5. 疑い
私はしばらく部屋で考えていた。さっき私が血を吸ったあの女性、前の人よりも血が甘く感じた。それも甘ったるい感じではなくて体の中から温まっていくような上品な味。一言で言えば、前の人よりおいしかった。
(若いほどおいしかったりするのかな…)
想像はできる。若い人の方が元気だし血も新鮮だし、その分おいしいんじゃないかと思う。
そしてその予想は当たっていた。お母さんに聞いてみると、若い人間の方が血はおいしいらしい。そう言われて無意識に頭に浮かぶ、愛海、菜月、それに友梨佳ちゃん。
(みんなの血はどんな味がするんだろう…、きっとさっきの人よりも甘くて…おいしくて……)
自分がうっすら笑みを浮かべていたことに気づいてふと我に返る。友達であるみんなの血を吸うなんてことを考えてしまった。友情より吸血欲なんかを優先して考えた自分自身が恐ろしくなる。
そして私はそれ以上考えないようにベッドにもぐりこんだ。
◇◇◇
「美夜、おはよ!」
「…おはよう」
「おはよう二人とも、今日は愛海も早いんだね」
「うん、たまたま早く起きちゃって」
いつも通り学校で顔を合わせる。
「今日は二人とも一緒に帰ろうね?」
突然愛海がそんなことを言い出す。いつも一緒に帰ってるけどどうしたんだろう、と思ったけど、たぶん愛海も吸血種が少なからず怖くなってるんだと思う。
「もちろんいいよ」
「私も一緒に帰るつもりだったよ」
菜月もそう言うと愛海は安心したような顔をする。罪悪感もあるけど、これからは私も血を吸いすぎるようなことも減って、吸血種の被害ニュースは少なくなると思う。少し申し訳ないけどそのうち恐怖が薄れていくことを待つしかない。
そして5時間目、今日最後の授業をしているときに突然愛海が手を挙げた。
「先生、体調が悪いので保健室に行ってきてもいいですか?」
「そうか、問題ない。ゆっくり休んできなさい」
「はい、ありがとうございます」
そして愛海はそそくさと教室を出ていった。朝見たときはいつも通りだったし、愛海が体調を崩したところをあまり見たことがないから少し驚く。どうやらそれは菜月も同じみたいで、小声で私に話しかけてくる。
「ねえ美夜、愛海のこと何か聞いてる?」
「ううん、私は聞いてないけど菜月も聞いてないの?」
「うん、何も聞いてないよ。授業終わったら様子見に行こ」
そうして私と菜月は授業が終わると保健室に向かった。
しかし、保健室に入った瞬間、私は反射的に一歩下がってしまった。あの匂いが漂ってきたのだ。
「美夜?どうしたの?」
「え、いや、なんでもない」
血の匂いがする。保健室なんだから当たり前といえば当り前のことだけど、とても新鮮で甘みのある香りが鼻孔に抜けていく。どうやら先生は今はいないようで、奥に進むと愛海の寝ているベッドがあり、そこで私はその匂いの発生源に気づく。
「あれ、愛海寝てるみたい」
静かに寝ている愛海の横の台の上にティッシュが軽く丸めておいてある。目で見てわかるほど赤く染まったそれから甘い血の匂いが漂う。
(この匂いは愛海の……)
「起こした方がいいよね。…美夜?」
「えっと、そうね」
血の匂いに必死に耐えてその欲求から目をそらす。菜月が名前を読んだりちょっと体をさすったりして起こそうとするが愛海は起きない。
「もー、全然起きないんだけど!」
「…先生を呼びに行った方がいいんじゃない?菜月呼んできてくれる?」
私は何をしようとしているんだろう。
「そうだね、私呼んでくるから美夜はちょっと待っててー」
そうして私は愛海と二人きりになる。菜月が保健室を出たのを確認すると、おそるおそるティッシュに手を伸ばし、それと愛海の顔を交互に見る。
(寝てる、よね…)
私は手に取ったそれを鼻に近づけると、今まで嗅いだ中でも一二を争うような芳醇な香り。頭がくらくらするような、そんな感覚に陥る。そしてふと横に目をやると、愛海の、きれいな、おいしそうな首筋が目に入る。
(寝てる今なら…、少し味見するくらいなら……)
そんな欲求に目がくらんでほぼ無意識に愛海に近づく。自分でも少し呼吸が乱れるのがわかり、ゆっくりと口を開こうとした時だった。
ガラガラっと保健室の扉が開く音がする。菜月が返ってきたことに気づいて我に返った私はすぐに何事もなかったかのように姿勢を直す。
「美夜、お待たせー。先生呼んできたよ」
「あ、おかえり、はやかったね」
私の言葉を特に疑問に思う様子もなく先生は愛海を起こす。
「小倉さーん、小倉愛海さーん、お友達が迎えにきましたよ、起きてくださーい」
「…、んんっ…」
先生がそう言うと愛海は眠そうに目をこすりながら起きる。
「んー、美夜に菜月、おはよう」
「ええ、おはよう」
「おはよう、もう授業終わったし帰るよー」
そうして私たちは保健室を後にした。
校門を出るといつものように三人でおしゃべりをしながら帰る。
「それにしても愛海が保健室なんて珍しいね」
「うん、ちょっとおなか痛くて、鼻血も出ちゃったし」
「もう今は大丈夫なの?」
「うん、もう平気だよ、二人ともありがと」
そうして私は家に帰ると私のしたことを思い出す。もう少しで私は愛海にかみつくところだった。冷静になった今考えると、私は最低なことをしようとしていた。友達が寝ている間に血を吸おうとするなんて。二人にバレなかったのが不幸中の幸いだと思いながら、今もなお血が吸いたいと思っている自分自身に対する嫌悪感で胸がいっぱいだった。
◇◇◇
その夜、私はまたお母さんに眼が紅いことを指摘される。あんなことがあった後だから吸血欲求が収まらない。でもお母さんはそんな私を見ても「仕方ないわね」と少し困った顔をするだけで怒るようなことはしない。
「私たちが血を欲しがるのは当然のことなんだから、また吸えばいいわ」
「…うん、ありがと」
お母さんは小さくうなずく私を抱きしめてくれる。
「そうだ、今回からは一人でやってみなさい。あんまりかたまらない方がいいからね」
「…わかった」
「気をつけなさいね」
そう言われてお母さんに見送られて夜の街に出る。一人で狩りをするのは少し不安だけど、お母さんだって血を吸わないといけないわけだからいつまでも迷惑をかけていられない。
少し歩き回って良さそうな人を見つけると前と同じ手順で魅了する。今回は吸いすぎないように、そう頭で考えながら牙を入れる。
そしてその人の血を味わい終えて牙を抜こうとした時だった。視線の先にかすかに誰かがいたような気がした。
(っ!もしかして…、みられた!)
すぐに牙を抜いて止血し、さっき影が見えたところまで走る。でもその周囲には誰もおらず、焦っていた心が徐々に平静を取り戻す。
(やっぱり気のせいだったのかな。それにこの距離なら仮に誰かに見られたとしても顔まではわからないはず…)
そう自分に言い聞かせた。
「やっぱりそうなのね……、美夜、あなたは………」