4.試食販売と青い指輪の人魚
ざざんざざんと波音を背景に、サチカはローブの人物と対峙する。
じっとこちらを観察している様子に、努めて笑顔を返した。
購入を迷うお客様は古今東西異世界変わらずにいるので、クレープ屋さんでアルバイト経験のあるサチカはその対応にも慣れている。道行く途中で漂ってきた甘い香りに気づいてしまったその時点で、すでに八割方勝敗が決まっているのだ。
最後の一押しに、サチカは奥義を切り出すことにした。
それは、すなわちーー
「試食、してみませんか?」
店頭試食販売である。
じゅわりと鉄板にクレープ生地を落として手早く作るのは、ほんのり甘くてもちもち食感の薄い生地だ。
その生地が熱々の鉄板上にあるうちに発酵バターを塗り、グラニュー糖を振りかけ、良い焼き色になったところでさっと大理石の作業台に乗せる。
一口サイズに切り分けて、ナビィに切って貰った小さな包み紙に乗せれば、試食用のミニクレープの完成だ。
準備を終えて外を見ると、いつの間に近づいて来たのか、ひび割れのある鋭い爪がカウンターに乗っていた。
キラキラとした目でクレープを見つめる姿は、サチカがよく知る光景である。
「試食用のバターシュガークレープです」
看板商品であり、今作れる唯一のメニューがバターシュガークレープだ。
どのクレープも美味しく作れるクレープ職人サチカだが、この迷宮で採取した食材で作るクレープは今までの味を遥かに超えるもので、サチカの自信作でもある。
どうぞ、と試食用ミニクレープを差し出せば、ローブ姿のお客様は、恐る恐る手を伸ばしてクレープを受け取り、甘い香りに喉を鳴した。
手の中でほかほかの甘い湯気を立てるクレープに、目が釘付けになったまま、ローブの人物が口を開く。
「これは何?」
「クレープです。気に入ったら買って行ってくださいね」
「……クレープ」
優しい卵の香りに誘われるように、試食用クレープへ顔が近づいて、かぷりと小さな口で端をかじった。
「!!」
驚きに顔を上げた拍子に、深く被っていたフードが外れて、長い青髪と愛らしい顔が露わになる。
(あ、やっぱり女の子だ)
年頃ならば十代の前半。
まだ幼さが目立つ小さな顔は、サチカよりも年下に見える。キラキラと光を集めるような大きな黒い瞳は、見慣れたものと違っていて、極薄い水色が白目部分に色付き、大きな虹彩は銀色で縁取られていた。目の下側に引かれた赤い化粧が瞳の黒を際立たせ、人外の美しさに民族調な印象を添えている。
ナビィが目を細めて検分し、「人魚の魔人か」と呟いた。
一口食べてみたら思いの外クレープを気に入ってくれたらしいお客様は、小さな口へ一気にクレープを詰め込んだ。
ゆっくり咀嚼し終えて目を閉じる仕草は、甘い余韻に浸り、それもなくなると悲しげに溜息をつく。
「……すごい、美味しかったの。こんな美味しいものがあったなんて。もっと食べたいの」
ややして溢れた感想は、職人冥利に尽きるもの。
黒い瞳でサチカをじっと見上げて注文をする彼女に応えたのは、接客担当の案内妖精だ。
「最初に言ったように売り物だ。対価は?」
「う……人間通貨も、妖精通貨も持ち合わせてないもの」
「あんた人魚の魔人だろ?」
「そうなの」
「人魚達が管理する水の農園の食材でもかまわない」
「うぅ、父様は農園主だけど……でも、今食べ物持ってたら、こんなにお腹ペコペコじゃないもの」
「じゃあ、支払いできる保護者を連れてこい」
「……家出したもの」
うつむいて半分くらい泣きそうなった人魚が気の毒になってしまって、サチカはおろおろと試食用のクレープと彼女を見比べる。
もうひとつ試食品を渡そうとしたところに、人魚の魔人がぱっと顔を上げた。
「そうだ、これがあったの!」
その手には、青い石がついた小さな指輪がひとつ。
細い地金は鈍い色味の艶消し青銀で、精緻な模様が彫り込まれている。菱形の一粒石は深い海の色をしていた。
どう見ても、クレープひとつには釣り合わない見事な装飾品である。
「サチカ、どうする?」
「えっ、そんな高そうな宝石、クレープひとつで貰いすぎじゃないかなあ」
「待って、これはただの指輪ではないの!」
断られると思ったらしい人魚の魔人は、慌てて売り込みを添える。
「第二層の海の底にある、真珠苺の農園の鍵なの」
真珠苺という食材がある。
それは、大粒で甘く、果汁たっぷりの苺なのだが、海底で成っている状態では、白い真珠のような輝きを帯びていて、海から上げると真っ赤に変わる特徴があった。
海の中でしか育たない苺で、かつて第二層を住処にしていた人魚達が好んで栽培していたが、何らかの事情で彼らが他の層に移住し、今では幻となった苺である。
「いちご……ください!!」
サチカは前のめりでカウンターに身を乗り出した。
苺は、クレープの定番フルーツなので、欲しい果物の筆頭に上がっている。ちなみに、次点の欲しい果物はバナナだが、案内妖精の調査によると、第二層にバナナは分布してないとのことだった。
「真珠苺が好きなの?」
「いえ、まだ食べたことないんだけど、クレープに苺は鉄板なので」
「このクレープに真珠苺が乗るの!?」
「もちろん丸ごと苺の贅沢なクレープもできるし、甘酸っぱいソースにして中に入れてもいいし、薄くスライスして飾ればお花みたいになるし」
人魚の魔人もテンションを上げてキッチンカーへにじり寄り、手の中の指輪をサチカに差し出す。
「素敵! 真珠苺はとっても甘くてでも酸味も程よくあって、果汁もたっぷりの苺なの!」
「ぜひ欲しいです!」
その小さな手ごとぎゅっと両手で包み込めば、人魚の魔人はにこりと笑った。
「じゃあ、一緒に海底農園を探しに行こうなの!」
「はい! 一緒に海底農園を探しに……ん? 探しに??」
海底と農園の単語のつなぎ方と探しに行くというのもすぐにはつなげて飲み込めないサチカ。
ナビィは首を傾げているサチカと丸い黒目をキラキラさせている人魚の魔人を見比べて、短息を落とした。
「出発はいつにする?」
「えと……? 探しに行けるのかなあ」
「真珠蜜を採り終わってからにするのなら、二日後だな」
もちろんすぐに出発もできるが、今取り掛かっている採取作業を優先した場合、サチカの作業状況と体力を考えるとそこが妥当なところだろう。
女神の収穫籠の仕様では並行作業はできないらしく、一度始めた採取を中断して他の食材を採った場合、前の採取物はまた初めからになってしまい、ここ数日の潮干狩りは水の泡となってしまうのだ。
案内役からの助言を得て、サチカは迷いながらも出発を明後日に決めた。
「じゃあ、その日の朝に迎えにくるの!」
対価のクレープを受け取って喜び跳ねる人魚の魔人は、ネネと名乗った。
「わたしの父様は、移住前は南の海底で大きな農園をしてたの」
ネネは両親に祖父母、兄五人と姉三人がいる大家族の末っ子で、美味しい真珠苺を栽培して皆で楽しく暮らしていたが、ある日東の海からやってきた足長ウツボカズラの異常発生があり他層への移住を余儀なくされたらしい。
大事にしていた真珠苺の農園には、かろうじて侵入禁止の結界を敷けたものの、そこへ至る道は足長ウツボカズラに埋め尽くされていると言う。
「……あしなが、うつぼかずら」
「第二層の種だと、主に小魚を好んで食べる肉食の魔獣だ。普段は壺に似た形の捕食袋の酒を囮にして獲物をおびき寄せる罠型の狩りをするが、異常繁殖した年は二股に分かれた長い茎で海底を大群で疾走する」
「え、走るの!?」
声を上げるサチカと一緒に、第一層の生き物であるミウもぴょこんと驚き跳ねた。
ナビィの解説を聞いて、サチカは脳内で描いた食虫植物的なウツボカズラを大急ぎで修正した。
二股に分かれた茎を足のように使って、すごい数のウツボカズラ的な生き物が海底を埋め尽くして迫ってくる。
「……うわぁ、こわい」
「そうなの! 本当に、本当に、本当に気持ち悪いの!!」
ぞっとしたように腕を摩りつつ、ネネがふるふると首を振った。
人魚の魔人が足長ウツボカズラに向ける感情は、恐怖ではなくて害虫嫌悪に近く、彼女達にとっては、トラウマ級の思い出したくもない光景らしい。
「あんなのに食べられるなんて、死んでも嫌なの」
「ネネちゃん達は、足長ウツボカズラの獲物になっちゃうんだ?」
「そうなの、わたしの一族は身体が小さいから、あいつらの罠にかかったら丸呑みにされて、ひとたまりもないの」
確かにネネは小柄だった。平均的な日本女性としては背の低いサチカよりも頭ひとつ分は小さいだろう。
(それを丸呑みにしちゃう大きさ……)
もうそれは、怪獣ではないだろうか。
「でも、群の長は勇者様が倒してくれたからそれ以上は繁殖できなくなってて、そろそろあいつらもいなくなるの」
なので、今なら海底にある農園への道ができているかもしれないのだ。
「真珠苺を勇者様に贈って、わたし、勇者様のお嫁さんになるの! それじゃ、サチカ、二日後になの!」
お嫁さんお嫁さんと節をつけてスキップするように立ち去ったネネは、ところが約束の二日後の朝、その姿を表さなかった。




