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迷宮のクレープ屋さん  作者: あまみ
第一層
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2.現在地と女神の願い

「案内って、どこへ? ……ですか?」


 迷ってから語尾に敬語を付け足して尋ねると、尊大な態度の案内妖精は意外と気さくにどこへでも、と答えた。

「この迷宮の中ならどこへだって、行きたい場所に案内するぜ」

「……めいきゅう」

 迷宮とは? と疑問を抱くその間に、案内妖精の説明は続いていく。


「踏破しようと思えば数年かかるが、こっちには女神の揺り籠があるしな」

「……めがみ」

「俺の魔法でも結界は張れるけど、安全性は格段に揺り籠の方が上だ」

「……まほう、けっかい」


 うまく質問を挟めないのは、彼の説明が早過ぎるのではなく、サチカの思考と行動がワンテンポずつ緩やかなせいだった。聡い案内妖精はそのことに気付いて、続きの言葉を仕舞い、サチカの目をじっと見つめる。


 ぐるぐると疑問が巡って、言葉になるのを待つことしばし。


「あの、ここはどこですか?」


 驚きと不安が半々くらいの分量で胸を苦しめる。じんわり涙目になったサチカに、案内妖精は先行きの困難さを見て溜息をついた。


「そこからかよ」




 案内妖精の説明によると、ここはグランシャリオと呼ばれる迷宮で、現在地は第一層の特別区。創世の女神の息吹が色濃く残る聖域らしい。


 最下層には魔王が棲むとも言われ、数十層にも渡る広大な迷宮は、そのほとんどが人が足を踏み入れていない魔獣達の領域だ。

 迷宮の入口は、近隣を治める王国が管理しており、探索者と呼ばれる人々が、迷宮特有の魔法素材を集めたり、増え過ぎた魔獣が外に溢れないよう討伐をしているとのことだった。


 聞きなれない単語が増えてしまった。

 その中でも取り分け不穏なのが、

「……まじゅう」


 順応力が高い案内妖精は、サチカの小さな呟きを逃さず拾って説明を加える。

「第一層にいるのは低級の魔獣だな。サチカ、戦闘経験は――」

 驚きに目を見開き、必死で首を横に振るサチカ。戦闘経験の有無なんて、尋ねられた経験すらない。

「悪い、聞くまでもなかった。皆無だな。じゃあ、安全対策から取り掛かるぜ」


 よくわからないけれど、否、よくわからないからこそ、身の安全は第一だろう。

「……はい」

 神妙に頷くサチカに、案内妖精はピシリと指をつきつけた。指し示す先は、サチカが膝に大事に抱える小豆色のスニーカー。

「まずは、靴を履け」

「うわ、はい!」


 万が一の時に逃げることもできない状態なのは安全対策として悪手だと指摘されて、慌てて靴を履き案内妖精に促されるまま広場の中心に立つ。


 次の対策は、案内妖精が案内魔法なる不思議な技で用意してくれるらしい。

 丸く開いた森の天井からは、春の麗らかな陽射しのような光が降り注いでいた。広場の中央に立つと、葉陰の淡い緑の対比もあって、光の鮮やかさが明確になる。柔らかく温かな光が、じんわりとサチカの全身を包み込んだ。


 案内妖精が指先で空に何かの模様を描くと、空を見上げたサチカの足元で、ふかふかの下草が1本、淡く桃色に輝いた。色は両隣の葉に移り連なって、真円の聖陣を描く。

 瞬きの間に消えた光の残像を捉え、案内妖精が満足気に頷いた。


 ふわふわと周囲を舞う真白い光の粒が、サチカの髪を滑り落ちると、肩から垂れる一束が淡い桃色に染まる。

 温度のない雪のような光はサチカの頭や肩に触れて、ぽわりと桃色に光っては淡く溶けていく。

 このまま光を浴びていたら、肩から滑り落ちたひと束と同じように、髪が綿菓子みたいな甘い色合いになってしまうかもしれない。もしかしたら、見えないだけで顔も染まっているのだろうか。

 サチカは案内妖精に助けを求めた。


「あの、私の頭、ピンクになってませんか?」

「なってるな」


 案内妖精の目には、淡い桃色の髪をしたサチカの姿が映っている。その優しい色合いは、スローテンポの彼女のふんわりとした雰囲気によく似合っていた。


「えっ、顔は? 顔も!?」

 ペタペタと肌を触っても、そこには少し冷えた頬があるだけで、色の違いはわからない。

 案内妖精はフ、と笑って、心配はいらないと教えてくれた。

「髪だけだな。その色は女神の力の欠片みたいなもので、取り出した揺籠に移るから気にすんな」


 とりあえず顔は無事だとわかり、ほっと胸を撫で下ろす。

 揺り籠と言うと、籐で編まれたベビーベッドを思い浮かべたが、この世界にサチカが知る動植物と同じものがあるとは限らない。


 サチカは、この幻想的な森は異世界だと、心のどこかで理解していることに気が付いた。

 朧げな記憶に、誰かと交わした約束があるのだ。


「じゃあやるぞ」

 案内妖精の指示に従い、サチカに指を揃えた両手を緩く丸めて、水を掬うように持ち上げる。


 そのまま静止するよう手で合図して、案内妖精は甘い声で歌い出した。

 少し高めのテノールが祈りの音色を紡ぐと、丸く開いた空から鈴の音が落ちてくる。柔らかな鈴音は初めからある譜面をなぞる伴奏のように、ぴたりと歌に寄り添った。


 短い聖句は、眠りの淵で世界を護る創生の女神を讃えるもの。

 聞いたこともない異国の言葉なのに、なぜかすんなりと意味が入ってくる不思議な歌だ。


 サチカの手に、光の粒が降り積もる。

 白い光は、今度は彼女を桃色に染めることはなく、器にした手の中に留まった。ひとつ、またひとつ光が溶けて重なって、鶏の卵より一回りほど大きな長球になる。


「……たまご?」


 薄い桃色の地に、藤色と瑠璃紺をした雲母のような煌めきが揺れているので、見た目としては希少な鉱物のようでもある。見ている間にも雲母がくるりと翻って表面を滑り、薄桃色の上を夜空の色で覆っていった。


「よし、上出来」

 聖句を歌い終えた案内妖精が満足の笑みを浮かべてから、サチカを見ておやと眉を上げた。

「少し残ったか」

 サチカの右耳の辺りに、女神の力の欠片とも言える薄桃色の一房を見つけたのだ。


 しかし、ただでさえ情報過多で混乱気味のサチカにそれを指摘すれば、表面上は静かに混迷が深まるだけなので優先順位を下げておく。

 後から思えば、この時に対処すれば第一層の時点からやっかいなモノに遭遇することはなかったのだが、割れ物風の卵を持って目を見張っているサチカにしてみれば、とてもありがたい配慮だった。


「あの、これが揺り籠? ……ですか?」


 思い描いていたベビーベッドとは全然違っている。

 小さな卵をそおっと両手でくるめば、確かにそこにあるのに、まるで重さを感じられないのが不思議だった。もしも卵であるならば、どんな味なのか想像もつかない。


「それは、創生の女神の夢に繋がる聖物で、――まあ、動力源になる」

 また沢山出てきた知らない単語に目を白黒させるサチカを見て、案内妖精はざっくりと情報をまとめていく。


「ほら、見ろよ。女神の夢から、揺り籠が取り出される」

 視線を手の中の卵に戻すと、それは夜が明けるように瑠璃色から薄桃色に色を変えていた。卵はサチカの手からふわりと浮かび上がり、内側から柔らかな光を放っていく。

 聖域にシャランと澄んだ鈴の音が響いて、空を漂う光の粒が舞い上がる。奇跡のような美しい光景に、サチカは息を飲んだ。


 こんな奇跡に触れるのは初めてのはずなのに、放たれる光をどこかで見たことがある気がした。

 直視をはばかる神秘的な光は他を圧倒するほど強いのに、眩しさで瞳を射らず、波紋のようにひたひたと広がっていく。

 シャラリ。シャララ。

 空から降り落ちる鈴の音に似た声が、あの時、サチカに「お願いがあるの」と微笑んで――



 それは、約束を交わした時。

 グランシャリオで目覚める少し前のこと。

 美味しいクレープが――



 ワンテンポもツーテンポも鈍いと評価されるサチカが、迷宮グランシャリオにいる理由を思い至った時、重なり響く鈴音に招かれて、柔らかな下草の上に揺り籠が現れた。


 森の中、スポットライトを浴びるようにして鎮座したのは、1台のキッチンカー。


 ころんとしたクラシカルな丸い顔の自動車は小型のワゴンタイプで、車体は二色に塗り分けられていた。屋根を含めた上部がとろりとした白色で、車体の下部は灰色がかった上品な桜色をしている。


「……ゆりかご?」

 ていうか、どう見ても車である。

 名称と現物のあまりの落差。幻想的な場と現実感あふれる品物のギャップに、早々にくらりと来たのは、とろいサチカにしては表彰物の素早い反応だったのかもしれない。



 ――お願いがあるの、美味しいクレープが食べたいの。


 

 サチカが思い出した創生の女神のお願い事は、そんな言葉だった。

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