9.妨げる蔦と若葉の探索者
道無き道を歩き、切り拓いて、迷宮にそして己に挑むことこそが、探索者の本分なのだ。
そんな言葉を遺した伝説の探索者がいると言う。
出発前にそれを教えてくれた魔法騎士は、伝説の探索者に倣うように、手にした小剣でバサバサと枝葉を払い道を作った。
サチカはその背を追いながら、蔓が絡まり隆起した障害物を乗り越え、よじ登り、這い降りて進む。
歩き始めて一時間ほどが経過しただろうか。
硬くザラつく蔦を強く掴んだ手のひらがズキズキと熱く、酷使した足の感覚は遠い。
青い光がチラチラと降る蔦の森を堪能する余裕なんて一筋もなくて、筋肉疲労から震え崩れそうな膝に両手を添えた。明日は確実に、未だかつてない筋肉痛となるだろう。
俯いた拍子に、顎先からぱたぱたと汗が滴り落ちる。
「……ぜぇ、……っ、は」
後方を警戒しつつ殿を務めるミウは、慣れない人型の足で歩行練習をしながら跳ねていて、度々サチカを追い越しそうになってはその場でぴょんぴょん足踏みをする。
息を整えるサチカの後頭部と小さくなるヴァルターの背を見比べて、迷うように首を傾げた。
「ごめ、……げほごほ、ごほっ……ご、ごめんねミウたん、すぐ進む、から」
蔦の森はみっちりと絡まるその密度のせいか、あまり風が吹かず湿度がじっとりと高い。
サチカは肌に纏わり付くような頬の汗を手の甲で拭って、また前を見る。
目の前で絡まる蔦の瘤は、サチカの腿より少し高いくらい。長身で足の長い魔法騎士には軽く跨ぎ越える程度で、小柄ながらも跳躍が得意なミウにとっては、妨げにもならない高さだ。
しかし、平和で便利な元の世界においても、平均的な同年代の子達よりだいぶニブイノロイで名を馳せたサチカにとっては、難関でしかない。
絡まり空を覆う蔦の一本を選び、ぎゅっと掴んで強度を確かめて、それを支えに手足を使ってよじ登り、足首を捻り兼ねない急角度の小さな足場を頼りに乗り越える天然のアスレチックコースになっていた。
「なんとか……乗り、越え……たっ」
最後はずり落ちていたがどうにか障害物を制し、また次の障害物までのデコボコした坂道を下る。
アスファルトで舗装されていない道を歩くのがこんなに大変なことだなんて、今まで思いもしなかった。
(徒歩で探索……ていうか、これはもう登山道を外れた難易度でフリークライミング的な要素たっぷりのアクティビティだと思う)
前を行くヴァルターには道を作る作業負担があるはずなのに、疲れた様子が見当たらない。それどころか、未知の場所の探索に上機嫌なようだった。
これが探索者の本分というのだから、迷宮に出入りする人たちの体力や運動能力はトップアスリート並かそれ以上か。
そしてそれは、サチカの後ろを任されて張り切っているミウにも言えることで、細い手足には軽い跳躍でぴょこんと瘤を越えてしまえるだけの力が秘められていた。
「……っわ!」
蔦を掴んだ右手がずりっと滑って、地面に顎を打ち付ける。
とっさに手を当てると、何かぬるりとした感触があった。
(あれ?)
顎に触れた指を見れば、そこは赤い血が滲んでいる。
打ち付けて切ったのかと思いきや、傷創は手の方で、指も手のひらも摩擦で傷つき、指の付け根あたりには今にも壊れそうな水疱ができていた。
転倒したサチカを心配してひと跳ねで側にきたミウが、その手を覗き込んで目を見開く。
「……!!」
声にならない悲鳴を上げて、サチカの腰をむんずと掴むと米俵のように肩に担ぎ上げて跳んだ。
「うやわっ、わ、ミうた、やわわわ!!」
不規則な跳躍の上下運動に舌を噛みそうになっているうちに、ミウは素晴らしい速さでヴァルターに追いついた。
「ん、どうした?」
振り返ったヴァルターは、ミウの慌てように眉を上げた。
ちょうど良くベンチの型で絡んだ蔦に座らされたサチカは、エレベーター酔いのようなくらくらした目眩に額を抑えようとして、泣きそうな顔をしたミウに手首を掴まれる。
サチカはとっさに反対の手でミウの頭を撫でてなぐさめよさとして、でも手のひらが汚れていることを思い出して踏み止まった。
「えと、大丈夫だよ。だから、ミウたん泣かないで?」
「……、…………」
へにゃりと眉を下げたミウはくすんと鼻を鳴らして、座るサチカの膝に額を押し付けた。
「少し、休憩にするか」
ヴァルターはそう言ってサチカの近くに胡座をかいて座り込む。長剣をすぐ手の届く位置に置いて、ベルトで腿に固定したツールポーチから水袋と軟膏を取り出した。
「えっ……?」
ポーチのサイズよりも明らかに大きな品物が出てきたことに目を見張ると、ヴァルターは笑って教えてくれる。
「魔法鞄だ。この口径に入るものなら出し入れできるが、これはさほど高価なものじゃないから、大した容量はない。こういうのを見るのは初めてか?」
「……鞄になったものは初めて見ました。でも、似たようなものなら」
思い出すのは、創世の女神がくれた玉葱テントの野営セット。あれは見た目サイズよりも大空間で、片付ける時には手のひらサイズの巾着になってしまうとんでもない品物だった。仕組みとしてはあんな感じかなと考える。
「でも、ひとつあると便利そうですね」
「迷宮に入る探索者は大抵使ってるぜ。すぐ取り出したい小物類やダガーとかの暗器を入れていることが多い」
一部物騒な物が入っているようだが、要するにポケット代わりなのだろう。腿に留めているのは剣帯との兼ね合いらしく、サチカが使うならウエストバッグのようなタイプがオススメらしい。
熱を持つ手のひらにぱしゃりと水をかけてもらい、冷んやりする軟膏を塗布した布で患部を覆うと、すーっと痛みが引いていくようでサチカは深く息を吐いた。
膝に懐いたまま心配して見上げてくるミウに、大丈夫と微笑みかける。
ヴァルターの応急手当ては慣れたもので、細く裂いた布をくるくると両方の手指に巻き、創傷の保護と予防を兼ねた簡易グローブのように仕上げてくれた。
やり方を覚えようと熱心に見学するサチカとミウに笑って、先輩探索者としての知恵を教授してくれる。
「治癒魔法も万全じゃないし、こうして孤立する場面もあるから最低限の治療薬と応急処置は覚えとくと良いぜ」
ついでに靴も脱ぐように言われて、借り物のブーツからそーっと足を取り出すと、こちらも悲惨なことになっていた。
「……!!」
水疱が潰れてぺろりと皮がめくれてしまっている踵は、生まれて間もないミウには衝撃が強かったらしく、濃藍色の瞳にみるみると涙が盛り上がった。むぎゅっと腰にしがみつくミウの頭を、今度こそ撫でて慰める。
「あー、やっぱりか」
「えと、その、ごめんなさい……」
「いや、痛かったよな。気付くのが遅れて悪かった」
ヴァルターは大きく息を吐くと、先程と同じように応急処置を施していく。
「これは俺の考えが甘かった。あんな柔らかい足してんのに、裸足で慣れない靴履いたら、靴擦れも起こすよな」
だけど、と護衛役の魔法騎士はサチカの目を真っ直ぐに見る。
「異変があれば教えてくれ。護衛対象の状況把握は、万一の時を左右する」
ぐっと真剣になった声音にサチカは声もなく頷いて、もう一度、ごめんなさいと小さな声で呟いた。
立ち上がりついでとばかりにヴァルターの大きな手のひらがサチカの頭をぐりぐりと撫でて行く。
「まぁ、そう落ち込まず、子どもはこっから鍛えて学んで、力を付けていきゃいいさ」
「……あの、頑張ります」
きょとんとひとつ瞬いて、どこから返事をしたら良いかと迷いつつも、サチカは一番大事な部分を優先した。
サチカ自身、この異世界の迷宮を歩くには、体力も何もかも足りていないことに、たった一時間の徒歩で思い知らされている。
(子どもの扱いが上手というか、堂に入ってる人だなあ)
撫でていく手のひらがさらりとしていて嫌味がないのだ。
見たところ二十代後半くらいなので、もしかしたら歳の離れた小さな兄弟がいるのかもしれない。
サチカを撫でた手に威嚇の眼差しを送っているミウの頭も、ヴァルターは笑いながらかき混ぜていった。
「あれ、でもそしたら、わたしはいくつだと思われて……?」
「ん? そういやお嬢ちゃんは、いくつなんだ? 新米探索者のようだが、そんな小さいのに魔人と妖精を連れて屋台を出して……って、かなり不思議っ子だが」
「小さいって言っても、わたしーー」
サチカが答える途中で、ヴァルターが長剣に手をかけ、ミウがぱっと立ち上がる。
「剣戟、それから魔法攻撃の音もするな……近づいてくる」
その途端、ドン、と地面を揺るがす轟音が響き、サチカは両手で口を押さえて悲鳴を飲み込んだ。
びりびりと地を這うような音は、遠い落雷。しかもそれは、天候による自然現象ではなく、人為的な突然さがあった。
つまりは、誰かが放つ攻撃魔法の余波。
先程までの朗らかさを消し去った魔法騎士は、音もなく長剣を鞘から抜き放った。




