7.臨時護衛と水のシャンデリア
遅くなりました。
ぴしゃん、と水滴が跳ねる音がした。
目を開けるのが億劫で、サチカはそのままぼんやりと音に耳を傾ける。
「……あぁ、おじょ……の…………まだ……」
低い声。誰かの話し声。
ぴしゃんとまたひとつ水滴が跳ねて、サチカの頬にも飛沫が飛んだ。
(冷たい……あ、もふもふ……?)
濡れた頬を拭うのは、柔らかな毛並み。自分よりも高めの体温は、小動物のそれに似ていた。
柔らかくて、温かで、そのまま微睡みたくなるような……再び眠りの淵に包まれながら、このふかふかの毛並みに馴染みがあるような気がした。
(ちっちゃくて、ふかふかで……円な、瞳の)
あ、と気がついたのはその時。
「ーーみうたん!!」
弾丸のように飛び出して行ったミミタマ族の名前を呼んで、がばりと起き上がったサチカの隣、小さな毛玉の卵がコロリと転がる。
それを見た黒髪の男が、ほっとしたように笑みをこぼした。
「起きたか。お嬢ちゃん、怪我は? 痛むところはないか」
低い声は、先程から聞こえていたものだった。ヴァルターという名の彼は、高波が襲って来た時に、確か一緒にいた魔法騎士だったはずだ。
「ヴァルターさん……? はい、怪我はないです」
小さな垂兎耳卵を大事に手のひらに納めて瞬くと、ぽかんと辺りを見渡した。
ぴしゃんと水が滴る豪奢なシャンデリアには、淡い光が灯されていて、室内を緩く照らしていた。
そう、室内である。
「わたし、島にいたはずじゃ……?」
第二層に来てすぐに採取場とした小さな島にいたはずで、最後の記憶は迫る高波……どこかへ流されていたとしても、浜辺に着きそうなものだが、目覚めた場所はアンティークな雰囲気の家具がある一室だった。
天井近くの高い位置までガラスで覆われた掃き出し窓には、シアー素材ながらドレープの重みが美しいカーテンがかけられ、ゆらゆらと揺れながら差し込む青い光の陰影を室内に投げかけている。
(お城の一室とか、高級ホテルのスイートルームみたい……でも、どこか寂しい感じ)
それは、人の住む気配がなく、どこか埃っぽい空気からの印象だろう。よく見れば調度品は薄く埃を被っていた。
サチカが寝かされていたのは、そこだけ綺麗な座面をした少し硬めのクッションのカウチソファで、跳ね起きた勢いで半ば床に落ちかけた大きな上着に足を包まれている。
膝掛けがわりにされた上着は、おそらく高波の時に一緒にいたヴァルターのものだろう。床に落として汚してしまわないよう、そっと持ち上げた。
「意識はしっかりしてるようだな?」
上着の持ち主は、ほんの数歩で近づいて、サチカの手にある上着をまた膝にかけ直してくれる。
野生味のある凛々しい顔立ちだが、笑えば少年のような雰囲気もあって、不思議と人を警戒させない笑顔だった。
ヴァルターは膝をついて目線の高さを合わせると、サチカを安心させるようにぽんと頭を撫でる。目の前で立てた人差し指をゆっくりと左右にスライドさせた。
「この指が見えてるか? ……ん、よし、眼球運動も正常ぽいぜ。あとは何を確かめる?」
突然な会話の流れに、何のことかわからずにまじまじと彼を見ると、ヴァルターは左手に持った小さなカードに向かって喋っていた。
首から伸びるチェーンの先にある透明なカード。
(あれ、どこかで見たことがあるような……?)
サチカがぼんやりと記憶を掘り起こしていると、驚くことにそのカードから小さな声で返答があった。
「……なら大丈夫だろう。こっちは…………」
「あぁ、わかった」
サチカにはよく聞き取れなかったが、ヴァルターには問題ないらしく、その声に頷いている。
電話みたいなものだろうか。別の場所にいる人と会話をしているようだった。サチカが目覚めた直後に聞こえた声も、このカードの向こうの誰かとの会話だったのだろう。
やがて、話がひと段落したらしいヴァルターが、サチカにカードを差し出した。
「お嬢ちゃんも話してやってくれ。あっちで使役妖精が心配しているようだ」
「しえきようせい……あっ、なー君!?」
使役妖精の単語ではすぐにピンとは来なかったが、サチカの仲間の妖精と言えば、一人しかいない。
「なー君、なー君無事ですか!?」
カウチソファから身を乗り出して、目の前のカードに話しかける。だがカードからは何の返答もなくて、案内妖精の安否が不安になった。
サチカは困りきった目でヴァルターの顔を見る。
「カードに触れてみな」
言われて指を伸ばせば、ざわざわとしたノイズが聞こえ始めた。
接触型スピーカーなようなものらしく、何となくこれで繋がった感じがしたので、サチカはカードに顔を近づける。
「もしもしなー君? 聞こえる? こっちの音は聞こえますか?」
「……える。聞こえてる」
「なー君!!」
「……無事だな、サチカ」
「うんっ、みうたんも一緒だよ。なー君は? そっちは大丈夫?」
「こっちは、おまえ達が消えただけで他には何も起きてない。アホミウは後で叱ってやるが、今は無事ならそれでいい」
手の中のミウがぴょこんと小さく跳ねた。会話に参加したい気持ちを表明しているのか、参加しているつもりなのか。どちらにしても可愛らしい仕草にサチカは心を和ませた。
少し雑音が被さるもののいつも通りのナビィの声に、強張っていた肩の力が緩む。
高波の正体は、打ち捨てられた転移魔法陣なのだという。
第二層に頻度高く出現する彷徨う廃棄魔法陣の一種で、高波の形で人を襲い、全く別の場所へ連れてきてしまう。新米探索者のパーティでは、戦力の分断を余儀なくされ、ここで挫折する探索者も多い難所のひとつだった。
ヴァルター達が持っているような遠話の魔道具があれば合流の相談も可能だが、これは高価なため低層を攻略する探索者にはそうそう持ち得ないものらしい。なので、通常は緊急脱出の魔法転移陣を使って迷宮の外に脱出するのだが、勿論サチカにはそのような備えはなかった。
「すみません…….」
「まあいいってことよ。合流できるまでは、俺が臨時護衛をするから任せときな」
ヴァルターはサチカの頭をぐりぐりと撫でて笑った。
サチカ達も魔法陣に強制的に移動をさせられ、ここに来たのだという。
先程サチカが受けた眼球運動の確認は、転移による魔力酔いの影響を見る簡易診断のひとつだった。転移に慣れない人や魔力保有量が少ない人は転移後に魔力酔いをしやすく、今回の突然の転移は経験豊富な探索者であるヴァルターですら多少の酔いを引き摺るほどのものだったので、サチカの体調に皆の懸念が集まっていた。
しかし、幸いなことにサチカは世界を隔てる何らかの壁を超えた異世界転移経験値があり、魔力保有量も豊富、この程度の距離では魔力酔いなどまるでない猛者だ。
知らない場所に放り出された不安と緊張で表情は優れないものの、不調はなくけろりとしてた。
「ここは、どこなんでしょう?」
「さっき少し見回ってみたが、空き家になった誰かの屋敷のようだな」
他の部屋もここと同じく人気がなく、しかも水浸しの廊下や部屋が多くあったという。
浸水の正体は、あれだとヴァルターは指先を上に向けた。
そこには、ぴしゃんと小さな雫を落とすシャンデリアがあるばかりで、サチカは首を傾げる。
「ほら、上から水が落ちてきてるだろ? シャンデリアの一部らしいが、それが崩壊して浸水したんだ」
この部屋でも少しずつ水滴が落ちてくるのは、天井に吊るされた雫型のシャンデリアが傾いているせいらしい。このシャンデリアは魔法を使って本物の水滴を繋げているのだが、手入れがなくなって傾いたせいで、時折小さな雫が切り離されて落ちてきているのだった。
ヴァルターは仕組みはよくわからないと前置いて、小さな木の実のようなものを指で弾きシャンデリアの雫を打ち落としてみせてくれた。すると確かに、ばさっと水の塊が落ちてきて、サチカとミウは目を見張って驚いてしまう。
この水のシャンデリアは、第二層でしか固定されない魔法の品であるらしいので、今いる場所が第二層であるのは間違いないが、サチカ達がいた島からどれだけ飛ばされてしまったかはわからない状態だった。
それについては、案内妖精と一緒にいる魔法士のサウルの声が、触れるカードから発せられた。
「座標の特定が極めて難しい。転移魔法陣の渦は捕まえたが、半ば壊れかけているようだ。解析と復元を進めているが、座標適合率は七割行けばいい方だろう」
淡々とした口調はすでに解した数式を読み上げるようで、専門的な単語も相まってサチカにはさっぱりわからない。
こんな時に頼りになる案内妖精の解説も届く距離になく、どうしたら良いのか決めかねていると、手の中のミウが慰めるようにふかふかの毛並みを指に押し付けてきた。
サチカの反対側から透明なカードの端を摘んだヴァルターがぐしゃりと黒髪をかきあげ、端的に問うた。
「つまりは?」
「つまりは、合流点を他に移すべきだ」
水害に遭われた皆さんに、一日も早く日常が戻りますようお祈りします。
次回は早めに更新します。




