16話 槐の邪神
「よし、お前達、席替えをするぞ!」
耳かき配信の翌日、登校した祐真を含むクラスメイトは、教室のホワイトボードに席順が書き込まれているのを目撃した。
さらには印刷された紙まで、全員の机の上に配られていた。
そして朝のショートホームルームで、全員が予想したとおりに、担任が席替えを宣言したのである。
「新しい席は、新入学テストの成績順だ。1番が後ろの窓際、そこから廊下に向かって2番、3番、4番……という訳だ。中間と期末テストの度に変わるぞ」
「「「ええーっ」」」
口角を吊り上げて、悪人っぽく不敵な笑みを浮かべて見せた担任に向かって、クラスメイトは一斉に抗議の声を上げた。
祐真のクラスには、36人の生徒が在籍している。
机の並びは縦と横が6列ずつで、6×6で36名が苗字の『あいうえお順』で座っていた。
担任が作った席順は、それを成績順にするものであるらしい。
教室の一番後ろの列が、1位から6位。
後ろから2列目が、7位から12位。
後ろから3列目が、13位から18位……と、続く。
同じ列でも、成績の良い方が窓側、悪い方が廊下側となる。
「成績が悪いやつは、一番前の特等席で授業を聞ける。そして1位は、後ろの窓際で優雅に外を眺められる。お前ら、しっかり勉強しろよ」
「「「ええーーっ」」」
クラスメイト達から、再び抗議の声が上がった。
祐真は中学でも席替えをした事があるし、他の生徒達も同様であろうから、席替え自体が行われるのは理解できる。
あいうえお順をくじ引きで公平に改めると言われれば、おそらく誰も反対しなかっただろう。
こんな事をして、保護者に怒られないだろうか、と、祐真は担任のあからさまな席替えを心配した。もっとも子供の成績が上がるのであれば、むしろ親達は支持するかも知れないが。
「ほら、移動開始だ。いけ、いけ、いけ!」
担任に押し出された1人が移動を開始すると、やがてクラス中が牧羊犬に追い立てられた羊の群れが如く、自分の席を持ち上げながら、指示された位置に移動していった。
同じ高校に入学した1年生の4月であり、成績に大差はないはずだが、早くも成績でクラス内カーストが生み出された。
「……14位か」
残念ながら祐真は、窓際から1つ離れた席になった。
外の景色を常時眺められる角地で、最も価値が高いと考えられる窓際は、1位、7位、13位、19位、25位、31位の指定席だ。
順位は他のクラスメイトとの相対的なものであり、確実に座るためにはクラスで1位を取るしか無いが、14位からの急上昇は流石に厳しそうだと祐真は思った。
最下位の36位を取っても、最前列の廊下側になるので、窓際には座れない。その点に関して担任は、手慣れているらしくあった。
かくしてクラス中の席を引っかき回した担任は、嵐のように去っていった。
台風一過で落ち着きを取り戻したクラスでは、どうせ中間テストで席替えされると認識するクラスメイト達が、軽く周囲に挨拶し始めた。
祐真の1つ前の席からは、日本3位の男である高橋が後ろを向いて、祐真に話し掛けてきた。
「お互いに惜しかったな」
高橋が窓際に視線を投げたのを見た祐真は、軽く頷いて同意した。
「順位を1つ上げるとか、微調整過ぎて無理だわ」
なお佳澄は7番で、祐真の左斜め後ろの窓際を獲得している。
人間を観察するのは作家にとってプラスだが、観察されるのは如何なものだろうか。
(これから中間テストが終わるまで、配信の翌日になる度に、カスミンに背中から見られるのか。ヤバいな。勉強もすべきか)
祐真の成績が佳澄を超えれば、そのような事態は避けられる。
佳澄もVtuberをやっているのだから、祐真のように学校の勉強だけに集中できる状況ではない。
左斜め後ろから巨大なプレッシャーを感じた祐真は、その実害から佳澄の成績を上回る必要性を感じて、その日の授業だけは比較的真面目に受けた。
但し休み時間は、その限りではない。
小説のイラストを描いているイラストレーターの鳴門金時をスマホでチェックするなど、教室内でも可能な事はやっている。
専業のイラストレーターは、学校や仕事の時間であろうともTwitterで呟き、イラストを投稿する事もある。
商業で活動するイラストレーターのTwitterは、小説家が小説投稿サイトに投稿するのと同様に、趣味と仕事が両立する。
絵や呟きを投稿すれば、新規のフォロワーが増えると同時に、どんな絵を描けて、どんな人間であるのかをアピール出来て、次の仕事にも繋がる。
祐真としても、小説のイラストを描いてくれているイラストレーターの人気が上がれば、そこから自分の小説を見つけてくれる新規の読者も増えるので、活動全般を応援している。
(最新のイラスト、いいねが、1万を超えているな)
少しでも人気が出ますようにと祈りながら、祐真は休み時間を過ごした。
「あんなに頑張ったのに」
放課後の部室で開口一番、佳澄は祐真に愚痴を溢した。
新人な槐の邪神は、祐真が差し出した500文のコメントに不満であったらしい。確かに祐真は、普段とは比較にならないほど少ないコメント量だった。
だがそれは、他の視聴者がコメントを打っていたからでもある。
以前から居る祐真のような視聴者が、配信者のアクション全てに反応してコメントを続けて、配信者側も古参にばかり応じれば、新規の視聴者が配信に居着かない。
「古参が出しゃばって、新規リスナーが去る事にならないように、配慮しました……という弁護は、通用しますでしょうか。裁判長」
「しない。ちゃんと聞いてなかったでしょ」
童顔少女に膨れっ面を向けられた祐真は、露見した理由について素早く思考を巡らせた。
祐真のコメントが反応のタイミングを逃していたのか、 呼び掛けられた時に答えていなかったのか、あるいは別の理由か。
1ヵ月間、殆ど2人きりで配信者と視聴者をやっていれば、いつもと違う事くらい、容易く分かるだろう。
祐真は言い訳を止めて、褒める方向に舵を切った。
「今までで一番良い配信だった。ASMRは、リスナーに癒しを届ける配信だ。今回、俺は落ち着けたし、執筆が捗って、助かった」
「むーっ」
配信が上手かったと褒められた佳澄は、それ以上の愚痴を封じ込められて、不満げに呻った。
収益を求める配信者は、配信で視聴者に満足感を与えて、投げ銭やメンバーシップ、グッズ販売などの対価を自身に還元させる。
そのため佳澄の配信が、視聴者である祐真を満足させたのであれば、佳澄の活動は上手く行っていると考えられる。
だが、あからさまに抗議の意思を表明する佳澄に対して、その理屈は通用するのだろうか。
(理屈は無理だろうな。止めておこう)
不満げな佳澄の様子から理屈を断念した祐真は、配信中に行われた細かい部分には触れず、全体を大雑把に褒める事にした。
「耳かき配信は、高速でゴリゴリと流す人も居るが、あれは単なる暴力だ。耳が削れて壊れる。ちゃんと相手が居る事を考えて、ゆっくり、優しくやってくれたから、良かった。どんな風に勉強したんだ?」
前例があるASMR配信を行う際、他の動画を一切参考にせず、感性の赴くままに配信する事はおそらく無い。
根本的な間違いを避けるために、最低限の確認はするだろう。
それを想像して、話された努力を褒めようと考えた祐真に対して、佳澄は首を横に振って否定した。
「出来なかった。ダミーの頭部があるバイノーラルマイクなんて持っていないから、収録マイクにシリコンを近づけて、耳かき棒で擦ってみたの」
「それで録れるのか。ていうか凄いな」
ダミーの頭部があるバイノーラルマイクとは、人間の頭部を模した模型の両耳に録音機を取り付けており、実際の両耳がある位置で聞こえる音や反響などを収録できる機器だ。
耳かき配信であれば、耳の位置がリアルである方が、より臨場感溢れる音を収録できる。
それを省いて上手く配信できた佳澄に、祐真は素で驚いた。
祐真が本心から感心したからだろうか、その様子を眺めていた佳澄からは、次第に表情から険が取れていった。
「チャンネル登録者数、81人になっていた」
「確か、ASMRをやる前は63人だったよな。凄いじゃ無いか」
「いいねも、12個付けてもらった」
「順調だな。これはVtuberとして、新しい技術を修得したな」
男が500文を差し出し続けた結果、やがて槐の邪神は機嫌を直した。