10.海色な空と蔦の槍
びりびりと肌が震える轟音。
蔦の森を薙ぎ払う光の帯は、指向性を持った雷だ。
空を覆っていた蔦は蒸発したように灰も残さず消え、眩しい光の後にはゆらゆら揺れる青い光が降りてくる。
それを見上げたサチカが驚きに瞬く前に、横から彼女を抱き上げたのはミウだった。
大きな布でくるんと包まれ、あっと言う間に新生児の抱っこ紐状態となる。
(空……じゃない?)
蔦の森の上に広がっていた青は、見慣れた空の色ではなく、それはまるでどこまでも大きく透明な水槽を隔てた海のよう。ゆらゆらと、波間に揺れる光を青く投げ落としていた。
そこを横切ったのは、紫銀色の人影と、鋭く伸ばされた蔦の影。
鞭のようにしなる蔦は、肉食な生き物めいた意志のある動きで人影を追っていた。
その数、無数。
「……っ、おい、何でこんなとこにいるんだ!?」
同じく上を見上げたヴァルターが焦った声を上げ、参戦しようと踏み出しかけて、ぐっと止まる。
周囲を警戒しながらいつでも跳べるように力を溜めるミウと、布でくるまれたままぽかんと頭上を見上げるサチカを横目に、まずは非戦闘員を逃してからだと息を吐いた。
「回避専念、走れるか?」
サチカの護衛役の魔法騎士の指示に、ミウがこくんと頷く。
ベビースリングのような布の中で膝を抱えたサチカには、防御専念が言い渡された。
ヴァルターは刃先を指で辿り、長剣に風の力を纏わせる。
剣を引き、脇に溜める。彼を中心にして立ち上がる魔法陣から、白い燐光が揺れた。
短い詠唱の後、真っ直ぐ放たれた刺突は竜巻を纏い、蔦の森に風穴を開けた。
長いトンネルの向こうの景色は見えないが、出口には青い光が満ちていて、蔦の森の終わりまで繋がっているようだった。
「……行け!」
それを合図に、ミウが溜めた力を解放して、勢い良く風穴へ跳ぶ。一瞬息が止まる程にかかる負荷が加速の勢いを示していた。
ザシュッ、と大きな音にミウの肩越しに後方を見ると、天井の穴から蔦が槍のように降り落ちていた。ヴァルターの長剣に切り飛ばされた一本が跳ね落ちると、端から滲む粘液がじゅわりと地面を焼き焦がす。
蔦の直径は大人の腕程もあり、その先端は矢尻のように鋭く尖っていた。こんなものに体を貫かれたら、人の体などひとたまりもないだろう。
それが、空から無数に降ってくるのだ。
「ヴァルターさん……!」
舌がもつれて、大きな声にはならなかった。
それでもヴァルターは気が付いたようで、サチカに見せるために頬に笑みを作り、流れるような動作で斬り払い、横に跳んで蔦の槍を避ける。
ドスドスと地面へ降り落ちる蔦が、檻のようにサチカとヴァルターを隔ててしまう。
一度も振り返ることなくトンネルを駆けるミウにしがみついて、サチカは胸が潰れるような恐怖に凍えて、震えを止められないでいた。
森に開けた風穴の入口を斜めに突き刺さった蔦の槍から、ざわざわと枝葉が伸び、空間を埋めていく。
退路を絶たれた魔法騎士は、鞭状にしなる蔦を避け、黒髪をひとつかき混ぜた。
「……護衛対象と分断されるとは、俺もまだまだだなあ」
そう溢して、ヴァルターは頭上で展開される雷撃の行方を見る。
薙ぎ払われポカリと空いた天井には、いつの間にか現れた白い翼の天馬と、それに騎乗した紫銀の鎧を身につけた男。ヴァルターにとっては、見慣れた姿だった。
男が剣を振り下ろし、正面から襲い掛かってくる蔦を雷で焼き払った。
決して苦戦している様子はない。けれど、蔦の槍は尽きる気配もなく繰り出され、天馬の翼を掠めていった。単機では防御に割かれて決め手に掛け、その歴然とした実力差から負けることはないものの時間がかかる様相である。
天馬とその騎手を狙う蔦は地面に向かっても降り落ちてくる数に比べるまでもなく膨大で、こちらへの初撃は彼らの交戦の流れ弾に違いなかった。
入口をこじ開けてサチカ達の後を追うのと、上の交戦に加勢して敵を断つのにかかるリスクは、どちらに天秤が傾くのか。
護衛役としてヴァルターが即座に選び取ったのは後者。
「ーーグラント、出番だぜ」
何もない空間を割いて、喚び声に応じ現れたのは、小型の飛竜。小型と言えども、軍馬に比べても一回り程も大きな黒竜だった。
魔法騎士を名乗るからには、契約の騎獣がある。
低く吠え、バサリと翼を広げた飛竜は、一気に加速して天馬の後ろに回り込んだ。
轟音を持って蔦を薙ぎ払う雷。
この魔法を使う程の魔法騎士は、この迷宮グランシャリオを擁する王都のギルドと言えど、そうそういない。
ヴァルターが知る使い手はただひとり、彼らが第二層で探していた男。何年も苦楽を共にした仲間のひとりだ。
「よう、こんなとこで何してんだ」
「……ヴァルター、ここで会うとは思わなかった」
「今回は偶然」
「そうか」
「それより、こいつは殲滅するぞ」
「わかった」
短い言葉のやり取りで互いに背を預ける。
ヴァルターの背後で今までにない強い魔法が敷かれていき、空中に白く輝く魔法陣が浮かび上がった。
ミウが大きく跳ねた後に、ザクッと蔦の槍がトンネルを貫いた。
ジュッ、ザシュと立て続けに落とされる槍は、サチカ達の場所を探るように、前に後ろに試し撃たれる。
槍の落ちる音がする度に、サチカは肩を震わせて悲鳴を飲み込んだ。
ミウの後をシュッと空を割いて、いくつもの細い蔦が地面を縫い止める。
「……、っ」
一本がミウの頬をかすめて、赤い線を残して行った。
体を捻って震える主人を守ったミウは、そのままのスピードで駆ける。速度を保つために片足ずつ地についてぎゅっと踏みしめる様は、つい先頃まで両足で跳ねていたとは思えない安定の速度だった。
後方で大きな魔法が展開されても、轟音が地面を揺らそうとも、ただ駆ける。
自分をこの世に取り出して、温かな手のひらに包んでくれた、その人を守るために。
青い光が満ちる出口までもう少しという時に、ダダダダダと連続して蔦が落ちてきた。
ミウの足元が、集中的に狙われる。
「……っ、……!」
右足の着地点を穿つ蔦の槍を辛うじて避けるミウ。トップスピードを保ったまま、槍の一瞬前を駆け抜ける。
しかし、獲物を追い詰める狩人のように、的確に出口を塞いだ複数の蔦に、サチカが息を飲んだ。
そのままでは正面から激突するところで、ミウはサチカを一層に抱きしめ、くるりと半身を捻って肩から突っ込んでいく。
ドンとぶつかる鈍い音。
首がしなる程の衝撃は、硬く抱き寄せられた腕とスリングでほとんど相殺されて、サチカはあまり痛みを感じなかった。
その代わり、詰めた呼気を吐き出すミウの口元から、鮮血が垂れ落ちる。
「っ、ミウたん……!!」
焦ったサチカが身動ぐと、その動きが痛めた個所に響くらしく、ミウがぐうと喉を鳴らした。
けれどその動きのおかげでスリングの結び目が解け、サチカの手足が自由になる。
縮こまったまま震えていた手足はほとんど言うことを効かないけれど、サチカはなんとかミウの体を横たえ、その顔を覗き込んだ。
「どこが痛いの? 息はできる?」
ふわふわの桃色の髪を乱したまま、ミウは答えられない。
言葉を使ったコミュニケーションは歩行以上に苦手で、人型であったとしても首を振ってイエスとノーを示すくらいが関の山だった。
痛みの場所など細やかな意思表示は、とうていできない。
けれど、もしその答えを貰えたとしても、こうして隣で手を握る以外に、サチカに一体何ができただろう。
鼻の奥がツンと痛んで、それ以上崩れないようにと急いで唇を噛み締める。
ザク、と槍が突き刺さる音が、どこか遠く聞こえる。
(できること……わたしを助けてくれたこの子のために、できること)
例えぎゅっと抱きしめて庇っても、小柄なサチカの身体では、ミウを覆いきれない。
ザク、ザクリと槍が突き刺さる音を今度は意識して遠ざける。
ミウの滑らかな白い頬に赤く血が滲んでいて、サチカの視界はとうとうじわりと歪んだ。
「ごめん、ごめんね、ミウたん」
睫毛から溢れた涙が、ぽつりと落ちた。
ミウの唇が何か言いたげに開いて、微かに吐息を溢す。
「……、………ぁ」
「うん、ミウたん? 何か言いたいの?」
「……サ……サチ、カ」
掠れた声は、ミウが発した初めての言葉。
それに名前を呼ばれて、サチカは心から微笑んだ。
ザクリと足の近くに突き刺さる蔦の槍なんて、まるで気にならなかった。
「……ミウたん、小さな姿になれる?」
尋ねると、ミウは体を起こそうとしながらこくりと頷いた。
「無理に動いちゃダメ。今度はわたしが守る番だよ」
遮られた出口は、しかしその隙間からサチカの拳ひとつくらいなら外に出ることができそうだった。つまり、卵型のミウならば通り抜けることができる。
ミウもそれは気付いていたらしく、ぶんぶんと首を横に振って拒否をするが、サチカはそれを聞き入れるつもりはなかった。
ミウたんやっとしゃべった、おめでとう。
そして十万文字達成おめでとう自分!.+:。ヾ(o・ω・)ノ゜.+:。




