10話 見学するVtuber
雲1つ無い夜空には、綺麗な満月と、宝石箱の中身を撒いたような大量の星々が埋め尽くしている。
周囲からは、鈴虫のリーンリンいう鳴き声と、蛙のゲコゲコという鳴き声が不規則に流れてくる。
さらに耳を欹てれば、小川のせせらぎが微かに聞こえており、遠くにはシマフクロウのホホーホホーという鳴き声も響いていた。
シマフクロウの鳴き声は、次第に大きくなっていく。
そして彼女、シマフクロウVtuberの『祈理カナエ』が、配信画面の上から静かに降り立った。
『ホホーホホーッ、こんカナ。皆、今夜も来てくれてありがとう。来てくれた人の名前を呼ぶね』
それで良いのか、と、いつも通りにツッコミどころ満載の登場を果たしたカナエは、待機していた奇特な40人前後の視聴者を順に読み上げ始めた。
『ケイネスさん、ココルスさん、グラブマンさん、ようたさん、天猫さん、桜木さん…………紺野カスミさん、グレートセバスさん、アンナさん、待機ありがとうございます』
紺野カスミの名前を読み上げた時、カナエは一時的に言い淀んで停滞した。
名前とアイコンを確認して、それが前日に赤いコメントを投げていた天猫が見に行っている子狐Vtuberだと認識したのだ、と、祐真は理解した。
「Vtuber本人のアカウントで堂々と偵察に来るなよなぁ」
カスミンとカナエは、Twitterで互いをフォローしておらず、絵を制作したイラストレーターも異なり、どちらも個人勢であるため、繋がりは皆無だ。
自分の配信に突然現われた新人Vtuberへ扱いは、どのようにすべきか。
状況を把握していないカナエは、一先ず普通のリスナーとして扱う事にしたらしく、特に言及はせずに雑談を始めた。
『来てくれてありがとう。長い時間、待ってくれて、ありがとうございました。はい、皆、拡散よろしくお願いします。初手、拡散です。にゃはは』
ケモノ度20%で人間に恐怖心を抱かせる姿と、女の子らしく愛らしい声で述べた御礼とのミスマッチが、視聴者に強烈な違和感を抱かせる。
カナエは週間スケジュールで、可愛い女の子の後ろ姿を載せる事もあって、それが本当の姿だと期待する視聴者の一部は、その姿で配信される事を待ち望んでいる。
だがカナエは過去の配信で、無理をしてパソコンを更新しており、そのために生活の方は我慢すると発言しているため、姿が変わるために必要な資金は持っていないのだろうと祐真は察している。
なおギターと歌の配信を聞かせたいだけの本人が、そちらに目を向けられなくなる姿の更新を望んでいる訳でも無いため、ケモノ度の変更は期待薄であった。
『はい、音流れます。皆、準備は良いですか。驚かないでね。さて、やりますか。歌って良い?』
カナエが確認すると、視聴者達は準備が出来ている旨のコメントを次々と投稿して、ギターの弾き語り配信を促した。
姿はさておき、カスミがギャル系であるとすれば、カナエは可愛い女の子系だと祐真は思っている。それを自然に出来る上に、雑談も上手いので、カナエの配信は非常に安定している。
カスミンにとって参考になる部分もあるだろうが、一朝一夕では模倣できない部分が多いために、見に来る相手としては余り適切では無いのではないか。そのように祐真は考えた。
それではカスミンが参考にするのに相応しいVtuberは、どのような系統になるのかと言えば、収益化に成功した同じギャル系のVtuberだろう。
ギャル系Vtuberが公開している過去のアーカイブは、ギャル系がどうやってのし上がっていくかが記されたヒストリーであり、ギャルが成功するための参考書である。
「それでもカナエさんを参考にするなら、過去配信を見るべきなんだよなぁ」
祐真がカナエを知ったのは、カナエのデビューから7ヵ月が経った昨年の12月頃であり、既に収益化は通った後だった。
そのため過去のアーカイブにある曲を試聴したが、200人目の登録では泣き声になりながら歌い、チャンネル登録すると効果音が流れて動くアイコンが登場する設定を行い、何度も耐久配信を行って数字を増やしていた。
効果音もアイコンも、全てカナエの手作りである。
配信画面にはチャンネル登録者数を出して、キリの良い数字では御礼を言い、減らすイジワルをされれば逐一反応して、最終的には登録して貰えるように導いて、ようやく収益化に辿り着いたのだ。
そして1000人の登録が達成された後からは、チャンネル登録者数の表示や、登録時の効果音も出していない。
祐真は渋々と、Discordという画像チャットツールを使って、連絡先として登録している佳澄に個別チャットであるダイレクトメッセージを送った。
『参考になる部分もあるだろうけれど、チェックするなら、1000人に辿り着くまでの方が良いと思う』
祐真が伝えると、ピコンと音が鳴って、佳澄から返事が届いた。
『どうして?』
『1000人を超えるまでは、目標人数を達成するまでの耐久配信を何度もしたり、配信画面に登録者数を載せたり、色々していたんだ』
祐真が大雑把に説明すると、誤解した佳澄が疑問を呈した。
『今は手を抜いているの?』
『いや、違う。1000人を超えて収益化した後に、自重しただけだと思う。メンバー登録があれば、歌おうとしていた歌を止めて、その場で御礼を言って喜んだりしている』
カナエは感情表現豊かで、初めて見に来た事を伝える「初見です」というコメントには、声を高くして大喜びで反応する。
『初見さん、いらっしゃ~~いっ。わーっ、来てくれてありがとうございます。祈理カナエと申します。歌っております。ゆっくりしていってね。良かったら聴いていってね』
そのようにカナエは感謝を述べ、様々に気配りが出来る丁寧な配信者だ。
登録者が伸びる要素をしっかりと備えたカナエが、ここまで苦労を重ねた原因の大半は、ケモノ度20%という姿にある。
重言で「頭痛が痛い」と口走りたくなるほど、どうしようもない欠点であって、収益化まで辿り着いては今更だが、どうしてそれで行こうと思ったのか、と、祐真は問い質したいほどだ。
だが他にもカナエは、Twitterでのデビューも失敗している。
Vtuberがデビューで成功するためには、最初から一定数の視聴者を獲得しておかなければならない。
そうしなければ配信でコメントを貰えず、生配信である価値が無くなって、編集された動画との勝負となってしまう。編集された動画は完成度が高く、それとの勝負では到底勝ち得ない。
カナエは、茨の道を歩んできた。
『カナエさんも、初期に視聴者を獲得できなかった勢だ。そこから立て直しているから、それは参考にして良いと思う』
最初から一定数の視聴者を獲得するには、どうすれば良いのか。
先に視聴者を獲得するには、最初にTwitterで『デビュー前Vtuber』として活動を開始して、様々なツイートで自身のアピールを行いながら、視聴者に成り得る閲覧者を獲得していく方法がある。
呟きへのコメントに対する返信を取りこぼさずに行い、3ヵ月ほど活動すれば、3ヵ月も付き合ってもらっていた閲覧者は、その配信者への反応が生活の一部とかしているので、容易には切り捨てられなくなっている。
そうやって充分な支持層を獲得したところで、配信者はショート動画を投稿して声出しを行い、このような声だが付いてきてくれますか、と、言外の確認を行う。
Vtuberの大半は、声優では無い素人である。
他方でVtuberの中には、現役の声優まで存在している。
だから声だけでは勝てないが、声出しを行うまでにTwitterで視聴者との関係が充分に構築されていれば、声だけで勝てなくても脱落する人数は減る。
そして配信に来てくれる層をガッチリと掴んだところで、ようやくデビューするのだ。
デビュー時に確保している最初の視聴者は最古参と呼ばれ、配信後に易々とは脱落しないため、Vtuberが活動する上で大切な土台となる。
Twitterへのフォロワー1000人以上、チャンネル登録者は数百人が、デビューで成功する1つの目安になる。
『デビューで失敗すると、巻き返しは大変だけど、無理じゃない。逆転劇の成功例もある』
ケモノ度20%のカナエに比べれば、ギャルっぽい子狐Vtuberのカスミは、遙かにマシな方だ。
カナエの配信を視聴しながら、同時にDiscordで祐真と話し合った佳澄は、過去配信も見てみると言い残して配信から去って行った。
それから暫く後、カナエは普段よりも30分ほど早く配信を終えると、夜空に向かって羽ばたきながら去って行った。
その時点で祐真は、非常に嫌な予感を抱いた。
なぜ弾き語りが大好きなカナエが、普段より30分も早く配信を終えてしまったのか。
祐真の疑問に対する答えは、Discordで返って来た。
『子狐ちゃん、今日はどうして来ていたのかな?』
それは、カナエからのダイレクトメッセージだった。