13.冬眠熱帯魚と指先の温度
「……熱帯魚みたいなのに、エラ呼吸じゃないんですね」
レイナードのマントの影から落ちた小魚は、サチカが預かり、ハンカチの上に乗せて連れて行くことになった。
全体的には銀色で、頭から尾ビレにかけてキラキラと光を反射する青いライン、腹側には朱色いラインが入っていてその対比が美しい。
魚には詳しくないサチカでも、一度は見たことがあるようなメジャーな熱帯魚に似ていた。
小魚はぴくりともせず、しかも水のない場所で大丈夫なのか不安に思ったが、動かないのは身体を巡る魔力を冬眠させる魔法で眠っているだけで、呼吸は浅く、間隔がとても長い。そもそも種族的にただの小魚とは違うので、水中環境でなくても問題はないらしかった。
キラキラと新鮮な黒目が開いたまま横たわっているので、まさか眠ってるとは思わなくて驚いた。
先程の蔦の森の手前で、足長ウツボカズラに怯えて動けなくなっていたところをレイナードが助けて、保護したのだと言う。
「あぁ、魔獣ーーいや、魔人を名乗っていた」
「……お喋りもできる子なんですね」
お喋りする魚とは……と思わないこともないが、第一層で出会ったミミタマ族の族長もふわふわ卵の姿で話していたことを考えれば、何の不思議もないのかもしれない。
ただ、食卓に乗る魚料理が急に話しかけてきたら怖いので、今度ナビィに聞いておこうと思った。
「おい、レイ。お嬢ちゃんに得体の知れない魔人を渡すなよ」
そのやり取りに、サチカを片腕に乗せるように持ち上げたヴァルターが顔をしかめた。
サチカが連れて行くということは、ヴァルターが運搬するということで、現状としてはサチカとポケットの中のミウと新たな小魚な魔人が彼の荷物になっている。
護衛という名の荷物持ちを任せる代わりに、レイナードが索敵を担っていて、危険が迫る場合には対処することになっていた。有事の際には素早くマントを外して行くとのことなので、その時が来たらサチカはマントの保管係を頼まれている。
ヴァルターに言われて少しだけ考えたレイナードは、それでもサチカに預けることに決めたようだった。
「どうやら勇者を探しているようだから、後で話を聞かねばならない」
「……それは素通りできねえか」
「あぁ、それに……」
言葉を切って、サチカを振り返る。
「君の方は見たことがないようだが、その魚の魔人は、君のことを知っているようだった。知り合いだろうか」
「えっ……?」
ハンカチの上に乗せた小さな魚を見下ろして、サチカは困惑を浮かべた。
海が見える場所。
それが、転移魔法陣を敷くための条件だった。
場所的には全てが海の底になるので、上を見上げれば必ず天井に海がある。
あちらこちらに膝くらいの高さの大きな珊瑚が色とりどりに生えていて、地面はゴツゴツとした岩や底の深い砂溜まりが点在していた。
サチカが歩いたのならば、それだけで難所となる悪路を探索者達は苦にもせず進んで行く。
数歩前を進むレイナードが足を止めれば、初めからそれをわかっていたようにヴァルターがサチカを下ろした。
「ここだな」
「あぁ、魔獣の気配も少ないし、転移魔法陣を敷くならこの辺りが良いだろう」
「お嬢ちゃんはここで見ててくれな」
サチカには他と代わり映えのない印象だが、何らかの条件で合意があったらしく、ふたりは頷きあった。
平たい珊瑚礁に座るように下ろされて、サチカは現場監督のような位置からふたりの作業を見守る。
膝の上に小魚を乗せたハンカチを広げ、ポケットの中で眠るミウをそうっと取り出して小魚の隣りに寝かせた。
ミウはすうすうと小さな寝息を立てて、小魚の方はぴくりともせずに横たわる。
動きのあるミウはまだ見ていて不安は少ないが、小魚の方は正直寝ているのか息絶えてあえるのか見分けがつかなくてちょっと怖かった。
刺激しないようそーっと背ビレを撫でると、微かにエラが動いてくれた。
「生きてるよね? 良かった。ミウたんも、よく寝てる……怪我が早く治るといいけど」
この世界では、人も魔獣も魔人も、眠ることで癒しが促進される。
それはサチカの今までの暮らしも同じで、睡眠は人の基本的な欲求だし、心と体の健康バランスには欠かせないもの。けれど、ここではその意味合いが少し違っていた。
(魔力酔いをしたなー君は寝て起きれば元に戻るし、創世の女神様のティアも普段は微睡んでるって言うくらいだから……きっと、寝るのはきっと良いことだよね?)
「場所は見つけた。今、レイが座標の目印を付けてる……ああ、そう。さっき偶然合流してな。お嬢ちゃんは……ヨハン、こっちに来たら念のため診てやってくれ。ーーえ? 顔料は銀の方が良い?」
少し離れたヴァルターがカードの遠話で海上の仲間に場所を伝えている間に、レイナードが腰に履いた長剣で地面に標をつける。
見える範囲での作業中でなら迷子になる可能性は低いとのことで、サチカはその青いマントから手を離していたが、握り締めたせいで少しだけ端に皺が寄ってしまっていた。
「ーーレイ! 魔法陣を描く銀の粉はあるか?」
「一袋ならある」
「サウルが、使うならそっちにしてくれって言ってる」
「了解した」
レイナードがキラキラと輝く粉を撒くと、不思議なことにそれは一度地面についてから旋風に乗ったように舞い上がり、天井に吸い込まれて消えて行った。
それを見届けて、ふたりがサチカの所まで戻って来る。
「……はじまったな」
ヴァルターの視線を辿ると、天井の海から一筋の光が差し込み、ぴたりと一点ーー先程レイナードがつけた標を捉えていた。
もう一筋、真っ直ぐに白い光が落ちてきて、最初の光の帯に連なる。一筋、また一筋と降りてくるそれは、天井から下ろされた光のカーテンのように広がっていく。ひらひらと揺れる様は風になびくレースのようだった。
「良い魔法陣だ。サウルは腕を上げたな」
天井を見上げたレイナードがそう呟く。
サチカはそれを聞いて、同じく頭上の海を見上げた。
ゆらゆらと穏やかな波間に差し込む光は、幻想的な光景で、知らずため息が出てしまう。
光のカーテンの縁がくるりと輪になると、円環に閉じた魔法陣の中に銀色の光が満ちる。
すると、次の光が降りてきて、今度は光のカーテンの外周をなぞっていく。通り過ぎた後には、不思議な模様を描かれていた。
光の向こうに人影らしきもの、それより大きな長方形の箱のようなものの影が映る。
じっと目を凝らしていると、銀色の光が強く瞬く。明滅しながらその光は長く強くなり、そして砕けるように四散した。
「……っ!」
眩しさにぎゅっと目を閉じるサチカの耳に届いたのは、いつの間にか聴き慣れた声。
「……サチカ!!」
「なー君!?」
眠るミウと小魚を乗せたハンカチが膝上にあって動けなかったが、もし自由に走れたのならサチカは突進して小さな案内妖精を抱き潰していたかもしれない。
再会はそのくらい嬉しくて、サチカは声に向かってめいっぱい手を伸ばした。
魔法陣の光が収まる前に一直線にサチカへと飛んできたのは、やはりサチカの案内妖精のナビィで、数時間ぶりなのに懐かしい彼は、変わらずに輝くような美少年だった。
透き通る翅を広げてサチカの目の前に来ると、手が届く少し手前でピタリと宙に止まる。
ナビィは主人の無事を確かめるようにざっとサチカの全身を見て、あちこち擦りむいたり打ち身があるヨレヨレの様子に金緑の目を細めながらも、一先ずは肩の力を抜いたようだった。
温かい小さな手が、精一杯伸ばされたサチカの人差し指をきゅっと掴む。
「……心配した」
「うん」
「突発的に走るな、次は行く前に言え」
「はい、ごめんなさい」
「遠話具と迷宮攻略の装備を買うぞ」
「うん、なー君と連絡取れる道具は欲しい」
「あと、やたらと靴を脱ぐな」
「うん」
「…………心配した」
「うん」
俯いたナビィの手をそっと引き寄せると、案内妖精は表情を隠したままサチカの肩に腰掛ける。
肩にかかる髪を踏みそうなったようで、サイドの髪を三つ編みにしてささっとまとめてくれるのは流石の手早さだった。




