18話 沈没系ASMR
配信画面いっぱいに、晴れ渡った大海原が映し出されていた。
画面からは波の音が聞こえており、視覚と聴覚の両方が海に居るのだと伝えてくる。
これはシマフクロウVtuberで、主にギターの弾き語りを行う祈理カナエの配信だ。カスミンが配信を休むと聞いた祐真は、カナエの配信を聞きに来て、『待機ですにゃ~(無人島+梟)』と打ち込んでいたはずだった。
「……夜の大森林は、何処に消えたんだ?」
配信を待機していた50人前後の視聴者達も、揃って困惑している。コメントは混乱のクエスチョンマークで、粗方埋め尽くされていた。
地球温暖化で海面が上昇した結果、豊かな大森林が消え失せたのだろうか。
「地球温暖化は駄目だなぁ」
よく分からないままに環境問題を口にした祐真は、呆然と大海原を眺めながら途方に暮れた。
カモメの鳴き声が、ミャゥミャゥと響いてくる。
4月だが、沖縄の方はもう温かいだろうか。
そんな風に思い始めた祐真の耳に、やがて軽快な音楽と共に、カナエの声でアナウンスが流れてきた。
『本日は、祈理クルーズの運航するフェリーにご乗船頂き、ありがとうございます。本船は、ハワイ諸島に向かっております。船旅をごゆっくりとお楽しみ下さいませ』
カナエのアナウンスが流れると、視聴者達から一斉にコメントが投稿された。
『何時間配信する気だw』
『船上でギターの演奏ですね。分かります』
『先生、パスポート持ってないんですけど』
『波の音で癒される……おやすみなさ……zzz』
ケモノ度20%の祈理カナエに適応する視聴者達は、Vtuberを視聴する層の中でも、とりわけ適応力が高い。
そんなチャンネル登録者数3200人の中でも、さらに精鋭である祐真を含めた62人のメンバー、そして待機するほどに配信を気に入っている選りすぐりの視聴者達は、即座に環境適応した。
「地球が温暖化しても、人類は生きていけるな」
人類の生命力と強かさに確信を抱いた祐真の耳に、さらなるアナウンスが流れてきた。
『ご乗船のお客様に、ご案内申し上げます。2階のお食事コーナーでは、うどん、蕎麦、ラーメン、おにぎり、カレー、コーヒーなどをご用意致しまして、お客様のお越しをお待ちしております。どうぞ、お早めにご利用下さいませ』
投げ銭の催促だろうか、と、投げ銭の要求など一度もした事が無いカナエの行動に首を傾げつつも、祐真は空気を読んで500円を打ち込んだ。
『ラーメン下さい』(500円)
料金表が無いため、金額は適当である。
祐真の投げ銭と前後して、視聴者達からも投げ銭が飛び交った。
『カツカレー下さい』(1000円)
『うどんプリーズ』(300円)
『つ[からあげクン代]』(300円)
『2月14日にチョコレート予約』(3000円)
船内放送でアナウンスされたメニューは、『コーヒーなど』と、他にもあると解釈できる言い方だった。
そのため順当な注文に混ざって、ある程度は予想された好き勝手な注文が入る。そして最後には、シマフクロウに対するガチ恋という恐ろしい要望が続いた。
「週間スケジュールで、人間バージョンの後ろ姿も匂わせではあるけど、正面からの姿は一度も出ていないんだよなぁ」
もしもケモノ度0%の後ろ姿から、正面に向き直った時に、顔面がシマフクロウだったらどうするのか。カナエの声が可愛くて好きな祐真も、流石にシマフクロウを愛せる自信は無い。
もっともカナエは、祐真より3学年も年上だ。昨年の5月、高校3年生の18歳でVtuberを始めて、現在は女子大生になっている。
高校1年生など子供であろうし、祐真の事を『天木君』と呼び、自分の事を『お姉さん』と言うので、顔面がシマフクロウで無かったとしても、精々が弟扱いであろうが。
投げ銭を貰ったカナエは、配信画面の端にラーメン、カツカレー、うどん、唐揚げ、そしてハートマークを次々と置いて、投げ銭を送った勢を満足させていった。
祐真も「美味しい」などと、食事の感想を載せる。
投げ銭が落ち着くと、カナエの声とギターの演奏が流れてきた。
『それじゃあ、投げ銭も貰っちゃったから、何曲か歌うね。最初はマリーゴールドを歌いまーす』
歌う曲のセットリスト、通称セトリが配信画面の端に表示された。
そこにマリーゴールドと歌詞名が載った後、軽快なギターの前奏が流れて、船上に合う歌が流れ始める。
本家は格好良く歌うが、カナエは可愛い歌声で伸びやかに歌う。
視聴者達は海上というシチュエーションに順応して、メンバーシップに入った視聴者が投稿できるカスタム絵文字や、ギターや歌うカナエを投稿しながら、拍手を打ち込んで盛り上がった。
メンバー外も、メンバーで無くとも投稿できる音符の絵文字などを流して、配信を盛り上げていく。
青春の歌、恋や愛の歌が何曲か続いた後、1曲アニソンを加えたカナエは、普段とは異なり小休憩を宣言した。
配信は波の音に戻って、静かな時間が流れていく。
「やっぱり、ガワを間違えているんだよなぁ」
小説には表紙で購入するか否かを決める『表紙買い』という言葉がある。
それと同様にVtuberを視聴するか否かも『外見』で決められる事がある。
何曲か聴いて貰えれば、必ず魅力を分かって貰えるだけの演奏力と歌唱力がカナエにはある。
数登録者3200人でメンバーシップ62人という高い支援者の比率も、応援したいと思わせる力がある事の証左だろう、と、祐真は考える。
だが、外見がケモノに寄りすぎており、そもそも聞いて貰えないので、カナエは登録者3200人に留まっている。
それを惜しいと思い、同時にカナエが人気になりすぎると、忙しくてあまりコメントを拾って貰えなくなるかもしれないと悩む。
数十人祐真は音楽系3人、ASMR系4人、そしてカスミンを合わせた8人をTwitterでフォローしている。
そのうちメンバーシップあるいは外部サイトの月額料金制会員に入っている相手は4人だ。
声優な音楽系1人と、同じく声優なASMR系1人、そして現代の槐の邪神であるASMR系1人、そして収益化できていないカスミンには課金しておらず、カナエには払っている。
月額課金で支援していない声優達は、既に企業系Vtuberのように既に数万から数十万人の支援者が居て、祐真が支援しなくても活動を続けるには充分な収入を得ており、コメントを拾われた事も無い相手だ。
祐真が支援しているのは、自分にとって重要で、自分の支援が影響を及ぼす相手だ。カナエが数万から数十万人の支援者を得れば、そのカテゴリーからは外れるかもしれない。
成功を祈りつつも、成功したらどうなるのだろうと思い悩む。
姿を変えたらどうか……そんな提案を胸の内に仕舞い込んだ祐真は、波の音を聞き続けた。
そして不意に、何かにぶつかる衝撃音が轟いて顔を上げた。
「うおっ!?」
配信画面の中で、船内に甲高い警告音が流れ始める。
驚き混乱する視聴者に向けて、カナエの声でアナウンスが流れた。
『お客様に、非常事態をお伝えします。本船は、海中から急浮上した何かと衝突しました。既に浸水が始まっています。直ちに、船内にある救命胴衣を着用して下さい』
太平洋のど真ん中で、一体何にぶつかるのだろうか。
困惑する祐真がコメント欄を覗くと、視聴者達は答えを出していた。
『太平洋のど真ん中で、何にぶつかったんだ?』
『クジラか潜水艦だろう』
『このクルーズ船、50人くらいしか乗ってない小さな船ですけど!?』
『それじゃあ沈没確定だな。YABAI!』
救命胴衣を着る者が誰も居ないコメント欄に、本当にヤバイと思っているのか疑わしいと祐真がツッコミを入れる中、警報が大きくなった。
『お客様にお伝えします。本船は沈没します。船員の指示に従って、救命ボートにご乗船下さい。人命を最優先として、不要なお荷物は無理に載せないで下さい。なお嵐が近付いております……ザザ……ザザ……』
嵐の接近を告げたアナウンスが急に途切れて、静まり返った中に警報だけが暫く流れた。
『おい、どうした』
『マジか……うどん食べておいて良かった……』
『食料と水を下さい』(1000円)
このタイミングでも、駆け込みで投げ銭が投げられる。
すると配信画面の端に、お椀に盛られたご飯と、ペットボトルに入った水の画像が載せられた。
『間に合った!』
そのコメントが打たれた直後、激しい水音が響いて、祈理クルーズの運行するフェリーは、太平洋の底に沈んでいった。
























