50 少しばかり値が張りますよ?
「テル先輩。職探しに疲れて世を儚んでるのですか?」
「マリア。お前、人を馬鹿にするのも大概にしろよ?」
飲み物の付け合せの豆菓子を一粒摘まんで、ムカつく後輩の額に叩き付けてやった。我ながら惚れ惚れする程のクリーンヒットだ。
「あいたっ!! いきなりひどいですよ! 仕事が見付からないからって八つ当たりしないでください!」
「やかましい! こう見えても仕事中なんだよ。お前こそ仕事はどうしたんだ?」
「今日は休日なので、街でお茶でもしようかと思っていたのですよ」
「そうか。丁度いいや。少し付き合えよ」
「先輩のおごりならいいですよ〜。あ、店員さん、メニュー表のここのページ全部お願いします!」
ページ食いかよ!? お茶だけじゃなかったのかよ! 本当に腹が立つ女だな!
「それで、先輩。何かお話があるのですよね?」
本当にページ食いしたマリアが、満足そうな表情を浮かべながら話を促して来た。
しかし、あれだけ食べたのに腹が全然膨れてない様に見えるのだが。
一体、どういう事だ? ……まさか、栄養分は全て胸に行ってるとか!?
あり得ん。そんな事は神が許しても断じて私が許さん!!
って、いかんいかん。危うく目的を忘れるところであった。
「お前って、公務員だよな?」
「そうですけど、仕事を紹介しろとか言わないでくださいよ? 私、そんなコネ無いですし」
「違うっての。公務員なら職を任命された際、この国に忠誠を誓っているな?」
「ええ。形式上は、国王陛下の為に働く事になっていますし……」
マリアは、私が何を言いたいのか分からないといった表情を浮かべている。
まあ、いきなりこんな話されても訳が分からないよな。
「実はな、私もこの国に忠誠を誓っている」
「え!? まさか! 冗談でも笑えませんよ、先輩?」
「冗談では無いぞ。……私は、この国の諜報員として働いているのだ」
わざとらしく周囲を窺いながら、声をひそめる。こうすれば信憑性も増すってものだ。
「それ、本当なのですか……?」
「ああ。お前も国に忠誠を誓う身だよな。だから、お前にだけには伝えておこうと思ってな……」
それから、彼女に私達の任務の内容や今後の計画を伝えた。
隣国に潜入し、混乱を引き起こす。その際に国王を失脚させるといった様な事だ。
知らない人が聞いたら、それこそ冗談にしか聞こえない話だけどな。
「な、なななんで、そんな話を私にするんですか!? 嘘ですよね? 冗談ですよね?」
「残念ながら本当の事だぞ。お前を信用してこの話をした。もし、私の身に何かあれば、この話を伝えて欲しい」
「誰に伝えるのですか……?」
「そうだな。まずは、この店の娘達にだ。それと、お前も知っているあの少年にも頼む」
レンファやミラも、いきなり私達がいなくなったら心配するだろう。
最悪の事態が起きたとしても、誰かに最期を知っておいてもらいたいと考えるのは、冒険者として贅沢だろうか。
それと、お気に入りの少年にもだ。彼の周囲には、私の親戚がいる。
私に何かあれば、少年の口から彼女らにも伝わるはずだ。
……私が死んだとしたら、少しは悲しんでくれるのかな。
「先輩、あの男の子って……彼ですよね?」
「ああそうだ。前に一緒にお茶した事があっただろ?」
マリアの表情が複雑な物に変わる。確か以前、色々な事情があったとかで少年にセクハラまがいの事をされたと言っていたな。
こんな奴にセクハラするなら、私にしてくれればいいのに。お姉さんはいつだってウエルカムだぞ、少年。
それにしても、マリアの奴は何で頬を赤く染めてるんだろうな?
「取り敢えず、私の仕事についてはお前に話した通りだ。言っておくが、不用意に口外するなよ? 国に忠誠を誓うお前なら、この意味が分かるよな?」
「それって、言いふらしたら国家反逆罪……」
「そうだ。バレたらこれだぞ?」
手で首をかき切る仕草をすると、マリアの顔が青くなって震え出した。
「そんな事を言ったって、あんな話を聞かされて黙ってるなんて無理ですよ!」
「なあに、私に何かあれば話していいんだから気にするなよ」
「先輩に何かあっても大問題ですよ!!」
「まあ、そういう事だ。後は頼んだぞ」
半泣きの後輩を残して私は店を出た。早速行動に移すとしよう。
本当は少年や親戚の子にも会いたかったが、仕事中は私情を挟まないのが鉄則だ。
ちなみに今のは、格好良さそうなフレーズだったので、使ってみたかっただけである。
「さてと、まずは情報集めだよなぁ……」
どちらにしても、ヴィルオン国の情報がとにかく足りない。
内通者がいるのなら、それなりに情報も寄越せよなぁ。
ここで愚痴っていても仕方ないので、情報が集まりそうな場所へ向かう事にする。
王都の外れにある一画は、スラム街と呼んでも差し支えが無さそうな地区だ。
真昼間から飲んだくれがゲロってたり、生気の無い目の物乞いが座り込んでいる薄暗い通りが続いていて、少し奥に入れば非合法の呪われている魔道具を売る露店や、無許可営業の娼館の女達が通りがかる男に手当たり次第声を掛けているカオスな場所である。
決して、良い子のみんなは近付いてはいけないぞ。お姉さんとの約束だからな!
アイテム袋からローブを取り出すと、そのまま羽織ってフードを目深に被る。こうでもしないと美人過ぎる私が目立ってしまい、男共が群がってしまうのだ。
本当だぞ。……本当だからな!
目深に被ったフードのおかげか、すれ違う者は私に目もくれないで足早に通り過ぎて行く。フードの効果はばつぐんだ。
「情報集めと言ったら、アングラな酒場だよな……」
情報は冒険者ギルドでというのがお約束だが、表に出てこない情報を求めるのなら、怪しげな奴らが集まってそうな店に限る。
「あった、あった」
一見すると、酒場とは思えない店構えの建物だ。ドアに申し訳程度に書かれている酒の文字で、何とかここが酒場だというのが分かる。
「邪魔するぞー」
躊躇なく扉を開いて店内に足を踏み入れると、そこは紫煙渦巻く、ならず者達の溜まり場といった様相だ。この匂いは御禁制のタバコも混じってるな……。
店内の男達が一斉に闖入者である私に視線を注ぐ。
よせやい。そんな熱い目で見つめられても、私には心に決めた相手がいるんだぞ。
「オヤジ、取り敢えず酒を一杯くれ」
男達の視線を無視してカウンター席に腰掛け、場違いみたいに人の良さそうな小太りのマスターに注文する。
「お客さん、天然物と混ぜ物どちらにしますかい?」
「天然物で」
こんな店で混ぜ物の酒なんて頼んだら、何を出されるのか分かったもんじゃない。流石の私もそこまで冒険はできない。
「少しばかり値が張りますよ?」
「構わんよ」
西方銀貨をカウンターに置くと、急に態度が変わったマスターが『お待たせしました』と恭しく、琥珀色の液体で満たされたグラスを差し出して来た。
まずは香りを楽しみ、軽くひと口だ。
月並みな感想だが、芳醇な香りで口当たりが良い。
「ほほう。これはいい酒だな……」
「はい。先日、良い物が手に入りましてね。これは西の城塞都市国家の北西にあるフォルガンという小国で作られる酒でして——」
マスターの説明を聞きながら氷の入ったグラスを傾けていると、いつの間にか私の隣に座ってきた男が下卑た笑みを浮かべながら、私をなめ回す様に見ていた。
「くせえな。雌の匂いがプンプンするぜ」
「……私は臭くないぞ。ちゃんと毎日風呂にも入ってるからな」
まったく、失礼な奴だよな。お前の方こそ臭いぞ。
「匂うんだよ。男日照りの雌の匂いがな! 姉ちゃん、どうだ? 足腰立たなくなるまでヒイヒイ言わしてやるぞ?」
そう言って、男は下卑た笑みを浮かべたまま私の肩に腕を回してきた。
場所が場所だから、こういう手合いは仕方が無い。
猫の額より広い心を持つ私だが、図々しくも触れてくる不埒な男は許せんな。
「私に触れるな!」
「ぎゃあ!!」
頭突きで吹っ飛ばしてやった。男は短い悲鳴を上げると、白目を剥いてそのまま動かなくなる。流石にこんなのでは死なないだろう。
だが、それを見た周囲の男達が無言で立ち上がると、私を取り囲み始めた。
「お、お客さん、困りますよ!」
「今のは正当防衛だと思うのだが……」
そんな私の呟きを無視するかのように、男達が距離を詰めてくる。
ここで全員吹っ飛ばしても構わないのだが、それでは情報が得られなくなってしまうな。
「私は情報が欲しい。誰かヴィルオンに関する情報を持ってないか?」
フードを脱いだ私は、前髪をかき上げる仕草をしながら、監視のために装着させられた腕輪を男達に見せ付ける。意味が分かる者には分かる代物だ。
案の定、男達の間に動揺が走った。
「ほほう。姐さんも『王国の犬』か。一体、何をしでかしたんだ?」
店の奥のテーブル席から片足を引きずる様にして、小柄なネズミ族の獣人の男が近付いてきた。
すると、私を取り囲んでいた男達が血相を変えて慌てて離れて行く。
……こいつ、只者じゃないな。立ち振る舞いで手練れというのが分かる。
「レディに根掘り葉掘り聞くもんじゃないぞ」
「はははっ! そりゃ失礼したな。マスター、この姐さんにとっておきのをもう一杯やってくれ」
「は、はいっ!」
そうして、怪しげな男は片足を引きずったまま私の隣の椅子に座った。
「姐さん、まずは王国の繁栄を願って乾杯だな」
「……乾杯」
これは皮肉だ。
よく見たら、この男も私と同じ腕輪をしていた。同業者って奴だな。
だったら話が早い。
「俺はトルゲだ。よろしくな」
「私はテルアイラだ」
「それで、ヴィルオンの何が知りたいんだ?」
「知っている事があれば全部だ。これから首都に潜入しなければならないからな」
「……冗談じゃないんだよな?」
「当たり前だ。国王直々の命だぞ」
「姐さん、本当に何をやらかしたんだよ……」
トルゲと名乗ったネズミ族の男は天井を仰いでいる。
国王の息子を半殺しにして放置したとか、言える訳が無いよなぁ。
「俺もこの仕事で色々な奴を見てきたが、姐さんみたいな人は初めてだぜ」
「まあ、色々とあるんだよ。気にしないでくれ。それで情報は無いのか?」
「そうだなぁ。ヴィルオン国が怪しげな動きをしているのは、最近結構耳にするな」
そこまで言ったトルゲが意味深な笑みを浮かべて私を見つめる。
はいはい。情報料って事ね。
西方銀貨を何枚か置いてやった。贅沢しなければ一月は余裕で暮らせる金額だ。
「へへっ、毎度あり! それにしても、姐さんは太っ腹だね」
「金額に見合う情報を頼むぞ」
「分かってるって」
それからトルゲにヴィルオン国首都の内部事情、内通者との連絡の取り方、獣人の娘が集められている施設がある事、屈強な獣人の男は剣闘奴隷としてコロシアムで戦わされている等の話を聞いた。
信憑性はともかく、どれもこれも初めて聞く話ばかりだ。
これは聞いているのと聞いていないのでは、作戦も大きく変わってくるぞ……。
「まあ、俺の知っている事はざっとこんなもんだ」
「それだけ聞ければ、かなり助かるよ」
「……なあ、本当に行くのか? 今、あそこはヤバいって聞くぜ?」
「国からの命令だ。断われんよ」
奪われたフェイミスヤの土地奪還もあるし、何よりも霊薬のレシピが欲しい。
それに連れ去られた獣人の娘が集められているとも聞けば、助けない訳にはいかない。剣闘奴隷の男達も解放すれば戦力になるかもしれないし。
「姐さん、死ぬなよ?」
「せいぜい頑張るさ。それに元から死ぬ気も無い」
私は固辞する店のマスターに迷惑料を支払い、酒場を後にしたのだった。