プロローグ ~クレープ好きに悪い人はいない~
いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?
接客担当の従業員である案内妖精に教えた言葉は、いつも鮮やかに改変される。
「何にするのか、決まってんだろうな?」
さっさとしろとばかりの投げやりな言い方。順番を待っていたお客様が、灰褐色の固い毛に覆われた腕をカウンターにかけた。その重量に飴色の木材がキシリと小さな悲鳴を上げる。
逞しい腕に太い爪、次いで現れた顔には鋭い牙が生えていた。日除けのパラソルの下で鈍く光る満月色の目の中の緑の虹彩に、ぴんと立ったふかふかの獣耳。キッチンカーの中からは見えないが、ふさふさの尻尾も生えている、まごうことなき狼である。
犬かもしれないけれど、魔物学者でも迷宮の探索者でもないサチカに、その違いはわからない。体長ニメートルを越す二足歩行な生き物のため、物語に登場する狼男のようなものだろうと思っていた。けれど、性別は定かではないので、暫定的に狼人ということにしたい。
対するサチカの案内妖精は、透き通った翅を持つ紅顔の美少年だ。しかも態度の大きさとは異なり体長は四十センチ程のコンパクトサイズなため、狼人の大きな口に容易く丸呑みされてしまいそうだった。
鉄板に向かったサチカは、クレープ生地を薄く薄く伸ばしながらヒィと青ざめる。
「ああ、決まっている」
強面に見合った重低音の声。狼人の赤い舌が、待ち兼ねたようにじゅるりと牙を拭っていった。
慣れた手つきでクレープを鉄板から剥がして、サチカは小さく震えて涙目になる。そんな彼女をちらりと一瞥した案内妖精は、片手を腰に当て傲岸不遜な眼差しで狼人を見下ろした。
「……カスタードクレープ」
ゴトリとカウンターに置かれたのは、サチカの手の平ほどの大きさの赤い木の実だ。
狼人の硬い爪にも潰れない頑丈な外殻は滑らかで、形はアーモンドに似ている。
初顔合わせの木の実に、サチカは期待に胸を高鳴らせた。今すぐに割ってその味を確かめたい。逸る気持ちを抑えながら、次のクレープをじゅわりと鉄板に落とした。
「ふぅん、なかなかだね」
対価に合格を出して頷いた案内妖精は、トッピングを終えたクレープをくるくると白い紙で巻き上げて、爪のついた手に持たせてやる。
甘い香りに耐え兼ねた狼人がクレープに噛みつけば、薄いのにもちもちした生地に包まれた濃厚なカスタードが口いっぱいに広がった。
「後がつかえてるから、さっさとはけろ。……ほら、次の奴、注文は決まってんだろうな?」
お次のお客様の青い鱗の手には、芳醇な蜜を持つ釣鐘花が握られている。
さくさくと列を捌く案内妖精の隣で、サチカは少しだけ身を乗り出して、狼人に声をかけた。
「あの、ありがとうございました!」
二口目でカスタードクレープを食べ終えた狼人は、じっとサチカの目を見て、「また来る」と呟きキッチンカーに背を向けた。灰褐色の尻尾が、ご機嫌を示して左右に大きく揺れていた。
にっこり微笑んだサチカの手元で、クレープ生地が美しい黄金色に焼き上がる。
クレープが好きな人に悪い人はいないのだ。