11. 友達
愛海に助けてもらってから数日が過ぎ、私たちはすっかり元の日常に戻っていた。
「なんか最近二人仲良すぎじゃない?」
そう口をとがらせながら言ったのは菜月だ。まあ私と愛海は裸で抱き合った仲だからね。私は血まみれだったけど。
「はっ!もしかして二人はそういう関係!?」
「そんなわけないじゃん!」
突然何を言い出すかと思えば、菜月は私をニヤニヤしながら見つめてくる。ほんとそういう話が好きだなあ、なんて思いながら愛海を見ると顔を真っ赤にしていた。
(えっ、そんな顔されたら困るんだけど!)
「ええっ!まさか本当にそうなの!?」
「ち、違うってば!」
まるで水を得た魚のように顔に元気が戻った菜月はどんどん話を進めていく。
「いやあ、まあそういうのも悪くはないと思うんだけどね…、ちょっと妬いちゃうなあ」
なんて心にもないことを言ってくる。愛海は相変わらず顔を赤くしてるし私は無理やり話題を変える。
「あ、そういえば!菜月追加課題まだ提出してないでしょ!」
追加課題、それは成績のよろしくなかった生徒に送られるお土産だ。
「うわー、いやなこと思い出させないでよー」
「ほら、後にためると大変だよ」
「えー、じゃあ美夜手伝って」
「ダメだよ、課題はちゃんと自分でやらなきゃ」
「じゃあ教えるだけ!わからないところ教えてくれるくらいならいいんじゃない?」
「仕方ないわね、いいよ」
こうして私たちは放課後に残って菜月の課題をみてあげることになった。
そして放課後、私と愛海の協力もあり、順調に課題は減っていた。最初は20枚くらいあった数学のプリントはあと数枚になっている。
すると、残りもあと少しというところで急に愛海が声を出した。どうやら友梨佳ちゃんに勉強を教える約束をしていたのをすっかり忘れていたらしい。愛海は菜月に頑張るよう言ったあと、荷物をさっとまとめて出て行ってしまった。
「行っちゃった…」
「友梨佳ちゃんもなかなか勉強大変らしいからね」
軽くおしゃべりをした後、菜月が課題に戻る。また静寂が教室に広がり、私が本のページをめくる音と菜月のペンの音があたりに響く。そんな心地いい静けさを破ったのは菜月の声だった。
「痛っ!」
「ん、どうしたの?」
「紙で切っちゃって…。なんでノートってこんなに切れやすいんだろうね」
どうやらノートの端で人差し指を切ってしまったらしい。見た目ではそんなに血は出ていないけど血の匂いはしっかりと私の鼻を刺激する。
(いい匂いね…)
菜月は特に気にする様子もなく課題を続けている。少し下を向いて手を動かす菜月の首はあまりにも無防備に見えた。そんなことを考えているとつい吸血欲求が湧いて出てしまう。
(ダメよ美夜、菜月には絶対にばれちゃダメなんだから…)
そう心で呟いた時、ふと思った。ばれなきゃいいんじゃないか。菜月を怖がらせることもないし、私は菜月の血を味わえる。そこまで考えた私は菜月の名前を呼んだ。
「ねえ、菜月」
菜月がこちらを見ると同時にその目からは意思が消える。私の目の前にはおいしそうな首が無防備に置かれていて、これから菜月の血を吸える思うと私の気持ちは高揚した。そして菜月の肩に手を回し、そのきれいな首にかみつこうとした時だった。
「何やってるの?」
突然後ろから声がした。一気に現実に引き戻された私は振り返る。そこには信じられない光景を見たような顔をする愛海がいた。
「愛海!?なんでここに…!?」
「何しようとしてたの?もしかして血?」
「え、あっ、そう、ちょっともらおうかなと思って…」
少し難しい顔をした愛海は、菜月の方を見て表情を曇らせる。
「…なんか菜月の様子変じゃない?」
魅了をかけた菜月の目は遠くを見ているような、焦点が合っていないような、虚ろな目をして固まっていた。魅了のことを愛海に伝えていなかった私は言葉に詰まる。
「もしかして、無理やり吸おうとしてたの…?」
返す言葉がなかった。そんな私を見て愛海は続ける。
「美夜がそんなことするなんて…信じらんない!」
そう吐き捨てると愛海は走って教室から出て行ってしまった。教室に取り残された私に重い空気がのしかかる。とうとう見限られてしまった。その思いと目の前で固まる菜月を見て自分がしたことを後悔する。
そしてその重苦しい静けさは唐突に菜月の声で終わりを迎えた。
「あれ、私何して…」
「…っ、菜月」
「あっ、ごめん!ぼーっとしてた!続きやろっ」
そう言って何事もなかったかのようにまた手を動かす菜月を見て私の罪悪感は膨れ上がる。
「…菜月、もう今日は帰ろ?」
「えっ」
「ちょっと疲れちゃったみたい…、また今度にしよ?」
「んー、美夜がそう言うなら帰ろっか。手伝ってくれてありがと!」
そうして私たちは暗くなった教室を後にした。
◇◇◇
それからというもの、私と愛海はほとんど会話をしなくなってしまっていた。菜月が一緒にいるときは少し話す程度で、そんな私たちの仲を菜月が取り持ってくれている状態だった。
「ねー、二人とも喧嘩してるの?」
「…そんなことは」
「あるでしょ!最近二人が話してるところ全然見ないよ」
菜月が心配そうに私たちを見る。仕方ないなあ、とでもいうような顔をして菜月は続ける。
「どっちが悪いとかいいけどさ、ごめんなさいって言えばいい話じゃないの?」
「…、私は別に」
「はーいそこ、言い訳しない!」
そう言って菜月は私と愛海を人のいない教室に連れていく。
「はい、私は行くからここでしっかり仲直りするように」
菜月はそう言って私と愛海を置いて教室から出ていくと、沈黙があたりを埋め尽くす。愛海は何も言おうとしない。わかっている、これは全部私のしたことが原因で、私が悪いんだ。
「…ごめんなさい」
「謝る相手が違うんじゃないの」
「でも菜月は私のこと知らないんだし…」
確かに本当に謝らなければいけない相手は菜月だけど、私が吸血種だと知らない菜月には言えなかった。愛海は軽くため息をつく。
「…はぁ、なんであんなことしたの?」
「だって私は血を吸わないとダメだから…」
「そんなことは知ってるよ。そうじゃなくて、なんで菜月にしようとしたの」
愛海の口調からかなり怒っているのがわかる。
「菜月の血を見て、それで欲しくなっちゃって…」
「ほんと信じらんない」
さらに怒ってしまった愛海はそう言うと教室から出て行ってしまった。
確かに今回のことは私が悪いのはわかってる。でもそんなに怒るようなことなんだろうか。結果的に菜月には何もしてないし、噛んだとしても少し血をもらうだけ。菜月を怖がらせたわけでもない。
(なんでそんなに怒るのよ…、意味わかんない…)
私はそう心の中で呟いて教室に戻った。菜月になんでまだ仲直りしてないのか、と文句を言われたのは言うまでもない。
◇◇◇
そして今日も学校が終わり、私たちは言葉も交わさずに家に帰る。その繰り返しだった。毎日のようにしていたメールも今はまったく無い。
そんなことを続けていたある日。
「二人ともいい加減仲直りしなよー。なんなら私が解決してあげるからこの菜月様に話してみなさい!」
「…ありがと、菜月、大丈夫だから」
何が大丈夫なのか。自分で言ってあきれる。私はどうすればいいのかわからなかった。愛海も何も言ってこないし私も何も言えない。
そして、とうとう菜月はしびれを切らしてしまった。
「なんでなの…、なんで私には何も話してくれないの…。今までだってそうじゃん、私のいないところでよく二人だけでしゃべってたの知ってるよ。なのに突然喧嘩して私にはなんにも教えてくれない!二人にとって私はそんなにどうでもいい存在なの!?」
突然大きな声を出した菜月に私も愛海も驚きを隠せなかった。まさかそんなふうに思われていたなんて。その目には涙が浮かんでいた。
(私なにしてるんだろ…)
大切な友達が自分のせいで目の前で泣いてしまった。私は今まで感じたことのないほどの後悔の念を覚える。そしてようやく目が覚めた私は菜月に謝ることを決めた。
◇◇◇
『もしもし』
「あ、愛海…、聞きたいことがあるんだけど」
菜月が泣いてしまった後、私は家に帰ると愛海に電話をした。
『なに』
「私ってほんと馬鹿なの、だからなんで愛海が怒ってるのかわからなくて…、菜月になんて言えばいいのかわからないの…」
もう私に恥なんてなかった。私のせいで愛海を怒らせ、菜月を泣かせてしまった。なのにまだ私は謝れないでいる。これ以上の恥なんてあるだろうか。私はただ一刻も早くまた三人で笑いたかった。
すると愛海は少し間をおいて答えてくれた。
『…美夜は私たちにとっての何?』
「友達、でいたい…」
『そうでしょ、美夜は私の友達。菜月だってそう、私の友達』
「…ありがと」
『私は美夜が血を吸おうとしたことに怒ってるんじゃないのよ』
「じゃあなんで…」
『菜月を傷つけようとしたことに怒ってるの』
傷つけようとした、それは正しい。でも愛海は私の事を認めてくれて、吸血種であることを知っても友達でいてくれた。それに菜月を怖がらせたわけじゃない。
「…、でも菜月は気づかないんだし傷つけるって言っても少し噛むだけ…」
『はぁ、まだわからないの?美夜はいつもどこかの誰かを傷つけてるんでしょ。それを許さない人もいると思うけど、私は許した。でも友達を無理やり傷つけるなんて私は許したくない。だって私はどこかの誰かよりも友達が大事だもん。菜月のこと好きだし、もちろん美夜のことも好き。わかるでしょ?』
「うん…」
『私は、美夜が菜月のことよりも血を優先したのが気に入らないの。菜月が気づくかどうかなんて問題じゃないの』
私は菜月が気づかなければ問題ない、少し血を吸うくらい問題ない、そう思っていた。でもそれは結局、私が菜月の血が欲しかっただけ。私の正体を知られたくなかっただけ。だから魅了までして血を吸おうとした。愛海はそんな私に怒ったのだ。
反論の余地なんて何もない。私は菜月に最低なことをした。そんな自分に気づいて涙があふれる。
「…ごめん…ほんとにごめん…、私って最低だ」
『っ…、いや、私こそごめん、吸血のこととか全然知らないのに勝手なこと言って…』
愛海は謝ってくれたけど、菜月の血を見て我を忘れてしまった私が悪い。飢えていたわけでもないんだから我慢しようと思えばできたはずなのに。
「…ごめん、今から私の家に来てくれる?菜月も呼んでみる」
『美夜…?ううん、わかった』
そうして私は菜月にも声をかけ、なにもかも話すことを決意した。
次回から投稿少し遅めになります。。




