1.潮干狩りと通りすがりの魔法騎士
ざざん、と寄せる波が砂浜を削り、裸足の指先をくすぐっていった。
目の前に広がる海は、呼吸を忘れて見入ってしまう見事なエメラルドグリーン。
波はあまり高くなく、ざざんざざんとレースのような白い波頭が穏やかに寄せて引いていく。
よく晴れた空を映す海にぽっかりと浮かぶ小さな島は、海岸沿いに白い砂浜が続いて、白から緑、そして青に至るグラデーションも美しい。
遠浅の地形なのか海水の透明度が素晴らしいのか、そのどちらもなのか、日射しに煌く銀色の魚の群れが浮いて映り、手ですくいあげられそうな程近くに見えた。
日除けの布を頭から被ったサチカは、そんな美しい砂浜にしゃがみ込んで、ざくりざくりと波打ち際の砂浜を掘っている。
手のひらですくった砂を隣に置いた布の上に広げると、真っ白な砂の中、キラリと光るのは星の砂だ。
元の世界で見たことがあるお土産品のそれより大きく、格段にキラキラとした輝きを放つ星の砂は、小さな宝石のようで、サチカは目的の貝のついでに取り置くことにしている。
遠く、海鳥の鳴き声が聴こえる以外は、波の音しかない。
ざくりざくりと砂を掘り起こしては波に返して、そんなことを幾度も繰り返していると、ようやく目的の貝が姿を出した。
「……見つけたー!」
小躍りしたくなる喜びに、思わず立ち上がって貝を掲げ持つ。ころんとしたハマグリのような二枚貝は、その中に甘い宝物を隠す特別な貝だった。
教えられたとおりにコツコツと貝の背をノックすれば、ぱかりと口が開いて中の宝物を差し出してくれる。
真珠のように鎮座するのは、淡い琥珀色で、サチカの爪先程の大きさの球を象っていた。
蜂蜜である。
こちらの世界では真珠蜜と呼ばれていて、蜂蜜の一種だ。蜂蜜なのに蜂じゃなくて貝の中に育っているのは意味がわからないが、味見したところまごう事なくとろりとした上質な蜂蜜だった。
全ての貝に入っているわけではなく、しかも時折えぐみの強い真珠蜜もあるのが厄介だったが、単純作業が嫌いではないサチカは三日前から黙々と潮干狩り風の真珠蜜狩りをして、収穫籠に半分くらいを採り溜めていた。
「蜜を貰うね。お返しに、お砂糖をどうぞ」
琥珀色の真珠蜜をころりと剥がして、空いてしまった場所に、輝くグラニュー糖の粒を入れる。すると、甘い対価を貰った貝はご機嫌にぱくんと口を閉じた。
このグラニュー糖は、迷宮の第一層で採ってきた茉莉の河岸の糖砂と言う稀少価値の高い品なので、真珠蜜の貝達には大変に喜ばれている。
真珠蜜の収穫はとても地道な潮干狩りだが、糖砂の収穫は砂金採りの要領で、そちらもなかなかに地味な作業だった。
水面をジャスミンに似た白い小花が流れる川は美しく、ずぶずぶと身体が沈んでいく最悪な足場でさえなければ素敵な場所だっただろう。
第一層で手に入れたもうひとつの食材の発酵バターこと雨森の園の乳石の経緯は、できれば思い出したくない。まさか、あの美味しいバターがあんな沼の……
「だ、だめだめ。これ以上は危険すぎる」
思い出したら発酵バターが食べれなくなってしまいそうな記憶に、サチカは慌てて蓋をした。
迷宮の入口である第一層の割に、一筋縄ではいかない収穫作業ばかりだったのは、単純に素材の稀少性が高過ぎるせいだ。
しかし、迷宮初心者かつ異世界転移ビギナーなサチカにわかるはずもなく、
(異世界ってすごいことだなあ……)
と、関心するしかない。
何よりすごいのは、そんな環境でも目的を達成できるだけの技量を持った仲間たちの存在だった。サチカだけの力では、何ひとつ手にすることはできなかっただろう。
それらの食材に比べて、この第二層の孤島にある真珠蜜は、ヒット率の低さが難点なもののサチカひとりでも安全にコツコツ収穫できて、とても優しい食材だ。
特別仕様の収穫籠を見れば、収穫終わりを示す持ち手の蕾がまた一枚花弁を広げていて、必要数までもう少しという域に来ている。
「あと少しで、蜜の収穫も終わりそう……!」
一度休憩を挟むため、手荷物をまとめたサチカは、浜辺に見知らぬ男性を見つけてきょとんと目を丸くした。
白金の短髪に紫銀色の鎧、青いマント姿は、物語に出てくる騎士のようだった。
この島にたどり着いてから三日間、仲間と知人以外に誰にも会わなかったこともあって、その姿が眩しく映る。
それに加えて、彼を見ているとどこか懐かしいような気持ちが沸いてくるのが不思議だった。
(なんだろう……親しみを感じる、みたいな?)
姿をよく見ようと、頭に被る日除けの布を外したサチカを、彼の方も観察していたらしい。
紫水晶の色をした瞳が軽く見開かれたのは、驚きによるものだろうか。
「……子ども?」
「え、と。こんにちは?」
「こんにちは。君は、第二層の住人だろうか」
「いえ、ここには来たばかりです」
「そうか。では、誘拐されてはいないだろうか」
爽やかな美丈夫と言って差し支えない男性は、街で迷子を発見した親切なお兄さんのようにサチカを心配してきた。
(えっ、でも、誘拐て!?)
物騒な単語に目を見開き、言葉もなくぶんぶんと首を振って否定するサチカに、男性が静かに歩み寄る。
年齢はおそらく二十代の半ば、目鼻立ちが整っていて鍛えていることがわかるしっかりとした身体つきをしていた。
腰に履いた長剣は、古びた無骨な鞘に収まっているものの、丁寧に手入れをして使われているようだった。
「そうか、保護者は近くにいるか? どこから来たんだ?」
「あの、来たのはたぶんあっちの方?」
行程はガイド役の案内妖精にお任せしてしまっているので、サチカがわかるのは方向くらいだ。しかし、指した先には青く広がる海しかない。
トロいノロいと評判のサチカであっても、この説明はまずいと慌てて、男性が何か言う前に口を開いた。
「同行者がいます、ちゃんと頼もしい子が二人っ」
その言葉に、男性は目に見えてほっとした表情になり、ならば良かったと爽やかに微笑んであっさり立ち去っていく。
(でも、あの人こそ、どこから来たんだろ? ここは孤島なのに)
今更だが、第二層に来てから初めて遭遇した人だった。
(でも、人なのかな? 魔人さん?)
この迷宮グランシャリオでサチカが出会ったのは、妖精と魔人に魔獣、それから女神様。バラエティーは豊かだが、気付けばサチカと同じ人には出会っていなかった。
何となく見送っていると、波打ち際でふと立ち止まった男性が、なぜかこちらへ引き返してくる。
「すまないが、このあたりにしばらくいるようなら、頼まれてくれないだろうか」
「真珠蜜を集めているので、テントを張って滞在予定です。あの、できることでしたら」
「私の仲間が来るかもしれないのだが……もし、私を探していたら、伝えて欲しいことがある」
サチカは伝言をしっかり記憶するために、じっと男性を見た。
彼は丁寧に名乗って、首にかけたチェーンを手繰り寄せ、取り出した札の裏表を翻し、サチカに示した。
長方形の札は無色透明で、チカリと日差しを反射した時だけ銀色に見える。
「私は、レイナード・ブラン・イオラス。王国の探索者ギルド『名もなき』に所属している魔法騎士だ」
一連の動きは、お決まりの挨拶なのかもしれない。サチカがそう思う程に、彼の動きはスマートで何の気負いもなかった。
ギルドとか魔法騎士とか、知らない単語がわらわら出てきて戸惑うけど、まずはちゃんと挨拶をせねばと、背筋を伸ばしてから深々とお辞儀をする。
「サチカです。クレープを作ってます」
レイナードと名乗った彼は、お辞儀の挨拶文化と耳慣れないクレープという単語に不思議そうにしたものの、お菓子だと説明すればそれで終わりだった。
その姿勢の良い後ろ姿を再び見送ってから、サチカはお客様を逃したことに気がついた。
「あー、お店を出しておけば良かったなあ。クレープが売れたかもしれないのに」
サチカにとっては馴染みの深いお菓子であるクレープも、この世界の住人からすれば見たことも聞いたこともない異世界文化だ。
その場でクレープを焼ければ良いが、店から離れた場所では、口頭で説明するしかなく、サチカはせっかくのクレープの魅力を伝え切れないことがもどかしくて、じたじたと足踏みをしたくなる。
「チラシか……ショップカードとか? 配れるような物がいいよね。なー君に相談してみよう」
サチカは日除けの布を被り直して、潮干狩り用品を手に、仲間の元へ足を向けた。
なので、ざざん、ざざんと押し寄せる波が渦を巻いて、青いマントの魔法騎士を転移させたのは見ていなかった。




