22話 第2巻刊行
Discordでの相談から殆ど日を置かず、祐真は2冊目を刊行した。
それに先だって、出版社で『転生陰陽師・賀茂一樹』の2巻がツイートされており、祐真はリツイートで宣伝も行っている。
2巻の表紙を飾った沙羅は、一度は失った足を取り戻しており、彼女らしく静かに立って微笑んでいた。
「やっと世に出られたな」
作家だけで作った訳では無いので、作家が刊行したという表現は、烏滸がましいだろう。
それでも、影も形も無い状態から最初に沙羅を生み出した祐真は、同世代のはずだが、自分の娘を作り出したような不思議な気持ちに浸っていた。
祐真が生み出したキャラクターは、祐真が何も意図しなくても、既に生み出された世界で、自分の意志で生きていく。
作者である祐真を含めた、この世界の誰が何を試みようとも、沙羅は意に沿わないことには応じず、自由に歩んでいくだろう。
勝手に動くのだから、もう祐真の力は及ばない。
作中に生み出される困難に対応できるか否かは、沙羅自身や、主人公の一樹次第だ。祐真が生み出す世界では、キャラクターのためにストーリーを曲げたりはしないので、重要な人でも死んでしまう。
だから祐真は、作中の主人公である一樹に願った。
「後は、よろしく」
あちらの世界から振り向いた一樹が、祐真に向かって軽く頷き、そのまま薄れて消えていった。
きっと、最善は尽くしてくれるだろう。そう確信した祐真は、それ以上は求めなかったし、求める資格も無いと自覚した。
その後は、怒濤の勢いで2巻の宣伝が続き、通販サイトの他、アニメ専門店や全国の書店に次々と並んでいった。
なお作家自身は、出版社から見本誌を貰えるために、少しだけ早く確認が出来ている。
「と言う事で、出版社様から見本誌を貰ったから、献本するな」
祐真は『転生陰陽師・賀茂一樹』の1巻と2巻が入った袋を差し出して、不思議そうに首を傾げる佳澄に差し出した。
新人作家の祐真は、献本の文化に不慣れではあるが、同人誌の即売会などで隣と本を交換し合う文化は耳にした事があって、商業でも行われているのだと感心した次第だ。
むしろ順序から考えれば、商業が先で、同人誌が後になるだろうか。
祐真が自分1人で作った本では無いが、世界を生み出して文字に変えたのは紛れもなく祐真であり、祐真は自身を以て自分の本だと伝えた。
新人作家の祐真は謙遜して、拙作ですと言うべきであろう。
だが祐真の本は、イラストレーターが渾身の表紙や挿絵を描いており、出版社に務める編集者が複数で目を通し、プロの校正者が誤植や誤用を確認し、デザイナーが監修し、印刷所が整えて1冊の本に至っている。
拙い本だと卑屈に謙遜するのは、制作に関わってくれた多数の人達を貶める発言ではないかと考えた祐真は、むしろ立派な本だと誇らしげに自信を持って献本した。
「世界とキャラクターに、自分の魂を注ぎ込んだ。魂の一部を持って行かれて、もう戻ってこないけど、全く惜しくないと思っている。気が向いたら読んでくれると嬉しい」
「うん。ありがとう」
頷いた佳澄は、祐真から受け取った2冊の本を、教科書が入った鞄に仕舞い込んだ。
作家は自身の本に、人生と情熱を注ぎ込んでいる。
故人だが、東大名誉教授で勲一等瑞宝章を受章した仏教学者の中村元は、パソコンが無い時代に20年もの年月を費やして、原稿3万枚で『仏教語大辞典』という本を書いた。
だが完成した原稿を出版社に渡したところ、出版社は引っ越しの際にゴミと間違えて、それを処分してしまった。
その後、中村元は8年を費やして書き直し、本として出版している。
作家にとって自分の本は、自身の半身であり、魂の一部であり、映し鏡であり、子供でもある。
誰かに捨てられたからといって、自身が生み出して、脳裏に焼き付けた姿を、忘れられようはずも無い。他人の逸話であるが、作家の1人として、それだけは祐真も断言できる。
そんな入魂の1冊に、やり遂げた誇らしげな笑みを浮かべる祐真に対して、佳澄はボソリと呟いた。
「やっぱり、佐伯君が部長で良いんじゃない」
絶妙のタイミングで指摘された祐真は、ややあって渋々と頷いた。
図書文芸部員が行う活動の最終到達点の1つが、商業誌の出版であろう。
学校側に知られれば、全校集会で褒められるかも知れない。おそらく国語の成績は評価も加算される。
だが本が打ち切られた時には、被害は甚大だ。同級生達からネタにされても気が散るので、祐真は学校側に伝える意志は持たない。
それでも祐真と佳澄の間で部長をどちらが引き受けるかについては、結論を出した。
「配信を見ながら執筆って、出来るの?」
「書いているシーン次第かな。戦闘シーンで無ければ、配信を聞きながらでも書ける。流石に戦闘シーンを書く時には、それに相応しい曲に変えるけど」
執筆に没頭しながら、呼び掛けられたら反応する。
それは自宅で小説を書きながら、家族に呼ばれたら反応出来る事の延長線上で考えれば、それほど突飛では無いと祐真は考える。
「話半分で聴いているんだ?」
佳澄は声色に、ほんの僅かに不機嫌さを滲ませた。
そんな佳澄の様子を見ながら、祐真は『確かにこんな些細な変化は、配信では気付けない』と思う。
佳澄の不機嫌さは、あまり仕草には表れない。
発声に含まれる暖かみが自然に減って、僅かに下がった温度から、不機嫌さの度合いを察せられる。従って、配信に集中すれば、視覚情報がなくても声だけで察せられるはずである。
だが祐真は共演者では無く、最古参とは言え視聴者だ。
本来であればコーラを片手に、ポテチを摘まみながら、のんべんだらりと気軽に聞いても良いはずである。
祐真は弁護を試みた。
「Vさんの配信って、自宅のテレビを見るとか、パソコンで動画視聴の進化形じゃないか。みんな、自分の好きなことをしながら聴いて居るぞ」
テレビ放送は、視聴者のコメントに反応しないどころか、載せすらしない。
指折り数える程度の数少ない番組では、Twitterのコメントをピックアップして載せる事もあるが、自分達に都合の良いものだけを選別している上に、選別方法すら不明瞭で、おそらくは担当者の裁量だ。
対するVtuberは、全配信でコメントを投稿できて、予め設定されているNGワード以外は載って、Vtuber側もコメントに反応する。
そのためテレビは一方通行で、Vtuberは双方向だ。「双方向なのだから、視聴者も反応しろ」という言い分は祐真も分からなくは無いが、そもそも配信は気軽に聞いて良いはずである。
祐真は根本的な問題として、反応する視聴者不足を考えた。
そして改善策として、昨夜Discordで教えられた提案を披露する事にした。
「ライトノベル作家のDiscordがあって、そこでASMR配信について聞いてみたんだけど……」
「うん?」
単に「太もも配信が良いらしい」では、タオルと耳かきを選んだ佳澄は受け入れ難いであろう。
そのため祐真は、急がば回れとばかりに、多少の回り道を試みる。
「さっき渡した本は、緑色の投げ銭1回分だ」
書店に並ぶA6サイズのライトノベル1冊は、緑色の背景色が出る投げ銭1回の金額である500円から999円の範囲内だ。
作者、イラストレーター、出版社、校正者、デザイナーなどが共同して本1冊を生み出して得られる労働対価として、市場で概ね受け入れられている。
「制作期間は中3の12月から3月で、受験シーズンに4ヵ月を費やしている。他の作家さん達の本も、きっと自分の人生の時間を使って、エネルギーも注いで書いている」
「それで?」
「作家さん達の意見としては、タオルゴシゴシで本1冊だと釣り合わないけど、太もも配信なら投げ銭するって。リスナーの評価も、多分そんな感じ。やるもやらないも自由だけど」
「……分かった」
佳澄は、すんなりと受け入れて頷いた。
少なくとも祐真の視覚と聴覚情報からは、そのように感じ取れた。
























