15話 耳かき配信
『こんばんは。今日は、耳かき配信に挑戦してみますね』
タオル配信の翌日、カスミンは耳かき配信に挑戦した。
タオルを擦る配信が、配信者にとって負担が少ないからか。
部室で祐真から好感触を得たと認識した佳澄は、その日の夜に、立て続けで耳かき配信を行う事を告げたのだ。
佳澄の意思表明に対して、祐真は否定しなかった。
もう一度タオル配信を行うと言ったならば、トナカイが力尽きたと伝えるに吝かでは無かったが、新しい山であれば登れるかも知れない。
但しアドバイスとして、今度も事前に告知する事と、耳かきのASMR配信であれば無理にギャルのキャラを作らず、普通に配信したらどうかと伝えた。
「先端でゴリゴリしながら『えいっ……あっ、刺さっちゃった~』とか言われたら、そのVtuberのASMR配信は、誰も聴かなくなる。耳かき配信は、小声で、静かに、優しく頼む。カスミンではなく、佳澄の素で良いから」
耳かき配信では、賑やかに騒ぎ立てるのは間違いだ。
それを考えるのであれば、金髪ギャルの子狐Vtuberであるカスミンは、『あなたを少し満足させてリフレッシュ』なASMR配信自体が、キャラクター的に向いていないのかもしれない。
だが世の中には、ギャップ萌えという言葉もある。
普段ギャルっぽい子が、特定の状況下では女の子らしくしてみせたり、料理を作ってみたり、照れてみたりするのは、意外性で好印象を与える場合もある。
もちろん反発される場合もあって、活動歴の長い配信者が急にキャラを変えると、従来のキャラクターを推してきたファンが拒絶反応を示す事もある。
だがカスミンは、ASMR配信が2回目だ。
耳かき配信では、小声で優しく囁くスタイルだと示せば、それが元祖となるので、解釈不一致は起こらない。新人Vtuberには、大抵の事は自由に行えるという利点があるのだ。
金髪ギャルの子狐Vtuberであるカスミンは、その魂から黒髪童顔少女である佳澄の一部を引き出して、普段よりも静かな配信を始めた。
『それじゃあ、お耳、失礼しますね』
祐真の耳には、小声で囁くカスミンの呼吸が聞こえた。
小さく息を吸って、マイクに向かって吐息を吐き出している。
カスミンには、吐息配信を行う意図は無いはずだ。単に小声であるために、無意識に吐息配信を行っている。
「これは、指摘しない方が良いな」
同時接続者は5名であり、カスミンにとっては画期的な状況であるが、その5名はいずれも空気を読んで素直に聞き入っている。
祐真が固唾を呑んで見守る中、カスミンは小声で視聴者に尋ねた。
『痒いところとか、あったら教えてね』
佳澄とカスミンの比率は、どれくらいだろうか。
佳澄であれば「教えて下さいね」と丁寧に言ったであろうから、ちゃんとカスミンでやってはいるのだが、祐真が迷うほどには佳澄にも寄った、落ち着いた声で語り掛けている。
カスミンの呼び掛けに応じた視聴者も、ノリが良く答える。
『左耳、少し痒いです』
『分かりました。左耳ですね。はい、少しくすぐったいですよ』
宣言したカスミンは、耳かきの先端でマイクをゆっくりと、小さく擦るような音を流し始めた。
ボソボソと小さな音が、祐真のモニターから流れてくる。
「配信者の一方通行にならないためには、反応する視聴者は大切だな」
1人で反応し続けなくても良いと判断した祐真は、安心して自らの作業を始めた。
今夜は祐真の心眼で見える山が吹雪いていないので、雪女に代わる妖怪を探す。
Vtuberの視聴者は数多居るが、その中でもASMR配信中に妖怪を探し始める奇特な視聴者は、祐真を含めて極少数だろう。祐真に限定されないのが、HENTAI国家である日本の奥深いところだが。
「槐の邪神、これが良いかな」
祐真が見つけたのは、山にまつわる妖怪だった。
山が多い日本では、山の妖怪は沢山いる。『転生陰陽師・賀茂一樹』では1人目のヒロインが山姥の孫で、2人目のヒロインが天狗と鬼の子孫であるため、むしろ妖怪は山だらけだ。
槐の邪神とは、現在の山梨県南巨摩郡身延町において、夕暮れを過ぎてから槐の大木前に現われた妖怪であった。
槐の大木前を通る時には、金、銀、金目の物宝を払わなければならない。さもなくば、鎧姿の邪神に追い回されて殺されるそうである。
「槐って、何だろうな」
小説に書くものは、全て調べなければならない。
祐真が確認した槐とは、中国が原産の10メートルほどの落葉高木だった。
日本では街路樹や庭木として植えられており、つぼみを乾燥させると止血薬になる事でも知られている。
そして槐の邪神とは、そんな槐の木に宿った邪神であるとされていた。
享保17年(1732年)の『太平百物語』において、ある貧しい農民が母危篤の連絡を受けて槐の大木前を通り、槐の邪神に追い回されたとの逸話が残っている。
槐の邪神に追い回された農民の1人は、後で金を払うと土下座をして許しを請い、約束通りに500文を集めて槐の邪神に納めた。
だが槐の邪神は額が少ないと納得せず、農民を鍋で煮て食おうとした。 そこに不動明王の童子が現われて、槐の邪神を退治したとされている。
祐真がインターネットで町の画像を見て、地形や標高を調べていくと、役場の標高は182メートル、町の面積の84%は山林であるとの情報を得た。まさに山である。
肝心の妖怪は、子供に対して「夕暮れを過ぎてから山には近付くな」と教えるために創られた話だと思われた。
子供が迷子や人攫いに合わないように教え込む時に、恐ろしい妖怪が出るから駄目だと伝えれば、インパクトが強くて記憶に残る。
残念な事に槐の邪神の物語は、最終的には槐の邪神が集めた金銀財宝を農民が手に入れたと締め括られていた。
そのため物語の締め括りとしてはハッピーエンドだが、危険に近付くなという警鐘効果は激減していた。
「最初は、子供に教育するために恐ろしい妖怪だとされて、『太平百物語』で取り上げる時には、物語として纏まるように結末を目出度しにしたのかな」
作家の視点になると、様々な事が見えてくる。
もっと細かく調べるのであれば、実際に身延町まで現地取材に行くべきであろうが、槐の邪神で丸ごと1冊を書くのでもない限り、そこまでは出来ない。
軽く取り上げる程度であれば『太平百物語』を出典として挙げるだけで充分だと見なした祐真は、取り上げ方について想像を巡らせた。
「どんな感じで使おうかな」
雪女をカスミンに見立てたように、槐の邪神をVtuberに見立てるのであれば簡単だ。
祐真がフォローするAMSR配信者の1人が、まさに槐の邪神なのだ。
充分にフォロワーを獲得してからデビューした個人勢の彼女は、事前に匂わせていた攻める系の配信を1週間立て続けに行った。
初配信では下着の立絵を見せ、深夜には吐息と耳舐めと囁きを混ぜたASMR配信などを行い、雑談でも『少女漫画の胸には先端が描かれていない』『雌の臭いが云々』などと、突っ走っていった。
その一方で、昼には人気ゲームも配信して、僅か1週間で収益化の条件を満たした。
収益化後には、勢いを保ったままに視聴者をクリエイター支援サイトへ誘導して、月額1万円で10分話せるプランをメインとした複数のプランを提示して、続々と加入させていった。
そして初配信から僅か1ヵ月間後、中堅Vtuberよりも安定した収益体系を確立させている。
祐真は課金していないが、サムネイルや配信用の動画、料金プランなど様々な事前準備が凄まじく、あまりの手際の良さに目を離せなくなった結果として、未だに見続けている。
今日もTwitterでは、「今夜の配信はどっちにする?『健全?』『健全』」とアンケートを取って、上にある『健全?』を選ばせて、視聴者達の関心を惹き付けて離さない。
そんな彼女こそが、金銭を掻き集める槐の邪神を連想させた次第である。
「とりあえず、普通に使うか」
小説で各巻のボスにする妖怪は、それなりの知名度を持つか、読者の想像が容易であるか、もしくは比肩する何らかの理由があった方が良いと祐真は思っている。
1巻のボスは、絡新婦という巨大な蜘蛛の妖怪だった。
実在する蜘蛛は読者が想像し易く、巨大であるだけでも恐ろしい。
蜘蛛は肉食の捕食者であり、身体が大きければ食べる獲物も大きく、人間も対象となる。子供を生んで増え、活動範囲が広がり、放置すればバイオハザードも必至だ。
そして書籍やコミカライズで考えても、蜘蛛であれば絵を描きやすい。
対する槐の邪神は、落ち武者のような侍が1人である。
邪神の名が付いていても、やっている事は一カ所に留まっての追い剥ぎであり、金銭を払えば見逃すため、スケールが非常に小さい。
野盗の落ち武者1人は、到底ボスには成り得ないと考えた祐真は、槐の邪神を小さな扱いに分類した。
そして不意に我に返って、カスミンの配信にコメントを残す。
『耳が、心地良いですにゃ』
ちゃんと配信を聴いていますよ、というアピールである。
但し、ちゃんと聴いていましたとは言わない。相手の誤解を期待した、聞いていた振りである。
『それじゃあ、もう少しやりますね』
優しく擦る音が聞こえて来て、祐真は安堵した。
今夜のカスミンの配信は、声が優しくて、配信される音も安定しており、昨夜よりも作業音として向いていた。
祐真も資料確認に集中できて、ASMR配信としては良かったと考える。
昨夜よりも祐真は真面目に聞いていなかったが、ASMR配信としては、成功では無いだろうかと考えた。何しろ作業が、とても捗っている。
無論、頑張ったカスミンが、勧めた祐真を許容するのかは、定かでは無い。
500文ならぬコメントを打ち込んだ祐真は、明日の部室で待ち構える新人な槐の邪神が、差し出した財宝の量に不満を持たない事を祈った。
























