存在するのを確認した。ASMRを行うVtuberが、視聴者に向かって「好き好き」と配信している。
誰かの初出以降、複数のVtuberが照れながら、あるいは堂々と開き直り、好き好き配信を行っている。
「動画数は、そんなに多くなかったけど」
好き好き配信は、タオルや耳かき、太ももよりも恥ずかしい配信だ。
自身が男性Vtuberになった場合を想像した祐真は、タオルや耳かき、太もも配信であれば面白半分で出来たが、相手に好きというのは心理的なハードルが高くて躊躇われた。
女性の方が言い易いかといえば、そうとも限らない。
男性と女性では、どちらが告白するだろうか。女性から告白する方が多いのではない限り、女性にとってもハードルは高いだろう。
そのように容易には行われないから、希少価値と訴求力が高い。
なお中の人である佳澄は、この配信を自己選択しておきながら、あからさまに恥ずかしがっていた。
そして祐真に対して、一時的に天猫からの変更を求めたのだ。
「私が頑張っている時に、相手が猫の名前とアイコンで、語尾が『にゃ』だと、出来ないから」
だから変えてという要求である。
佳澄の言い分は、祐真にも分からなくは無い。
自分が配信者だったとして、相手が「照れるにゃ~」などと言っていたら、「いや、ちょっと待て」とツッコミを入れたくなるだろう。
お前は本当に照れているのか、どこまで本気なのか、ふざけるな、とりあえず猫の皮を脱げと、脳裏を過ぎらないか。あるいは気が抜けて、脱力しないだろうか。無いとは言えない。
祐真のサブアカウントである天猫は、執筆の合間にリラックスするための、謂わば『おふざけキャラ』だ。
生まれた時点で存在自体がふざけているのだから、ふざけていると指摘されても、完全にご指摘のとおりなのである。
「あんまり喋らないでおこうか?」
そのように確認してみたところ、佳澄は口を尖らせながら「だったら、やらない」と、不服そうな表情を見せた。
祐真は佳澄に対して、「一緒に頑張ろう」と語り、「出来る事なら協力する」と告げている。
佳澄のアイコン変更要求は、祐真にとって比較的簡単に「出来る事」であるため、約束した祐真は協力すべきだろうと考えた。
だが困った事に、祐真は自分で描いたイラストは持っていなかった。
そして世の中にある画像は、全て誰かが作った物だ。
インターネット上には、誰でも自由に使えるフリー素材もあるが、フリー素材の『男性』を使うと、まるで駅構内にある注意書きイラストのようになってしまう。
お年寄りには席を譲りましょう。大きな荷物は担がず手で持ちましょう。スマホ歩きは止めましょう。駆け込み乗車はお止め下さい。
そんな画像に向かって、好き好きと言えるだろうか。
そのアイコンで好き好き配信に参加すれば、Vtuberへの嫌がらせになってしまう。
かくして祐真は致し方が無く、本日は『転生陰陽師・賀茂一樹』の主人公・一樹の顔アイコンを用いた『祐』となった次第であった。
『まずは、待機して下さった皆の名前を呼びますね。祐さん、こんこん。ベルトランさん、こんこん。接木さん、こんこん。モルティブさん、こんこん…………』
祐真は、佐伯祐真という高校生作家であって、賀茂一樹という転生陰陽師では無い。少なくとも自身は、そのように自覚している。
従って、主人公と自分を同一視することは無いが、キャラクターを作って成り切る事であれば可能だ。
今日の祐真は、人語を話す変な猫ではなく、一樹の姿と一部の魂を持った最古参視聴者という気持ちで、カスミンと相対する事とした。
なお佳澄には、自分は祐で参加すると伝えている。
『それじゃあ、始めるね。予定は1時間だよ。本気で言うんだから、絶対に茶化さないように…………』
暫く間を取った後、カスミンは小声で告白を始めた。
『……好きだよ』
照れ隠しなのか、言い終えるとクスクスと、小さく笑い声が漏れた。
そして直ぐに言葉を繋ぐ。
『すーき……すきすきすき、だーいすき』
スッと息を吸い、力を込めて好きだと語り掛ける。
『好き好き、すーき』
スピーカーから、マイクに近付いたカスミンの小さな吐息が溢れる。
ストレートな訴えに、祐真はコメントを打つ手を止めて配信に聞き入った。
小さな息遣いの後、カスミンは照れ笑いをする。
『ちょっと待って。そ、その、恥ずかしさに耐えられる自信が無くなってきたかも』
祐真の硬直が解けるよりも早く、カスミンは照れ笑いをしながら、勢いを保ったままに言葉を続ける。
『好きだよ……ふふっ』
好きだと言った後、息を溢すような、小さな照れ笑いが続く。
『好き好き、大好き。すーき、すきすきすき』
好きの二文字と、小さくて可愛らしい吐息と、時々の照れ笑いが繰り返される。その中に、大好きという四文字が時折混ざり込む。
ようやく硬直の解けた祐真は、他の参加者に混ざってコメントを打ち込もうとした。
『好きです』
カスミンの『だよ』から、佳澄の『です』に語尾が変わって、祐真はまた硬直した。
一部の視聴者は「たすかる」とコメントしており、祐真も慌てて単調に「たすかる」と真似て、後に続くコメントを打ち込んだ。
『すきすき、すーきっ』
優しい言い方の「好き」の後、カスミンは力強く「好き」と言った
ろくにコメントを打てない祐真は、アイコンや名前を変える必要に疑問を持った。
配信画面には、視聴者のコメントが溢れていく。
『たすかる……たすかる……』
『かわいいなぁ』
『凄く良き!』
『もう思い残したことはない』
『好きれす』
それに対してカスミンも、言葉で「好き」と言いながら、同時にコメントも打ち返した。
『はずかしい』
破壊力絶大な佳澄の精神攻撃に対して、祐真は手を振るわせながら、天猫ではなく祐として、コメントを打ち込むというミッションを行った。
『好きだ』
すると、祐のコメントを見たであろうカスミンは笑いながら、直ぐに返事をした。
『ありがとう。あたしも、大好きだよ。えへへへっ……好き好き好き』
言い返された祐真は呻き声を上げながら、隣にあるベッドに倒れ込んだ。
「ぐあっ」
ASMR配信の中でも、最大級の破壊力を持つとされる『好き好き配信』の直撃を受けた祐真は、ダメージを回復させようと試みた。
だがカスミンは、直ぐに追い打ちを掛けてくる。
『はぁっ、恥ずかし……好きだよ』
追い打ちを掛けられた祐真は、ベッドの上を転がって、浴びた攻撃のダメージを分散しようと試みた。
「ぐぁぁ……作家の想像力が、高いのが、悪い」
カスミンが照れるような素振りを見せれば、祐真は実際に佳澄が、どのように話しているのかを具体的に思い浮かべてしまう。
頬を染めて、恥ずかしそうに照れながら、画面の向こう側に居る祐真に向かって好きだよと言っている姿が、想像できてしまうのだ。
「ぐああああっ」
高校生作家は、断末魔を上げた。
これがカスミンで無ければ、耐えられない祐真は再生を切っていただろう。だが、佳澄に協力して応援すると言った祐真は、配信を切る事は出来ない。
既に生命力をゼロにされた状態で、祐真は精神攻撃を受け続けた。
『好きだよ。はぁ、すーき、好き好き好き、大好き、好きだよー、好き』
ゴロゴロと転がる祐真に向かって、カスミンは好きと言い続ける。
祐真には、コメントを打ち込む余裕など全く無いが、視聴者達は次々とコメントを打っていった。
『来た途端に、唐突な告白に動揺しましたw』
『可愛すぎた』
『カスミンの声、凄く優しくて安心する』
『駄目にされる』
『ずるい、これはずるい』
『ちゅき』
コメントを受けたカスミンは、唐突に英語を使った。
『I Love You』
あまり機嫌が良くないように感じた祐真は、深呼吸をしてコメントを打ち込む。
『好きだ』
祐真のコメントが表示されると、カスミンは御礼を言った。
『ありがとう。あたしも好き。だーいすき。好きだよ。好き好き好き……好き』
最後にカスミンは、マイクに向かって小声で囁くように「好き」だと言った。
まるで耳元で囁かれたかのような吐息と言葉に、祐真は再びベッドに戻って倒れ込み、ゴロゴロと転がった。
「や、やめてくれ、俺の作家としての想像力が……」
ベッドの上で転がる事による回復速度は、カスミンから受ける持続的な攻撃のダメージを若干上回る。
そうやって回復する度にコメントを打ち込み、絶大な反撃を受けては倒される事を、祐真は数度繰り返した。
「おのれ、ストレートな表現を伝えたアメリカ人め。月が綺麗ですねという、日本の美しい文化は、何処へ消え去った」
『だーいすき』
「ぐうっ」
好き好き配信は、法律で規制すべきでは無いだろうか。
そんな風に思いながら、配信時間を確認した祐真は、最後となりそうなコメントを打ち込んだ。
『俺も好きだぞ』
『いつもありがとう。本当に好きだよ。これからも、ずっと一緒に居てね』
そう言ったカスミンは言葉を止めて、最後にキスする音を響かせた。
次話がエピローグになります。
























