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迷宮のクレープ屋さん  作者: あまみ
第二層
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11.救難信号と海下の逃避行

 濃藍の大きな瞳に涙をたたえて、いやいやと首を振るミウよりも、意志の固まったサチカは強かった。


「ミウたんが魔獣の卵に戻らないなら、わたしもここを動かないし、動けないよ」

「……!」


 ザクリ、トスリと不規則に降り落ちる蔦の槍が、サチカの爪先のすぐ近くに突き刺さる。息を飲んだミウが頭を起こし腕をつこうと身動いだ。

 ヒヤリと氷を飲み込むような怖さは消えないが、サチカはそれを意識の外に置く。


「……ミウたん、お願い」


 立ち上がれない程のダメージを負うミウが、泣きそうな顔で小さな卵の魔獣に戻る。

 サチカは急いでミウを両手に包むと、心から安堵の息をついた。


(この大きさなら、かばえるし、隙間から外に出せる)


 哀しみかそれとも痛みにか、くすんくすんと泣いているミウにはとても可哀想でチクチクと罪悪感が芽生えるが、それでも命には変えられない。



「……そうか、ここは生きる場所なんだ」


 異世界の迷宮は、ただ綺麗で不思議な場所ではなくて、ここを住処とする魔獣や魔人がいて、外から来る人間もいて、その外側の彼らにもそれぞれの暮らしがある。

 美味しいものがあれば、苦しいことも、幸せも争いも、みんな。


 乱れてしまったふわふわの毛並みを指でそっと整えれば、ミウの体温が感じられた。


 トンネルの出口は幾本もの蔦の槍に塞がれていたが、腕が通るくらいの隙間があり、サチカはその出口にぴたりと身を寄せる。

 手足をぎゅっと縮めて降り続く槍から少しでも身をかばう。そして、ミウを包んだ手はいつでも外に出せるようにした。

 蔦の森の外が安全かはわからない。けれど、万が一の時は、ミウだけでも逃さなければ。


 迷宮で生まれた魔人であるミウは、層は違えどここで生きていけるだろう。


「なー君は、……どうするのかな」


 案内妖精は、サチカのために遣わされたという。主人に何かがあった時の案内妖精の処遇をサチカは知らなかった。

 サチカの声に揺れた寂寥の色に、手の中からミウが大きな瞳で見上げてくる。


「仕事が終わりになって、ひとり気楽に過ごしてくれれば良いけどね?」


 不安そうな丸い濃藍の瞳に無理にでも笑いかければ、少しだけ身体が軽くなるようだった。

 けれどミウは、サチカの寂しさを的確に掴んだようで、微笑みに誤魔化されることなく、ふるふると指先に懐いてくる。

 ここにいるよ。

 声なき言葉が届いた気がして、サチカは自然と唇を持ち上げた。


「ありがとう、ミウたん。でも、もし守れなかった時には、ミウたんはちゃんと逃げてね? それから、女神さま……ティアにも謝らなくちゃ。美味しいクレープをもっとたくさん届けたかったな……生クリームたっぷりの、苺のーーひゃっ!?」


 突然、強い光がぶわりと広がりサチカは慌てて目を瞑った。




 その時に放たれた光は、真っ直ぐに蔦の森を突き抜け、天井の海をも過ぎて、第二層の空の果てにぶつかり散った。


 後に迷宮グランシャリオを統べる魔王をして、「苺と生クリームのクレープを食べたかった女神の暴走」と言わしめたそれは、第二層の層主が島ひとつをひっくり返したり、ひび割れかけた境界の補修に魔王と次期魔王が揃って駆り出されたり、王都の聖教会と大手の探索者ギルド連盟がこぞって調査に乗り出したりの前代未聞の大騒ぎになった一件だったが、サチカの目の前の変化としては、ただ光っただけである。


 けれど、その光は、蔦の森の上空にいる護衛の魔法騎士と、更にその上に広がる海の上の案内妖精に救難信号の役割を果たしていた。




 出口を塞ぐ蔦をかき分けて、にゅっと突き入れられた大きな手が、サチカを捕まえた。


「よし、見つけた! 怪我はないか?」


 肩に触れる頼もしい手と、護衛役のヴァルターの声に、サチカが顔を上げる。


「ヴァ、ヴァルターさん!!」

「おう、待ってろ、今出してやるからな」

「先に、ミウたんをお願いします。怪我をしてるの!」


 蔦の柵に腕をねじ込んで、まずは小さなミウを受け渡す。

 ミウはサチカから離れるのを嫌がって小さな手を伸ばしてきたが、ころりとヴァルターの大きな手のひらに避難させた。


 ふかふかして温かな体温が遠ざかる。

 優しい存在が離れて行ってしまうことへの自分勝手な寂しさにはぎゅっと蓋をする。けれど、少しだけ間に合わなかったそれと、ミウの安全が確保できたことへの安堵が混ざった気持ちが涙として、ころりと頬を滑り落ちた。



 ミウを受け取ったヴァルターは、すぐに蔦を破壊して人ひとりが通れる大きさの出口を作り、そこからサチカを引っ張り出す。


「遅くなったな、お嬢ちゃん。怪我は?」

「……だい、じょぶです。ありがとうございます」


 転んだり滑り落ちたりでくたびれた様なのは、彼らが分断される前から同じ。

 けれど、濡れた頬はヴァルターが間に合わなかった証拠だった。


「……っ、悪かった」

「え?」

「護衛なのに、俺はお嬢ちゃんを守りきれなかった。すまない」


 くしゃりと髪をかき混ぜて悔しげに唇を噛むヴァルター。


「えっ、そんなことないです。すごく、助けてもらいました」

「いや……足りてない。次があれば、いや、次を貰えるならば、挽回させてくれ」


 真剣な申し出にサチカが戸惑っていると、後ろから魔法騎士を呼ぶ声があった。



「ヴァルター」


 翼を広げた天馬からひらりと飛び降りたのは、紫銀の鎧の騎士だった。

 呼ばれて振り返ったヴァルターが、手を上げて彼を招いた。


「おや、君は」


 白金の髪の男性が、ヴァルターの影にいたサチカを見つけて目を見張り、同じくサチカもまさかの再会に驚きの声を上げた。


「あっ、こないだの……ええと、レイナードさん?」


 まだ真珠蜜の潮干狩りをしていた時に出会った、ギルド『名もなき』に所属する探索者の魔法騎士の青年だった。


「お嬢ちゃん、レイと知り合いだったのか?」

「知り合いというか、偶然会ったことがあって。あ!」


 大事なことを思い出して、ポケットに手を入れる。慌てた手で取り出した白い葉っぱをヴァルターに差し出した。


「ごめんなさい、これ!」


 卵の木の葉は、サチカ愛用のメモ帳だ。そこには、サチカの文字であの日にレイナードから預かった言付けが書かれている。

 彼の仲間が訪れた時に伝えて欲しいと頼まれていた言葉は、「西へ行く」と言うもの。

 慌ただしい中でのやり取りで気付けなかったが、クレープを食べた魔法士のサウルも『名もなき』というギルドを言っていた気がする。

 ここで再会したのだから、今いる場所はサチカがキャンプを張っていた小島の西側になるのかもしれなかった。


「何だこれ、新しい魔法陣か?」

「ふむ、解析してもいいだろうか」


 しかし、現地の探索者であるふたりには、真白い葉に、見たことのない模様が描かれているようにしか読み解けなかった。


「えっ、いえ、そんなただのメモで……あの、ごめんなさい。メモを渡すのも失礼でさしたよね、今更ですけど、伝言伝えましょうか?」


 慌て過ぎて失礼な態度を取ってしまったと思い至り、サチカは頬を赤く染める。

 伝言という単語に覚えのあるレイナードは、ゆっくりと首を振った。


「いや、合流のための伝言だったんだ。君のおかげで仲間に合流できたようだし、感謝しよう」

「あー、なるほど。レイが行き先を言付けてたってことか」

「あぁ、最初は誘拐された子どもかと思って声をかけたんだがーー」



 レイナードが説明をする途中で、バキリと乾いた音が聞こえた。

 音はサチカの後方、蔦の森から発せられたようで、サチカがびくりと肩を震わす間にふたりの探索者は素早く体制を整える。

 ヴァルターが横抱きにしたサチカごと森から離れた。


「仕留め損なったのか?」

「いや、残党だろう。足長ウツボカズラは数年前の大発生で、まだ数が多い」

「ったく、面倒な相手だよ」


 ヴァルターとレイナードは目も合わせずにそれだけの会話で方針を共有したらしかった。

 レイナードが天馬に跨り、ヴァルターは喚び戻した飛竜の背に収まる。


 バキィ! と大きな音が立て続けに起きて、こんもりとした蔦の森から、一際大きな蔦が鞭のように落ちて来た。

 弾き飛ばされた枝が飛び立つ飛竜の黒い翼皮膜を掠め、一欠片がサチカの頬に迫る。

 バチンと音を立ててそれを弾き返したのは、ヴァルターの手甲だった。サチカを守った大きな手のひらが、ぐいと頬の濡れた後を拭ってから離れる。


「さあ、お嬢ちゃん。海下の遊覧飛行にご招待だ。舌噛まねえように気を付けろよ!」


 ぐっと身体に圧がかかり、一声いなないた飛竜が海が揺蕩う天井目掛けて飛び上がる。

 青く揺れる海を頭上スレスレまで迫ってから、角度を変えて今度は水平方向に更に加速した。



(え、えええー!?)



 悲鳴を上げる暇もなく、サチカは海の下を飛ぶ事になった。

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