23話 太もも配信
最初にASMR配信の種類を選んだ時、佳澄はタオルと耳かきを選んだ。
それがどうして、避けたはずの太もも配信を認める判断に至ったのか。
「……本1冊が緑の投げ銭1回と同額だと言って、太もも配信なら投げ銭を投げると言って、本を渡したからか?」
もしかすると祐真は、自身の作品である『転生陰陽師・賀茂一樹』の1巻と2巻の2冊分を以て、佳澄の太もも配信をリクエストした事になるのかもしれない。
そんな恐ろしい誤解を想像した祐真は、頭を抱えて苦悩した。
「うわ、それは嫌過ぎる」
それくらいであれば、ライトノベル2冊ではなく、2冊分の金銭を支払ってリクエストした方がマシだと祐真は思う。
さらに言えば、2千円弱で配信内容のリクエストをしたケチだと思われたくないし、お金を払って同級生の女子に太もも配信を要求した変態だとも思われたくない。
「ぎゃああっ」
祐真はベッドの上でゴロゴロと転がり、最悪の現状に身悶えた。
被告は「本当に純粋に、配信者のチャンネル登録者数が増えて、Vtuberとして成功する事を考えて、知識の豊富な作家陣から受けたアドバイスを伝えたのだ」と主張する。
つまり作為では無いので、やましい気持ちは一切ございませんでした、と、弁護を試みる次第だ。
『有罪』
祐真には、自作の読者達からの声が聞こえてきた。
「oh shit!」
日本人を購買層と見込んで出版するならば、単語の意味を説明しないままに英語を混ぜてはいけない。
誰もが義務教育で習う「Hallo」程度であれば、読者に伝わらないとは考えられないために問題ないが、「oh shit」のような汚い言葉は、おそらく教科書には載っていないだろう。
それでも祐真は、明確な日本語では伝えきれない、複数の思いが同時に入り交じった感情を表明すべく、英語のスラングを用いて世界に不条理を訴えた。
「学校で教える英語は、実用英語じゃないんだよなぁ」
なお世の中には、オタク向けに作られた『萌える系の英単語』や、大人向けに作られた『アダルト系の英単語』も存在しており、斬新な例文で読者を惹き付けつつ英語教育も実現させている。
お堅い教育機関は認めないだろうが、「学問が堅苦しくて取っ付き難い」という層に対して、楽しく教えながら、学校では教えない単語や例文まで、しっかり覚えさせているので、大変立派な本だと祐真は考える。
生み出された本には、作家の創意工夫が詰まっているのだ。
誰が読んだとは言わないが……言っているようなものだが。
有罪の確定した祐真は、のろのろとした動作でTwitterを開いた。
既にカスミンは太もものASMR配信を告知しており、10件以上の『いいね』も付いている。
タオル、耳かきと立て続いた配信で来た視聴者が、未だ離れていなかったのだと推察される。
Vtuberの配信頻度が高いのは、現在のカスミンと視聴者の状況に見られるように、視聴者が他に行かないように繋ぎ止めるためでもある。
カスミンが行ったTwitterの告知からは、動画投稿サイトの配信ページに直接リンクが貼られていた。そこからワンクリックで飛んだ祐真は、既に待機と打ち込んでいる視聴者が3人も居る事を確認した。
「早いな……というか、多いな」
1時間前に3人も待機しているのは、初回配信以来だった。
祐真も推しマークを付けた待機のコメントを打ち込んで、ちゃんと見に来ましたという証拠を残す。
『待機ですにゃ~(狐+風に揺れる葉)』
太もも配信を勧めておきながら、配信を見ないのは、流石に問題がある。
今日は真っ当に聞こうと考えた祐真は、本格的な執筆作業を断念して、本編の執筆よりも軽いと思っているプロット作りを始めた。
プロットとは、物語の道筋だ。
例えば「ニヤリのキンキンキンを書け」と言われたならば、いきなり「ニヤリのキンキンキン」は発生しない。少なくとも、その状況が論理的に発生するまでの流れを考えなければならない。
すなわち『2人の男が剣で戦う展開に至る展開』を作らなければなければならない。そして『最低でも1人は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる』という条件を付け加える必要もある。
そのような展開に至るまでの大まかな流れを作るのが、プロット作りだ。
笑う人間は、笑うだけの余裕があるか、笑って剣で襲い掛かるほどに深い憎しみを持っているか、どちらかが順当だろうか。
祐真の好みであれば、単に余裕で笑うよりは、悲しみや憎しみを持った人間を書く。その方が、感情により深みがあるからだ。
余裕で笑う方を書く場合にも、笑う男は向かい合う敵の姿を過去の自分に重ねて、かつての単純さや浅さに自嘲して笑うなど、何かしらの理由は欲しいと祐真は思う。
であれば『生け贄を捧げる文化がある奥深い山村で、幼馴染みが竜への生け贄に選ばれて、自分が竜を倒すと言った主人公と、無駄死にだから俺を倒せてから行けと止める村最強の男との戦い』はどうだろうか。
そして村最強の男は、かつて自分の親しい人を生け贄に捧げさせられて救えなかった。
最強の男は、主人公の無駄死にを止めたい気持ちと同時に、心の奥では主人公が自分を倒して、不幸の連鎖を止めてくれる僅かな可能性も期待している。
さらにはキンキンキンの前に、幼馴染みとのエピソード、生け贄に選ばれた後の慟哭や絶望、それを目撃した主人公の苦悩なども書きたいところだ。
このような展開であれば、少なくとも『ニヤリのキンキンキンが発生する状況』は成立する。売れるかどうかは、さておいて。
祐真が脳内でアホなことを妄想する間にも待機者は増えていき、やがて7人になったところで配信の開始時間になった。
ゆるいミニキャラのカスミンが、配信画面の端で、クルクルと回るアニメーションが1分ほど流れて、それが消えるとカスミンが登場した。
『みなさん、あたしの配信に来てくれてありがとう。紺野カスミでーす。それじゃあ最初に、待機して下さった方のお名前とかをお呼びしますね』
「ていうか「お名前とか」の「とか」って、何だよ」
祐真が心の中でツッコミを入れると、カスミンは直ぐに訂正した。
『とかって何だろ、間違えちゃった。ちょっと動揺しています。ええと、なっつさん、こんこん。ミウタウさん、こんこん。柳葉さん、こんこん。天猫さん、こんこん。ミロクさん、こんこん…………』
カスミンは子狐Vtuberらしく、安直に『こんこん』と声を掛けていく。
人が多いからだろうか。それとも、配信内容が新しいからだろうか。 初配信に比べればマシだが、カスミンの声は若干緊張して上擦っているように思われた。
配信を勧めた祐真は、それに至った理由に全く気付いていない風を装いつつ、しれっとコメントを打ち込む。
『太ももペチペチって、オイルとか塗って叩くんですにゃ?』
いつもの視聴者からの質問に答えるという形で、カスミンは再起動を果たした。
「太もも配信用のオイルとかは持っていないから、普通にペチペチ叩くよ。赤くなっちゃうかなぁ。軽く叩くね」
祐真が聴いているスピーカーからペチッと、指先で太ももを軽く叩く音が流れた。
『オイルでペチペチ音を出すVさんも、居るらしいですにゃね』
「へぇ、そうなんだ。あたしが参考に見た人は、オイルって言っていなかったよ。あ、ちょっと寒いから、ニーハイ穿くね」
ニーハイとは、膝上までの長さがあるソックスの事だ。
正しくは膝がニーなので、膝までの長さがニーハイであり、それよりも長ければオーバーソックスやオーバーニーなのだが、まとめてニーハイとも呼ばれる。
ハイソックスが膝下までなので、誰かがニーハイと言ったならば、膝丈以上のソックスだと考えれば概ね正しい。
「いや、先に穿いておけよ」
初の太もも配信らしい手際の悪さに祐真はツッコミを入れたが、コメント欄の方は盛り上がった。
『生着替え配信キタ━━(゜∀゜)━━!!! 』
『( ; ・`д・´)ゴクリ』
『夜は、まだ寒いからねぇ』
紳士を装う3番目は、きっと変態紳士に違いない。
そんな風に祐真が思う中、視聴者には聞こえないと思っているカスミンは、音を切らずに普通にニーハイを穿き始めた。
「すまん、リスナーは普通に、音量を最大にすると思うんだが」
祐真の場合は、ノートパソコンをHDMIケーブルでテレビに繋いで、テレビをモニター代わりにしている。
祐真が聴ける音の大きさは、ノートパソコンの最大音量、動画投稿サイトの最大音量、そしてテレビの最大音量を3つ重ねた大きさだ。これまでやった事は無いが、大抵の音は聞こえると思われる。
そして祐真が父親から譲り受けたノートパソコンには、父親が職場の新年会で流す映像を編集する事もあったため、録画ソフトや動画編集ソフトも入っている。
動画を切り取る事や、その音量を調整して上げる事すらも可能だ。
特に理由は無いが、祐真は不意に「どれくらい音が聞こえるのかな」と思い立ち、パソコンとテレビと音量を上げてみた。何しろ日本には、思い立ったが吉日という言葉もある。
音を上げていくと、椅子の軋む音が聞こえてきた。ニーハイを取り出した際に繊維が擦れた音すらも、しっかりと聞こえてくる。
耳を欹てた祐真は、無言のまま、静かに生唾を飲み込んだ。
佳澄は無言でニーハイを穿いており、音量を大きくしても爆音は出ない。足に引っ掛けて、スルスルと引き上げている音だけが聞こえてくる。
そして片足を引き上げ切ったらしく、ゴムが太ももの下付近にペチンと当たる音が響いた。
ソックスの厚さは、20デニール以下の薄手がストッキングと呼ばれ、25デニール以上の防寒や保温を目的としたものがタイツと呼ばれる。
わりと透けるのが40デニール、バランスが良いのが60デニール、あまり透けずに大人っぽいのが80デニール、防寒向けの厚手が110デニール。
祐真が衣擦れから察するに、ニーハイは厚手ではなかった。
(おそらく40から60。あまり厚くないから40かな)
作家に情報を与えてはいけない。何か1つでも情報を与えれば、どこまででも妄想を繰り広げてしまう。
……但し作家は、勝手に情報を収集するものとする。
そんな風に自身の行動を言い訳しながら、テレビの音量確認を終えた祐真は、音量を戻した。
「アーカイブを消さないとは思うけど、動画を撮っておけば良かったかな」
次回に何かするのなら、今度は録画しておこうと思った祐真は、そういえば最近ソフトを使っていなかったと気になって、切り取りのソフトを起動させた。
『お待たせしました。それじゃあ、ペチペチしてみますね』
ニーハイを穿いたカスミンは、足にマイクを近づけて、両手で左右の太ももをペチペチと鳴らし始めた。
生着替えで盛り上がった視聴者達からは、コメントも投げられていく。
『ストッキングのスリスリは、しないの?』
彼らも音量を上げたのだろうかと祐真が想像する中、太ももを叩いているだけで口が開いているカスミンは、少ないコメントの一つ一つを取り上げて返答していった。
『そういう要望があるんですか?』
『あるある!』
『あたしの学校、薄手のは校則違反だし、ストッキングは持ってないよ。でも買えば良いかなぁ。うーん、どれくらいのが良いんだろうね』
校則と口にするカスミンに向かって、祐真は「年齢がバレるぞ」と、ツッコミを入れた。
なお新人の発想には無かったらしく、アーカイブは消されなかった。
























