6.人材勧誘と海の転移魔法陣
彼は、サチカの両手をぎゅっと握り、かき口説いた。
「君が欲しい」
魔法士らしく詠唱で鍛え上げられた低く迫力のある美声に切実さが滲む。
冷たくみえる瞳が相手の心の全てを暴き鷲掴むような強さと熱で、ひたむきにサチカを覗き込んだ。
(あ、青い)
サチカは手を引かれてカウンター越しに身を乗り出す形となったまま、少し高い位置にある魔法士のサウルを見上げた。
言われた内容よりも、近くにある深い瞳の色に気を取られてしまう。
「初めてだったが、これこそ俺が求めていたものだと気付いたんだ。もう、クレープがない暮らしは考えられない」
普段は強く冷たい青い瞳が、切なく伏せられる。
それは胸をぎゅっと掴まれるような儚さで、見ている者の同情を誘った。
「一日の販売数に定めがあるのなら、連日買おう。君の作ったものを毎日食べたい」
日頃の冷淡さをかなぐり捨てて募る思いの丈を語る仲間の姿を唖然と眺めていたヴァルターが、むず痒いような居心地の悪さに眉を下げた。
「おいおい、毎日手料理食わせてくれって言い出したぞ。あれってもう求婚の域じゃねえか?」
「……ヴァルター、揶揄うのはやめてください。見たところ、彼女はまだ子どもでしょう。せめて専属契約か雇用……はぁ、サウルはまた、目的のために手段を見失いましたね」
苦笑を浮かべ、ヨハンはカウンター脇の案内妖精に謝罪を入れる。
「申し訳ない。君たちの店主には迷惑をかけます。でも、無体を働く男ではないので安心してください」
「なんかあれば、俺らが力業で止めるしな」
目礼をする司祭とからりと笑う魔法騎士を横目で見て、ナビィは魔法士の男の口説き文句に目を白黒させているばかりのサチカに注意を戻す。苦く歪めてもまだなお美少年顔で腕を組んだ。
「嫌がることをするなら、容赦しない」
隠せない苛立ちで語気が荒れているが、幸いなことに彼の主人には気付かれていない。
そして、どんな場面でも主人の選択を妨げることのない案内妖精は、同じく苛立ちのボルテージを上げて反復横跳びを始めたミウを野放しにすることにした。
垂兎耳卵はヤル気に漲っているので、彼の分までしっかりとやってくれるだろう。
表現が段々と逸れてきて、まるで告白まがいになってきているものの、魔法士が望むのは、毎日食べる分のクレープの購入だ。
しかし、サチカはこの迷宮で食材を集めて美味しいクレープを作ることを生業としていて、その道はほんの少し前に始まったばかり。
まだ食材の揃えは少なく、生クリームも苺もバナナもチョコレートもないので、それを求めて迷宮を旅しなければならない。
それがサチカをこの迷宮に招いた創世の女神の望みで、美味しいクレープを作りたいサチカの望みなのだ。
そして、クレープを一日一枚しか販売しないのにも理由がある。
それは、サチカが作るクレープに、微弱ながら進化を促す祝福が込められているための販売制限だった。
「あんまり魔人が増えても迷宮のバランスが崩れてしまうからね」
というのは、この迷宮グランシャリオを統べるカフェラテ色の魔王の言葉である。
女神による調整で、サチカの祝福の手の効力は抑えられているものの、クレープを暴食すればその影響はまだ計り知れないのだ。
なので、日々を共に過ごす案内妖精など一部例外があるものの、基本的に一般販売は一日一枚までとなっていた。
それをうまく説明できるなら、サチカはとろいのろいにぶいの三拍子揃った状況から脱出していたことだろう。
あの、そのと口籠もりながら、握られた手をそーっと引き抜こうとするサチカに、引き留める魔法士の言葉には更に熱が入る。
「迷宮を出たら俺達のギルド『名もなき』へ……いや、俺の家へーー」
ぷちんと、堪忍袋の緒を引きちぎったのは、ミウだった。
ぴこぴことカウンターを跳ね歩いてサチカを背に守るように立つと、小さく跳ねて魔法士の腕に軽く頭突きを仕掛ける。
「……っ!?」
「みうたん?」
ミウの丸い目がキラリと光った。驚いてサチカを捕らえる手が緩んだ所への攻撃が本命なのだ。
小さな毛玉卵は薄桃色の毛を逆立ててぎゅうと縮んで力を溜めると、大事な主人を拐おうとする不届き者目掛けて弾丸のように飛び出した。
跳躍は短く、ただ早かった。
ビュン、ボスン。
「う、ぐ!?」
サチカの目には、魔法士がぽーんと空を飛んだようにしか見えなかった。
瞬く間に白い砂浜を飛び越して、エメラルドグリーンの海にボチャンと落ちて、凪いだ海に大きな水しぶきが上がる。
「おいおいおい……あの小せえ卵、意外とえげつない攻撃力あるな」
「サウル、意識ありますかね?」
同じ方向を見る魔法騎士と司祭は、ちょっと引き気味だ。
ミウがいたはずのカウンターには何の姿もなく、何が起きたかまだ理解しきれないサチカはナビィの顔を見る。
案内妖精は満足気に笑って、ぴっと海の方角を指した。
「え、え、みうたんも海に落ちたの!?」
「悪いな、あんたらの仲間を海に落として」
「いえ、あれはこちらに非がありました」
「しょうがねえなあ、回収してくるか」
肩を竦めて歩き出したヴァルターの横を走って追い越したのは、サチカだった。
「あ、サチカ、待っ……あーもう、普段鈍いくせに、こんな時ばっかり動くやつだなあ」
ナビィの声を背に、サチカはパタパタと駆けていく。
「だって、なー君、あんな小さな子が海に流されたら、見失っちゃうよ!」
足首まで海水に浸かる波打ち際で、水が入って重くなったコックシューズを脱ぎ、躊躇いもせずそのまま裸足で進む。
緩いながらも寄せては引く波と、もろもろと崩れる砂に足を取られて転びそうになりながら膝まで海に入ると、ぷかりと水に浮かぶローブの上に小さな毛玉が跳ねているのが見えた。
「みうたんー!」
呼び掛けに応えてぴょこぴょこと跳ねているので、どうやら無事らしい。安堵でへたり込みそうになる。
けれど、浮き島代わりにされているローブは、おそらく魔法士のもの。ミウに飛ばされた彼は無事なのだろうか。
ローブの浮き島は小さな波に揺れるばかりで、生き物らしい自発的な動きは見当たらなかった。
その様子にさあっと青ざめたサチカの肩を大きな手が引き留める。
「お嬢ちゃん、ちょっと待ってな。第二層とはいえ、丸腰じゃ危ないぜ」
苦もなく追いついてきたのは、ヴァルターだった。
泣きそうになったまま長身の魔法騎士を見上げると、彼は特に慌てた様子もなく朗らかに笑った。
「小せえ卵の魔獣は元気そうだし、サウルも、あれでくたばるような柔な鍛え方はしてないから大丈夫だろ」
「でも、動けないみたいで……早く助けないと!」
「うん、引き揚げるにしても、お嬢ちゃんの手には余るが、俺は力があるから問題ない。だからここは任せとけ。な?」
「……はい」
「よし、いい子だ。浜辺に戻ってな」
完全な子ども扱いでぽんと頭を撫でられてしまい、サチカは目をぱちくりとする。
それでも言われた通りに砂浜へ戻ろうとしたところで、ザパンと立った大きな波音に目を見張った。
それは、突然のことだった。
エメラルドグリーンに光る、美しい壁が目の前に現れたと、そう思った。
幻想的に透ける光さえも淡い緑に染めて、壁が落ちるーー否、波が砕ける。
ザパン。
サチカの背丈をゆうに超えた波は、容易く彼らを飲み込んだ。
波を引き裂いて飛び込んできた薄桃の毛玉と、大きな手に引き寄せられたのを最後に、全てがエメラルドに染まった。
「サチカ……!!」
目の前で高波に主人を拐われた案内妖精が、海へ翔ぶ。
海は、先程の高波が嘘のように穏やかに煌めいていた。
しかし、注意して探れば、水底に大きく渦を巻く魔力の痕跡があった。ナビィは腕を大きく一振りして、消えようとするその渦を捕まえる。
「ちっ、これは強制転移か!」
舌打ちをしたナビィに、追いついたヨハンが助力を申し出た。
「そのまま捉えておける? 今、サウルを起こすから!」
ヨハンは濡れてまとわりつく司祭の長衣を乱雑にさばきながら意識のない魔法士の襟首を引いて救助すると、力業の勢いで治療魔法を叩き込む。
ごぼっと咳き込んで目を覚ましたサウルに有無をいわせず、転移の痕跡をこじ開けるように告げた。
「は、強制転移陣?」
「早く! ヴァルターと女の子が巻き込まれた!」
「っ、それを先に言え!」
魔法士が低い詠唱で世界を震わせると、ナビィが無理矢理捕まえていた魔力の渦は、じわじわとその形を現して、やがて銀色の光で描かれた魔法陣になった。
しかし、二重の円環で綴られるべき行き先を示す一部は、インクを流したように滲んでいてまだその全容を明らかにはしていない。
「まだ待てよ。今入ったら、どこへ転移させられるかわからないぞ」
今にも主人の元へ飛び込みそうな案内妖精に、サウルが注意を告げる。
海の底に沈む魔法陣がその行き先を結ぶまでには、もう少しの時間が必要だった。
「……わかってる」
けれど、不安と心配は拭えない。
ナビィは創世の女神にサチカの無事を祈りながら、転移の行く先にじっと目を凝らした。




