30. 新しい友達
少し重いまぶたを開ける。時刻は18時を過ぎたころだ。今日は一日ネガティブになっていたせいで、変な時間に寝てしまった。もうすぐ晩御飯の時間だ。
(晩御飯か…)
今日は二人は何を食べるんだろう。私には関係のないことだけど。私には血しかない。人間の血だけ。
ふと、自分の腕が目に入る。自分の血で満足できればどれほどよかったことか。以前、自分の血を飲んでみたことがある。それはもうまずくてどうしようもない味だった。
(久しぶりに飲んでみようか)
私は自分の腕に牙を立てると、予想通りの味が口に入ってくる。
(まずっ…)
わかっていた結果に、すぐに牙を抜く。牙の痕はすぐに消えてしまって、もういつも通りに皮膚に戻っている。
(はあ、何やってんだろ…)
リビングに出ると、香苗が料理を作っている姿が目に入る。
「香苗、少し出てくる。晩御飯は二人で食べておいて」
「えっ、そうですか。わかりました」
辺りはだんだんと暗くなってきて、人通りも減ってくるころだ。とりあえず頭を冷やしたくて、私は外に出た。夏の暑さはすっかり身を潜め、少しひんやりとした夜風が私をなでる。そんな心地よい解放感の中で、少し冷えた頭では暗い道はなぜか昨日と違って寂しく見える。
そう、私は寂しいんだ。吸血種であり、学校を追われた私は、皆と共通の話題がない。せめて私にも、血の味なんかを話し合える相手がいてくれたら。
そんなことを思いながら当てもなく歩き、大きめの通りに出る。このあたりはまだ人がいる。今歩いている人は皆、これから家族のところへ帰るのだろうか。それとも友達の家に行くのだろうか。
そんなことを考えつつ通りを進んでいると、前方になんとも重そうなキャリーケースを引っ張るおばあさんがいた。普通に歩くだけでも大変そうな人があんなものを運んでいるというのに、周囲の人間は特に気にかける様子もなく通り過ぎていく。
私が手伝いに行こうとすると、先にすぐ横を通りがかった若い女性が手伝いに入った。優しい人もいるものだと思った時、私の第六感とでもいうべき感覚が私に告げる。
(もしかして、あの人は…)
吸血種。たぶん、あの女性は吸血種だ。
どうしてわかるのかと言われても説明できないけど、なんとなく、でも確実にあの人は吸血種だと感じた。あの人も私を見たら吸血種だと気づくのだろうか。
私はおばあさんと別れたその女性の後をつけて話しかける。
「すみません、少しいいですか」
「はい、どうしましたか」
「あー、えっと」
やばい、何話すか決めてなかった。突然友達になりたいなんて言うのは変だし、吸血種ですよね、なんて言って間違ってると困る。
「…今からどうされるんですか?」
「えっ、家に帰りますが」
「よければ少しお話しませんか?」
「…」
私がそう言うと、その女性は少し驚いて私の全身をチェックするように見回す。なんだか警戒されているみたい。吸血種ならハンターを警戒するのは当然か。
「…まあ、少しだけなら」
「ありがとうございます!私は黒瀬美夜と言います」
「私は椿千宵子です」
「椿さんですね。あ、あそこ、座りませんか?」
公園の脇に置いてあるベンチを指さし、私たちは腰を下ろす。
「さっきのこと見てたんですが、椿さんは優しいんですね」
「あのおばあさんのことですか?」
「はい」
「まあ、放っておけない性格ってだけですよ」
少し笑顔でそう言う椿さんからはこれでもかと言わんばかりの優しさが感じられる。
「それで、どんなお話なんでしょう」
その口調から私を警戒していることが伝わってくる。私が吸血種だと気づいていないんだろうか。
「あ、えっと…、こんなこと言うと変に思われるかもしれないんですけど、私お友達が欲しいんです」
「…私とですか?」
椿さんはどうして私なのか、とでも言いたそうな顔をしている。
「はい。…吸血種の友達が」
私がそう言うと、椿さんは急に血相を変えて立ち上がり、私からすぐにでも距離を取れるような体勢をとる。この様子だと、椿さんは私が吸血種だと気づいてなかったみたい。
「っ、ごめんなさい!驚かせるつもりはなかったんです、私も吸血種なので」
「っ…」
「ほんとにお友達が欲しいだけなんです。いろんな話ができる友達が欲しくて…」
「…、それは本当ですか」
この反応、やっぱり椿さんも吸血種で間違いない。私の第六感は正しかったということね。
私は紅い眼を見せて返事をすると、少し警戒を解いてくれたように見えた。
「…そう。言いたいことはわかりました。確かにその気持ちはわかりますが、私は黒瀬さんのことを何も知りません」
「…」
「なのでまずはお知り合いから、ということでお願いします」
「っ、はい!」
断られるかと思ったけど、杞憂だった。同じ吸血種の知り合いができただけでも十分うれしい。そんな私を見て椿さんは質問を投げかける。
「それにしても、どうしてわかったんですか?」
「それは…、んー、感覚です。椿さんはそういうことないですか?」
「いえ、私はそんな感覚を感じたことはないですね。現に黒瀬さんから特に何も感じませんし」
「そうなんですか…」
吸血種同士ならわかる、というわけではないのか。うーん、わからない。
それはともかく、とりあえず私たちは連絡先を交換して別れることになった。夜も更けてきており、女性二人で話し込むには少々問題になるかもしれない。
「では、また連絡しますね」
「はい」
家に戻ると、私はそのままベッドに横になる。初めての吸血種の友達、とまではいかないけど知り合いができたことに、徐々に喜びがこみあげてくる。いろんな話をしてみたくて、早く連絡をしたいけど、向こうが帰宅しているかわからない。それにこんな夜遅くに迷惑かもしれない。はやる気持ちをぐっと抑えて私は目を閉じた。
翌朝、私は香苗の声で目が覚める。早速私の頭の中は椿さんのことでいっぱいだった。
朝食にはいつものように二人分のご飯が用意されている。でもこの前みたいなもやもやした感情は感じない。ほんと、私って自分勝手なのかもしれない。
「おはよ」
「おはようございます」
「なんだ、いいことでもあったのか?」
「そう思う?でも内緒」
「おいおい」
秘密くらい持ちたいこともあるよね。しばらくはこの喜びは私だけが噛みしめていよう。
朝食後はすぐに部屋に戻って携帯を手に取る。連絡をするといった以上早いところ連絡しておきたい。
どんな文面で連絡しようか。今度会いましょう?明日?明後日?会う場所はどうやって決める?
文面を打っては消しを繰り返していると、気が付けばかなりの時間がたってしまった。とりあえずの文面を完成させて椿さんにメールを送る。
《こんにちは、黒瀬です。昨日は突然の話を受け入れてくれてありがとうございました。またお話したいです。椿さんの予定はいかがでしょうか。私はいつでも大丈夫です!》
こんな感じか。
メールを送信して返事を持っていると、しばらくして受信音がなる。
《こんにちは、椿です。驚きましたがお話できてよかったです。予定についてですが、休日なら時間が取れます。直近では今週末になります。また、場所についてはどうしましょうか。先日の公園もいいですし、私の家でも構いません。》
なんとなく律儀な人なのかなあという印象を受ける。お話できてよかった、か。社交辞令とはいえ、そう言われてニヤニヤしてしまうくらいには私は喜んでいるらしい。
その後、何回かのやり取りを経て、椿さんの家にお邪魔させてもらうことになった。むやみに外で会話して誰かに聞かれてしまうのは困るというわけだ。椿さんは一人暮らしをしているようで、誰かを家に招くことに抵抗はないらしい。
初めて同じ吸血種の人とお話しできると思うと、私は緊張と期待に胸を膨らませていた。
◇◇◇
今日は椿さんと会う約束の日。まずはこの間の公園の前で待ち合わせることになっている。約束の時間が近づき、私は外に出る。
公園の入り口が見えてくると、椿さんらしき人影が見えた。
しまった、私から誘ったのに待たせてしまったみたいで、急いでそこまで走っていく。
「ごめんなさい!待ちましたか?」
「いえ、今来たところですし、私が早く来ただけなので大丈夫ですよ。早速行きましょうか」
「はい!」
半ば定型文のような返答を受け、私たちは椿さんの家に向かった。
「いきなり家にお邪魔してもよかったんですか?」
「ええ、一人暮らしですし、外では話しにくいでしょう」
公園から10分ほど歩くと、大きなマンションの前で椿さんは足を止める。どうやらここが椿さんが住んでいるところらしい。
椿さんに案内してもらって部屋に入る。
「どうぞ」
「お邪魔します」
中はいかにも女の子らしい内装で、こう言っては失礼かもしれないけど少し意外だ。話している様子から、どちらかと言えばもっと簡素な部屋をイメージしていた。
私は部屋の中央にある机をはさむように椿さんの対面に座る。
「何も出せるものもないですが」
「いえ、気にしないでください」
吸血種なんだから食べ物や飲み物が置いてある方がおかしいというものだ。それにしても、マンションで一人暮らしか。
「かわいいお部屋ですね」
「ありがとうございます」
いろいろ話したいことはあるけど、こうして顔を合わせるとなかなか言葉が出ないものだ。
「同じ吸血種の人に友達になりたいなんて言われたのは初めてでしたよ」
「あっ、そうですよね。突然ごめんなさい」
「いえ、私だって嬉しいんですよ。話し相手がいたら楽しそうですし」
「そうですよね!」
よかった。門前払いされるような雰囲気ではないみたい。マンションに一人暮らしなんて、私よりも寂しい思いをしているんじゃないだろうか。
椿さんがどんな話し相手を求めているのかはわからないけど、まずは相手のことを大雑把に知ることが大切よね。
「椿さんは普段は何をしてるんですか?」
「平日は仕事ですね。休日はまあ、ゆっくりしてます」
「働いてるんですね…」
そりゃそうか。マンションに住んでるなら家賃とかもあるだろうし、働くのは当然か。
「黒瀬さんは普段は何をしてるんですか?」
「えっ、えーと…、ごろごろしてます…」
恥ずかしすぎる。考えなしに話題を振ったせいで、一生懸命働いている人の前でニートを公言することになるとは…。
「そうですか、まあそういう期間もありますよね」
「あれ、あんまり驚かないんですね」
「ええ。私もそういう期間はありましたし、ずっと働いてきたわけじゃないです」
「そうだったんですか…」
「でも暇じゃないですか?ごろごろするのって」
「そうなんですよ。だからいろいろ話せるお友達が欲しくて椿さんに声をかけたんです」
「なるほど」
「椿さんはそういうお友達はいるんですか?」
「いえ、あいにくいませんね。吸血種と話す機会なんてほとんどないですから」
「人間のお友達はいるんですか?」
「人間ですか? …私はいませんが黒瀬さんは?」
「何人かいます」
「っ、そうだったんですね。いい子たちですか?」
「はい、私にはもったいないくらい」
「そうですか。でも別れの時が辛いですし、私はもう作らないと思います」
「えっ」
別れの時?
別れなきゃいけない理由なんて思い当たらない。いや、もしかして椿さんは吸血種だと知られて疎遠になった過去でもあるんだろうか。
そんなことを考えていたが、椿さんの次の一言でそんな考えは吹き飛んだ。
「どれだけ仲良くなれても皆私たちより先に亡くなってしまいますから」
今までそんなことは考えたこともなかった。
そうか…。愛海も菜月も神君も、みんな私より先に…。
「あっ、ごめんなさい!嫌な気持ちにさせてしまいましたね」
「い、いえ…」
椿さんは先立たれる悲しみを知っているんだ。さっき一瞬だけ暗い顔をしたのは、仲が良かったお友達が亡くなってしまった経験があるからなんだろう。
「あの、聞いていいですか?」
「なんですか?」
「…椿さんって何歳ですか?」
「だいたい200歳くらいですね」
「えっ!」
「そういう黒瀬さんは?」
「っ…、15歳です…」
「えっ!」
まさか、そんなに年配の方だったとは思いもしなかった。
お互いに信じられないことを聞いたような顔をして静まり返る。
「あ、ずいぶんお若かったんですね…」
「い、いえ、椿さんも…、えっと」
なんだ、こういう時は何て言えばいいんだ?
お年を召しているようで…、は失礼だな。
「…ご長寿のようで何よりです」
「ふふ、なんですかそれは」
椿さんの笑った顔を初めて見た。その笑顔はとてもやさしく見えて、なんとなく椿さんに少し近づけた気がした。
「でもまだそんなに若かったんですね。本当に余計なことを言ってしまいました。ごめんなさい」
「いえ!気にしないでください」
私に向かって真剣に頭を下げる椿さんの姿を見て、私は彼女の優しさに触れられた気がした。椿さんが私にどういう印象を抱いているか少し心配ではあったけど、どうやらそんな心配も無用だったらしい。椿さんは顔を上げると、少し笑みを作って言う。
「少し警戒していたんですが、優しそうな人で安心しました」
「あ、ありがとうございます。椿さんも優しそうな方でよかったです!」
「それじゃ、同じ吸血種ですし、せっかくです。ため口で話しましょう」
「そ、そんな!年上の方に向かってため口なんて」
年上なんてレベルじゃない。私の十倍以上生きているんだ。人間の年齢で考えれば小学生がお年寄りにため口で話すようなものだ。
…ん、意外としっくりくる。
「でもそれじゃ仲のいい友達にはなれませんよ?」
むむむ…。
「…いいんですか?」
「もちろんです」
「じゃ、じゃあ、よろしく…」
「よろしく!」
笑ってそう言う椿さんの印象は、私が最初に抱いた印象とは大きく変わっていた。最初はおとなしくてクールな女性だと思ってたけど、意外とそうでもないかもしれない。どちらかと言えばむしろ活発で明るい印象を受ける。
「そうだ、美夜ちゃんはほかに吸血種の知り合いはいるの?」
「美夜ちゃん…?」
「美夜ちゃんって呼ばせてもらうわ。私のことは千宵子でいいわよ」
「えっ、千宵子、さん…」
「ちょっと、さんって何よ。友達でしょ?」
ほんとに第一印象と違う。まさかこんなにぐいぐい来るとは。
「…ち、千宵子」
「よし。それで知り合いはいるの?」
「えっと、一人いるよ。その子はもともと人間だったんだけど」
「えっ、吸血種に変わったってこと?」
「うん。とある吸血種に何かされたみたいで」
「それって真祖なんじゃ…」
「真祖?」
「ええ。簡単に言えば吸血種の貴族ってとこね。それも一番偉くて強い吸血種よ」
「そ、そうだったんだ…」
あの吸血種ってそんなに強かったんだ。私と神君があいつに勝てたのはほんとにラッキーだったのか。
そんなことを考えつつ、ふと千宵子の顔を見ると、何かに思い悩むような顔をしていた。
「どうしたの?」
「いや、その子大丈夫かなと思って」
「っ、なにかまずいの…?」
「真祖に吸血種にされた人はその吸血種に絶対服従よ。いやな言い方をすれば奴隷ってこと。もしその真祖が何か企んでるとしたら…」
「あ、それは大丈夫だよ。その真祖倒したから」
「ええっ!?」
「とは言っても私はハンターをやってる友達に協力しただけなんだけど」
「…ちょっと待って。話が見えてこないわ。つまり美夜ちゃんはハンターと協力してその真祖を倒したってわけ?」
「うん」
千宵子は文字通り頭を抱えていたので、私は詳しく説明した。私は真祖とやらの力を知らないからあまり実感はわかないけど、千宵子の話では勝てたのは奇跡らしい。それに私がハンターと友達だということにも当然驚いていた。
「ほんと美夜ちゃんって変わってるわね」
「そうかな」
「そうよ。まあでも、その真祖がもういないなら心配ないわね。今度その子にも会ってみたいわ」
「そうだね、機会があればそういうのもいいかも」
吸血種だけでお話するなんてちょっとワクワクする。それこそいろんなお話ができそうだ。




