19話 漂着系ASMR
漂着3日目、嵐に流されて辿り着いたのは、名も知れぬ島だった。
見渡す限り水平線が広がり、人工の光は存在しない。
そこから見上げた夜空は、宝石箱の中身を撒き散らしたかの星々が、数多の煌めきを放っている。
夜の穏やかな波が、浜辺に押し寄せては引き返し、疲れた50名の漂着者達を眠気へと誘う。井戸を掘り、雨水を貯め、魚を釣って食料にして空腹を凌いだ漂着者達は、疲れ切っていたのだ。
50名が漂着した島は、正確には無人島では無かった。
その島には、たった1人だけ……人間に数えて良いのかは不明だが、頭部にフクロウのような羽角を生やした人間のような少女、カナエが住んでいた。
昔は島に両親も居たらしいが、今はもう居ない。
カナエは大きな島に、1人で住んでいた。
『星って綺麗だよね』
暖を取る焚き火の下、浜辺に寝転がる漂着者達に向かって、カナエは久々の人語で語り掛ける。
……そんなストーリーが配信画面に流されて、『という設定で再開です』と末尾に記されていた。
唖然としていた視聴者達は、状況を呑み込むと、再起動して動き出した。
『井戸掘り、死ぬかと思いました』
『アオウミガメが居なかったら危なかった』
『先生、島の裏側にアザラシの群れが居ました』
食用にもされるアオウミガメは、ハワイ諸島では4月中旬から、小笠原諸島では4月下旬から産卵を行う。
今は4月中旬に入ったところなので、ハワイの方に近いのかもしれないが、地球温暖化の影響もあるために定かではない。
なお実際に1899年(明治32年)5月、ミッドウェー近海のパール・エンド・ハーミーズ礁で難破した『龍睡丸』の乗員17名が、太平洋の無人島でアオウミガメや魚を食べて凌いだ実話がある。
4ヵ月後の同年9月、『的矢丸』に救助された乗員達は、12月25日の読売新聞で、無事帰国したと報じられる。
1903年(明治36年)刊行の『探検実話 龍睡丸漂流記』では、17名全員の名前と年齢も、載せられている。
船長1名、運転士1名、運転見習い5名、水夫長1名、漁業長1名、漁夫2名、小笠原島住民4名、練習生2名。
彼らは島に大量にいたアオウミガメを焼き、海水で煮た潮煮で食べて、牛肉よりも美味かったと語ったそうである。
他方、30頭ほど居たアザラシは食べなかった。
むしろ網を作って魚を大量に捕れるようになった後、人間側がアザラシに魚を分け与えて、アザラシ達も人間に懐いて仲良くなったそうである。
先の見通しが立たない時、人間には心安らぐ癒しも必要なのだ。
『アザラシさんは、食べないようにしましょうにゃ』
『すまん。既に1頭捕まえたw』
天猫が訴えると、視聴者の1人が即答した。
「早いわっ!」
コメント外でツッコミを入れた祐真は、撲殺された1頭と、もはや人間に懐く事の無くなったアザラシの群れに悲しみの目を向けた。
こうやって人間は、野生動物達から避けられていくのだ。
龍睡丸の船員達とアザラシとの間でも、アザラシは船員の個体識別は出来なかった。
単に人間に懐いて、船員の誰かが棒切れを海に投げれば、アザラシ達が競って枝を取り合って遊んだ。そして枝を咥えたアザラシが、人間に寄ってきて、もっと遊ぼうとせがんだそうである。
つまりアザラシを捕まえた人間がいれば、以降のカナエ島のアザラシは、人間全体を危険な敵と見なすのである。
島の原住民であるカナエにとっては、大打撃であろう。
だがカナエは、一向に気にした様子を見せず、むしろ漂着者達の行動を優しく肯定した。
『沢山居ると、食べ物も必要だよね』
まさに天使である。
正確にはシマフクロウVtuberだが、とりあえず翼は生えている。
そして天使は、優しく言葉を続けた。
『ネズミも捕まえたからどうぞ?』
やはり、少し恨んでいるのだろうか。
撲殺した視聴者のせいだな、と、内心で思った祐真に向かって、件の犯人は言い放った。
『すまん。もう満腹だった。天猫氏、腹減ってない?』
『さっき、魚を食べたにゃ』
ネズミを押し付けようとしてきた視聴者に向かって、天猫は角が立たないように日本人らしく、やんわりと断った。
最初に意思表明しておかないと、カナエが狩ったネズミを食べる専属猫にされかねない。
世の中は、弱肉強食である。
無人島のような過酷な環境に放り込まれて統制を失えば、弱い者から不利益を蒙って死んでいくのだ、と、祐真は認識した。
優先的に食料を与えられるのだから、餓死はしないかも知れないが、お腹は壊しそうである。無人島には、医者も薬も無いのだ。
それに魚であれば海で穫れるし、煮るか焼けば、寄生虫も問題ない。ネズミだけは、煮ても焼いても食いたくないが。
『ネズミ、美味しいんだけどなぁ』
ケモノ度20%のシマフクロウが、自ら捕獲した小動物について未練がましく宣った。
祐真の心の目には、カナエが上目遣いで見詰める姿が思い描かれる。
おそらく、他の視聴者にも同様の光景が見えたのだろう。すると視聴者達は、慌てて投げ銭を投げ始めた。
『おやつのバナナをお願いします』(300円)
『ココナッツください』(500円)
『パイナップルありますか。無ければマンゴーで』(500円)
皆、ネズミを食べるのは、嫌であるらしい。
そもそも日本人には、ネズミを食べる文化が無い。
きっと農耕民族の日本は、稲作で収穫した米をネズミに食い荒らされて、ネズミを嫌いになっていったのだ、と、祐真は日本人がネズミを嫌う理由について好き勝手に想像した。
世界的に見ても、旧約聖書中の一書『レビ記』で不浄とされ、イスラム教の法制度シャリアでもナジス(不浄)とされて、ネズミは嫌がられる。
イスラエルなどの中東では、農地のネズミ駆除として、殺鼠剤の代わりにフクロウを用いている。
もちろん食べる文化がある地域も存在するが、生憎と視聴者達の住む地域には、ネズミを美味しく頂く食文化は存在しなかった。
カナエが視聴者達の要望に添って、配信画面の端に指定された食料を積み上げていくと、心の平穏を取り戻した視聴者達はそのまま宴会に突入した。
『バナナうめぇ。遠足には必須アイテムだわ』
『ココナッツは石でも簡単に割れて、ミルクと果肉があるから、水分と食を同時に得られるのが良き』
『すまんがパイナップルを割れない』
バナナはおやつに含まれませんだとか、軟弱だとかツッコミが流れていき、それが落ち着いた頃にカナエがギターを鳴らし始めた。
『人が沢山、島に来てくれて嬉しいな。ちょっと歌うね』
投げ銭の御礼だろうか、軽快なギター音が流れてきて、カナエは歌い始めた。
最初の曲は、アイネクライネだった。カナエは、貴方に会えて良かったという内容の歌詞に自らの想いを込めて、視聴者に訴えかける。
歌詞に乗せた気持ちを聴いた祐真は、これは本当にズルいと思った。先程のネズミ恐怖事件とは別の意味で、心を動かされていく。
「カナエさんは、ガワが間違っているんだよ」
静かな夜の浜辺に、穏やかな波が押し寄せる。
そんな浜辺で月下に照らされたカナエは、優しくギターを鳴らしながら、幅広い曲を伸びやかに歌っていった。
歌詞で泣いているという単語が出る時には、本当に泣きそうな声を出しながら感情を込める。
そして曲の合間には、ありがとう、嬉しいな、幸せだよ……と、カナエは視聴者に語り続けた。
それに対して視聴者は、細かくコメントはしない。
カスタム絵文字にある、ギターやカナエが歌う画像を投稿していき、歌い終われば拍手の画像を送る。
やがてギターを鳴らす手が止まり、夜の浜辺に静けさが戻った。
波の音が微かに聞こえる中、カナエは視聴者達に問い掛ける。
『ねぇ、人間の世界って、どんな感じなのかな。わたしがギターを弾いて歌を歌ったら、聴いてくれる人は居るかな』
突然何を言っているのだろう、と、祐真は疑問符を浮かべた。
だが設定は、無人島に流れ着いた50名の漂流者達と、島に1人で暮らしていたシマフクロウの少女であったと思い出す。
視聴者達も設定に合わせて、人間の世界について語り始めた。
『好きなだけ歌って下さい。確実に聴きます』
『凄く上手いんだけど、どうやったら売れるんだろうね』
『1万人達成すればオリソン目指せるか』
『支援ですにゃ』(10000円)
これが人間の世界についてだけ問うものだったら、阿鼻叫喚の地獄絵図だっただろう。
『失われた30年から衰退国へ』
『契約無しで受信料を取るヤクザが、街の一等地に事務所を構えています』
『感想欄で、作者に精神攻撃の魔法を放つ子が居るんですにゃ』
等々、恐ろしい言葉が続いたに違いない。
だがカナエが音楽と歌について聞いたため、視聴者達は次々と肯定的な言葉を投稿していった。
前向きな言葉が並ぶと、やがてカナエは頷きながら決意を語った。
『ねぇ、人間の世界に帰る時に、わたしも一緒に連れて行って欲しいな。それで新しい世界に、歌を届けるの。その時も、また聴いてね』
聴きます、聴かせて下さいというコメントが続き、沢山の拍手が投稿されていく。
『ありがとう。それじゃあ今夜は、ここまでね。良い夢を見てね。また明日、夢が覚めた世界で会おうね。おやすみなさい』
そう語ったカナエは、ゆっくりと画面の外に移動して、羽ばたく音を流した。
飛び去っていったのだろうか、と、祐真が考える中、配信画面が徐々に暗くなり、闇夜に包まれていった。そして配信が終了する。
「…………手が込んでいたなぁ」
感想を述べた直後、祐真のDiscordにカナエからメッセージが届いた。
『無人島ASMR、どうだった? 子狐ちゃんに負けるお姉さんじゃ無いんだよ。それと赤ありがとう。でも、赤しなくて良いんだからね?』
メッセージを読んだ祐真は、軽く噴き出した。
「対抗してたんかい!」
普段ASMR配信を行わないカナエの行動に、祐真はようやく得心した。
そして、「タオルと耳かき配信に比べて戦力過剰すぎる」だとか、「嫉妬するならASMRを勧めるな」だとか、心の中で山のようなツッコミを入れた。