28. 孤児院
翌日、いつものように朝食の時間を終え、私はひとまずソファに腰掛けて一息つく。一方、香苗は仕事へ行く準備をしている。
「美夜は今日もごろごろですか?」
「むっ、英気を養ってると言ってほしい」
「はあ、何が英気ですか。少しは建設的なこともしたらどうですか」
う…、ぐうの音も出ない。
でもしたいこともないし、しなければいけないこともない。故にごろごろである。
「そうだ、一度孤児院に来てみませんか?」
「香苗はそこで働いてるんだっけ」
「ええ。暇だったら子供たちの相手をしてください。結構忙しいんですよ」
孤児院か。確かにここで転がっているだけの生活よりよほど建設的だ。それに子供たちと触れ合ってみるのも楽しそうだし、悪い話ではない。
「わかった。いいよ」
「っ、ほんとですか? 断られると思ってました」
「そう?」
「だって私は美夜が怠惰に過ごしているところしか見たことがありませんから」
「っ」
むっ、言い返してやりたいけど事実だから何も言い返せない自分が悔しい。
「ふふ、冗談です。手伝ってくれると助かります」
「まったく最初からそう言ってよね」
軽く悪態をつくと、香苗が思い出したように付け加える。
「あ、でも美夜が吸血種だってこと、絶対に内緒ですよ。みんな怖がりますから」
「当然。香苗に言われるまでもないよ」
そうして、私は孤児院に向かうことになった。
「今日は学校がお休みなうえに院長もお休みで忙しいんです」
「なるほど、だから私に声かけたわけね。院長さんはなんで?」
「体調不良みたいです」
「ふうん」
そんな会話をしながらしばらく歩くと孤児院に到着する。香苗の案内で中に入ると、すでに多くの子供たちが楽しそうに騒いでいた。
「あ!香苗だ!」
「おはよう!」
「ええ、おはようございます。今日も元気で良いですね」
「あれ、そっちの人は?」
うっ、予想以上に距離が近い…。私に上手くやれるのか心配になってきた。
「えっと、黒瀬美夜よ。今日は香苗の手伝いに来たの」
「へえ!美夜先生!よろしくねー!」
「うん、よろしく」
やることと言えば勉強のお手伝いや遊び相手になること。さすがの香苗は慣れた様子で子供達の相手をしている。私が勉強を教えるなんてできるのかと思ったけど、そんな心配は無用だった。
「美夜先生も賢いんだ!」
「ええ、ありがとう」
いくら勉強をしてない私とはいえ、このレベルの問題はできるみたいだ。
そうしてしばらく勉強を教えていると、昼食の時間がやってくる。どうやら私の分もあるみたいで、おそらく香苗が話を通したんだろう。正直いらないんだけど私だけ食べないというのは良くないか。
みんなで一緒に席に着くと、子供たちは目を輝かせている。香苗の料理もいろいろあってすごいけど、子供たちの食事というだけあってさらに色とりどりの食材が使われている。
「いただきまーす!」
食事のあいさつとともに子供たちは皆美味しそうに食事を頬張っていく。
「おいしー!」
「ねー!」
「美夜先生の少しもらっていい?」
「あっ、もちろ」
「ちょっと!先生のものとっちゃダメでしょ!」
「っ、冗談だよ…」
私の分のお肉を取ろうとした子に向かって隣の子が注意してしまった。
くっ、せっかく食べてもらう絶好のチャンスだったのに。
「あら、私はいいのよ。欲しいものがあればどうぞ」
「えーっ、ほんとにいいの?」
「うん、遠慮しなくていいよ」
「っ、じゃあもらう!」
よし、これで一つ私の苦悩が減った。
「ほかに欲しい子はいない?」
「じゃあ私も少しほしい!」
「はい、どうぞ」
うん、いい感じだ。
「もっととってもいいのよ」
「……美夜先生、もしかしてこれ苦手なの?」
「あー、そうね。実はあんまり好きじゃなくて、みんなに食べてもらおうかなって」
「えー!ダメだよ!好き嫌いしちゃいけないんだよ!」
「えっ」
そうか、子供の前でそういうことを言うのは逆効果だったか。好きじゃないと言ったのは失敗だった。子供の前で残すわけにもいかないし残りは私が全部食べるしかないか。
こうして私はなんとか皿の上の物を平らげる。途中で何度も子供たちの首がおいしそうに見えたけど、しっかり我慢した。
食事を終えると、子供たちは各々で遊び始める。外に遊びに行く子から室内で本を読む子まで、さまざまだ。ようやく一息つけると思いきや、早速声をかけられて相手をすることになってしまった。香苗もすでに子供に捕まっており、なかなかハードな環境だと実感する。
その後、しばらくしておやつの時間がやってくる。幸いなことにおやつは子供たちの分しかないらしい。
「今日はクッキーですよー。いっぱいあるので仲良く取りましょうね」
香苗がそう言うや否や、クッキーの入ったバスケットは一瞬で空になってしまった。
「わーーん!ゆうくん取りすぎ!」
「一個しか取れなかったー!」
「こらこら、喧嘩しないで、いっぱい取った子は分けてあげなさいね」
ああ、やっぱりこうなるんだ。
なんとかみんなの機嫌を取りながら配分をしていると、少し離れたところから泣き声が聞こえてくる。
「っ、ひっ…、か、かえして!!」
「これは僕の!!」
ああ喧嘩だ。なんで子供ってこんなにすぐ喧嘩するんだろう。ここは香苗に…、って子供たちに捕まってるのね…。
「こらこら、仲良くしなさい」
「だってひーくんが私の分とったの!」
「とってないよ!」
まったくもう、私喧嘩の仲裁なんてしたことないから困るんだけど…。
「喧嘩するなら没収するよ」
「ええーっ」
「はい、じゃあジャンケンで決めようね」
「…はーい」
とりあえず納得してくれたようでよかった。これで一段落、と思っていると、急に後ろから服を引っ張られた。
「美夜先生!こっち来て一緒に食べよ!」
「えっ」
私の分なんてないけど、まあ同席するだけならいいか。
そう思ってついて行くと、三人の子供たちと食を共にすることになった。
「はいっ、これお礼!」
すると三人とも笑顔で私にクッキーを差し出してくる。
「っ、私はいいよ。みんな食べたいでしょ?」
「ううん、それに何かしてもらったらお礼をするのは当たり前だから!」
くう、なんていい子たちなんだ。そんな笑顔で言われたら断るわけにもいかない。
「あ、ありがと…」
「うん!」
「えーと、じゃあ、いただきます」
持ち帰れる雰囲気じゃないし食べるしかない。少しくしゃくしゃになった袋を開け、クッキーを口に放り込む。
ううっ、まずっ。
味がしない上にパサパサしてて美味しくない。食塊を飲み込むたびに喉が渇く。血液の真逆みたいな食べ物だ。これをあと二個も食べないといけないのか。
「うん、美味し。ありがと」
「どういたしまして!」
なんとか三つのクッキーを食べ終えたけど、まだ喉につっかかっているような感じがして気持ち悪い。早く口直しも兼ねて血で洗い流したい。
湧き上がってくる吸血衝動を抑えながら話をしていると、かすかに甘美な匂いが私の鼻を刺激した。
この匂いは間違いなく血の匂いだ。子供だし誰か怪我でもしたのだろうか。匂いの濃さから考えて外からかな。正直、今かなり血が飲みたいと思ってるから十分気をつけないといけない。
程なくして孤児院の玄関が開くと、血の匂いは一層濃いものになる。
「絆創膏ほしいんだけどー」
(っ、やば…)
めちゃめちゃおいしそう。
膝から血が出ている。転んだんだろうか。少しくらいなら舐めても…。って、だめだめ。香苗もみんなも見てるんだから。
「美夜先生?」
「あっ、ごめん、ちょっと考えごとをね」
(落ち着いて、大丈夫よ…。深呼吸して…、深呼吸………)
自分に言い聞かせるように数回深呼吸をすると、少しだけ胸の奥が落ち着いた気がする。
よし。
「ちょっと待ってね、絆創膏取ってくるから」
香苗に場所を聞きに行くと、少し心配そうな顔をされた。
「大丈夫ですか?」
「…うん」
「ならよかったです。お願いします」
絆創膏のおいてある場所を聞き、けがをした子供に持っていく。
「ちゃんと洗ってきてえらいね。痛くない?」
「うん。大丈夫!」
「そっか」
絆創膏を貼ろうとして近づくと、目の前のきれいな赤とその匂いに頭がくらっとする。
「よし、できた」
「ありがとう!」
なんとか欲求を押し殺して絆創膏を貼ると、その子はまた元気よく外に遊びに行った。
しかし当然絆創膏一枚で血の匂いが遮れるはずもなく、その後も私はずっと血の匂いに耐えることになるのだった。
そしてようやく私も香苗も帰る時間になり、子供たちに別れを告げる。
「じゃあみんな、ばいばい」
「ばいばーい!また来てねー!」
みんなに見送られて外に出ると、ひんやりとした風が私の頬を撫でる。激動の時間を終え、落ち着いた胸の鼓動に少し安堵を覚えるとともに、どっと疲れが押し寄せる。
「美夜、どうしました?」
「っ、うん、ちょっと疲れたなって」
「あ、そうですよね。みんな元気いっぱいですから。でも今日は助かりました」
「うん。ならよかった」
とにかく何事もなく終えることができて良かった。これを毎日やっている香苗はすごいと思う。
「それにしても、本当に意外でした。私、吸血種ってもっと攻撃的なのをイメージしてて。でも実際は人間と同じ物も食べられるし、そこまで人間と変わらないんですね」
変わらない、か。そうだったらよかったのに。
確かに人間の食事も食べられるけど、おそらく香苗が思っている以上に美味しくない。それに、人間は首に噛みつきたくなる衝動なんて感じないのよ。今だって、私はずっと香苗の首を噛みたい思いを抑えているんだから。
「美夜?」
「…ええ、そうね。あんまり変わらないかもしれないね」




